爽やかミントティー②

「まずはこちらを」


 ロゼが棚からガラス瓶を取り出した。なかには濃茶色の液体が入っており、何かの葉が浸かっている。ノルが近づくと、ロゼが瓶のふたを開けた。


「──げ、なんだこれ……鼻がスースーする」


「ヒンヤリ草の薬草酒(ハーブチンキ)ですよ」


「ヒンヤリ草?」


「ええ。別名ハッカ草。さわるとひんやりする草なのですが、根っこの部分は薬に、葉の部分は料理などで、香りづけに使ったりする薬草ですね」


「ほう、たまにプリンのうえに乗ってる、あれか。ミントってやつだろ?」


「そうですが、またそんな微妙な覚えかたをして……」


「だってそれくらいしか用途ねぇだろ、あれ」


「もう……。そういうことをいうと、大陸中のショコラミント好きさんに怒られてしまいますよ?」


「お、おう……なんかすまんな」


 夏の定番ショコラミント。

 菓子はもちろん、パンにしてもアイスにしてもおいしい涼やかブルーなフレーバーだ。そこに使われるミントの葉。今日は食用ではなく、掃除用として、ロゼは小さな木桶を用意した。そこに薄く水を張って、棚から小瓶を探した。


「それは?」


「ヒンヤリ草の精油ですね。こちらを数滴程度、水に混ぜて拭き掃除に使います」


「えっ? そっちの茶色のやつは?」


「使いません。あれはあくまで雰囲気づくりのための小道具……。厨房の装飾用インテリアですので、閉まってしまいしょう」


 ロゼは薬草酒を棚に戻した。


「あ、ちなみにこちらの精油は薬屋さんに行くと売っています。個人的にはラパン商店で出しているものがいちばんいい品ですね」


「それ、隣国イナキアの店だよな?」


 相変わらず、わけの分からないのことを。

 ノルがひとり遠い目をしていると、ロゼが小瓶の精油を水面に落とした。ぽたぽたと二十滴程度。桶を軽く揺らして雑巾をぽいっ。よく布を湿らせたら、固く絞ってノルに手渡した。


「さぁ、ノルさん! 手当たり次第、そのへんを拭きまくりますよ!」


「おう! ──って、これ、すんげぇ手がスースーするけど?」


「ちょっと濃いめに作りましたからね。こういうときに素手で触るのは危険です。まぁわたしは平気ですが」


「俺は?」


「気合いと根性です!」


「へーい」


 ぴょんぴょんと跳ねてノルは高いところを、ロゼは低い棚のなかを拭きはじめた。しばらく厨房を掃除したあと、今度はホールへ。念入りに机や椅子も拭いていく。もちろん窓も忘れずに。そうして数時間が過ぎた頃には店内中、清涼感の溢れる香りでいっぱいになった。


「ぐ……これは、すこしやりすぎでは?」


「うーん……、そうですね。鼻がスースーしますね……」


 しまった。やりすぎた。そんな顔を浮かべてロゼは鼻をつまんだ。ノルも当然ながら鼻を抑える。ひとまず窓を開けて匂いを逃がすと、すこし落ちついたので、ふたりでテーブルに腰かけた。


「お前なぁ、加減は大切だぞ? つか、窓開けたらまたあいつら入ってくるんじゃないか?」


「そうはいいましても、換気しませんとハッカ臭いままですよ?」


「それはまぁ……嫌だな」


「嫌ですね──って、あ……」


 ぐでっと椅子にもたれかかっていたロゼが口をぽかんと開けた。

 ノルが「なんだ?」と思って首を動かせば、ロゼが椅子から立ち上がり、厨房へと歩いていった。そのまま数分くらいしてから戻ってくる。葉っぱの入った水差しと、なにやら皿を乗せた盆を持っている。テーブルにことりと置かれる皿。ドーナツだ。ショコラ味の生地にナッツが練り込まれていて美味しそうだ。しかしこちらのグラスは──


「おま、これ……もしかしてミントティー?」


「当たりです。実はさきほど作っておいたのですよ。掃除が終わったらお茶にしようと思いまして」


 ロゼがミント入りの水差しをテーブルに置いて着席する。


「うーむ……この状況でミントティーか……」


 水面に浮かぶレモンとミントの葉。複雑なやつが出てきた。だが、これはこれでおいしいのだ。ひとくち飲むと口のなかがスッとするし……と、ノルはまぁいいかと頷いて机に跳びのった。


「ほう、ミントティーにショコラのドーナツとは、なかなか味のある組み合わせだなぁ」


 さきほど話に出ていたショコラミントというやつか。ノルがしげしげと観察すると、ロゼが微笑んだ。


「はい。本日のおやつです。ちなみにそのドーナツは、さきほど帰ってくる途中に立ち寄ったお店のものですね」


「あれな、ショコラマシュマロなんとかっていう限定品があるドーナツ屋な。近所の店の」


「そうです。前にノルさんがひとりで食べてしまった、あのドーナツ屋さんのものです」


「うぐ……蒸し返すなよぉ、あのときはごめんて」


「ふふ、まぁひとまずいただきましょうか」


「おう、んじゃま、さっそく──」


 ぱくり。ノルはドーナツにかぶりついた。適度な甘みとカリカリとしたナッツの食感。ずしっと重い食べごたえ。これは腹にたまりそうだ。

 ノル自身はパンのようなふわふわとしたドーナツのほうが好きなのだが、これはこれでうまい。この前食べたマシュマロなんとかいうやつも同じタイプだった。二個も食べれば、かなり満足するだろう。ノルはひとつ平らげると、もうひとつに手を伸ばした。そこでロゼが拗ねた顔をした。


「ノルさん。お茶もすこしは飲んでくださいな。せっかく作ったのに……」


「んほ? ふまんすまんふまんすまんふぐすぐのむほのむよ


 ごくんとドーナツを飲みこみ、ノルはグラスに顔を近づける。スッとした香りが鼻に抜けて涼しげだ。ぴちゃりと小さな舌をつける。うん、わずかに蜂蜜が入っているのか、ほのかな甘みも感じる。

 正面に座るロゼがグラスを動かすたびに、からんとからんと心地のよい音が聴こえてくる。氷がグラスにぶつかる音だ。


 うん、なんだろう。この感じ。

 綺麗になった店内で、そよそよと少し生ぬるい風に耳を揺らしてロゼと一緒にお茶をする。この静かな時間。


(落ちつくわぁ……)


 ノルは目を細めてティータイムを満喫した。


(……それにしても)


 ぷかぷかと水差しに浮かぶミントの葉を見てノルは思う。

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