爽やかミントティー③

「なぁ、ロゼ」


「なんですか? ノルさん」


「さっきはとくに何も聞かずに雑巾かけてやったけどよ。なんでヒンヤリ草の精油を使ったんだ? 普通に掃除するだけでいいだろ。綺麗になれば、奴もいなくなることだし」


「ああ……」


 ロゼはからんとグラスを揺らして天井をみあげる。いつもの彼女の癖だ。なにかを思い出すときはよくうえを向くのだ。


「ジーは、ヒンヤリ草の香りを嫌がるそうですよ」


「ほう、そうなのか?」


「ええ、効果のほどは……えーと、まぁまぁ? らしいのですが、ジー避けにはそれなりに使える品だそうです」


「なんだ、えらく曖昧じゃないか。前になんかの本で読んだーみたいな感じか?」


「いえ、師匠せんせいが以前話されていたので」


「ああ、あのオレンジ好きのお師匠さんな」


「そうです、オレンジ好きの師匠せんせいです。それで、師匠せんせいは植物にも詳しいそうで、前に故郷でジーが大発生したときに長老さまへ対処法を伝授されていました」


「お前のお師匠さん、魔法の先生じゃなかったっけ?」


 ノルのなかではもはやオレンジのイメージしかないロゼの師匠だが、どうやら魔法以外にも豊富な知識を持ち合わせているらしい。ロゼが楽しそうにくすりと笑ってグラスに口をつける。そういえば、よくロゼの話には師匠の話が出てくるが、あまり興味がなかったので聞いたことがなかったなぁとノルはふと思った。


(ふむ……)


 ロゼのお師匠さんか。ここはやっぱり、美人で巨乳な色っぽいお姉さんだろうか?

 ノルはさっそく聞いてみた。


「どんな奴なんだ、そのお師匠さまとやらは。やっぱりロゼよりも美人なのか?」


「おや、急にどうしました、ノルさん。もちろんわたしのほうが美人ですけど……」


「自分でいうんだ」


 予想はしていたけれど。ノルが呆れた眼を向けると、ロゼは「冗談です」と咳払いをした。


「そうですねぇ……美人かと聞かれると、師匠せんせいは男のかたですし、またすこし意味あいが違うかと」


「えっ、まじ? 男なの?」


「ええ、男性ですよ。大人な感じの、静かなかたですね」


「ほう……てっきり、魔女のお師匠さんだっていうから、自然と老婆か美人な姉ちゃんを想像していたんだが……。だってほれ、一緒に住んだりとかするだろ? 小間使い的な感じで」


「うーん……それは無いですね。師匠せんせいは野宿派みたいでしたので、よく湖のそばで火をいて生活していましたよ」


「やっぱりおまえのお師匠さんって、かなり変わってるよな」


 野宿派ってなに?

 ノルが呆れた声で返すと、ロゼはノルの頭を撫でて少し切なげに笑った。


「まぁ、わたしは別に、師匠せんせいの正式な弟子というわけではありませんから、ノルさんがイメージしているような師弟の形とはすこし違うかもしれませんね……」


「そうなん?」


「ええ、わたしが勝手に『師匠せんせい』と呼んでいるだけで、魔法を教えてくれたのもほんの短い期間でしたし、前の長老さまが亡くなってからは村にも来なくなりましたから、それきりです」


「ほーん……じゃあほんとに『師匠』っていうよりも、『先生』って感じなんだな。魔法をちょこっと習ったーみたいな」


「ですね。もともと長老さまに御用があっていらしてたみたいですから、そのついでに魔法の指導をしてくれたようなものですし……。そのあとは、ひたすらひとりで魔法の猛特訓の日々でしたよ」


「したんだ、猛特訓」


「しましたね、こう、どかーん! と木をぶっぱなしたり」


「森に優しくあげて?」


 ロゼが微笑み、ドーナツに手を伸ばす。それをちらりと見てノルが言う。


「ちなみに、俺とどっちがかっこいい?」


「ははは……。比べものにもなりませんよ」


「やべぇ、その苦笑が心にくる!」


 ノルの繊細な心は傷ついた。

 そっと涙をぬぐって、ずずっとミントティーをすすった。


(ねむ……)


 まったり。のんびりと時間が流れていく。きょうは依頼もなく、店の掃除をするだけの何もない一日だった。けれど、たまにはこんな日があってもいいだろう。

 からんころんと揺れる氷の音を聴きながら、ノルはそっとまぶたを閉じ──ようとして無理だった。


「おや、あれは……」


 ロゼの呟きとともに、カサカサと床を移動するなにかの音がした。

 なんだ?

 穏やかな時間を邪魔されて、ノルは胡乱うろんな眼差しを床へと投げる。そこで時がとまった。

 え? 白いあれがいる。


「どうやら窓からいっぴき、入ってきてしまったようですね」


 ロゼが椅子から立ち上がり、ほうきを片手に奴に近づいた。そのまま軽く床を撫でると、カサカサカサ! と、疾風のごとき勢いで壁をつたって奴が天井に移動した。やがてぴたりと止まると、ノルの鼻先にぽとりと落ちてきた。


「──☆&◇♯◆□%!?」


「ふむ。相変わらず、すばしっこいですね」


 ロゼがなにやら感想を言っている。しかし、ノルの耳には入らない。目の前に、じっと佇むジーがいる。なぜか身動きひとつ取らずに自分と向かいあっている。怖い。ホラーだ。はやく逃げないと。でも足が動かない。

 互いに時を止めたまま、そこにロゼが歩いてくる。


「ノルさんてば、また気絶でしょうか……。まったく本当に情けないうさぎさんですね」


 ロゼがほうきを奴に向けたその直後。


「うぎゃああああああ!」


「きゃあああああああ!?」


 ジーが羽根を広げ、ノルが驚き、ロゼに向かって跳びはねる。その拍子にジーがロゼの顔に飛んできて、悲鳴をあげた彼女が呪文を叫ぶ。


「内からぜろ! 『忘却の光ラディス・オヴィリーオン!!』」


 刹那。店内中に光が走った。


「なっ──!?」


 耳をつんざく大音量。閃光せんこうのなかで、ノルが薄くまぶたを開けると宙に吹っ飛ぶジーがいる。机が割れ、ぱりんと飛び散るガラスの破片。木っ端みじんになったジーを見届けあと、まぶしい光が収束して残っていたのは倒壊したロゼの料理工房アトリエだった──


「ちょ……おまっ……これ……」


 焼け焦げた店内。まさかの惨事にノルは絶句した。天井が消え空がみえ、ぱらぱらと塵が落ちてくる。青くて綺麗な空だなぁ……なんて現実逃避をしているあいだに、真横に柱が降ってきた。どしんと耳を突く音を鳴らして灰塵かいじんが舞う。


「……………」


 すすだらけの格好で、口をぽかーんと開けてロゼが棒立ちしている。やがて、ひくりと頬をひきつらせ、彼女はつぶやいた。

「あ、はは……。さすがは師匠せんせい考案の殺戮さつりく魔法。すさまじい威力ですね」


 そのまま、ばっとしゃがんで空へと叫ぶ。


「ぬがぁ──────────っ!」


 かくして、ロゼの宣言通り、店内に蔓延はびこるジーたちは、いっぴき残らず彼女の手により駆逐くちくされた。めでたしめでたし。


「──いや。これ、このあとどうするの?」


 ぽつりと落ちたノルの呟きは、灰と一緒に夏の空へと消えていった。

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