夏野菜のサンドイッチ①

 かつて、世界はひとつでした。

 色とりどりの花が咲き乱れ、散ることのない穏やかな楽園。

 そこには、三匹の竜たちがいました。


 ある時、竜たちは喧嘩をします。

 自分たちの中で誰がいちばん強いのかと。


 その喧嘩は次第に苛烈を極め、美しい空はかげり、大地は燃え、青き海は朱へと変わりました。

 これを嘆いた楽園の王は争いをとめ、彼らが二度と争うことのないよう世界を三つに分けました。

 以降、三つの世界が交わることはなく、再び大地に平和が戻りました。


 そして楽園の王は失われた世界──異郷にて、今でも竜たちを見守っているのでした。

 




「──フィーティア神話序章、と」


 ロゼは本を閉じて立ち上がると、重いかばんを背負い直して出口へと向かった。

 ここは古い遺跡の中だ。かの妖精国に向かう途中で見つけた森のなかの遺跡に彼女は潜った。


 おそらくスピルス文明時代のものだろう。煉瓦とも白泥セメントとも違う、不思議な素材で出来た建造物。初めはどきどきしながら慎重に足を運んだはいいが、ほんの十分程度歩いて着いた先は行き止まり。壁が崩れていてそれより奧には進めなかった。心底がっかりしたロゼはいちど休憩してから外に出るかと手持ちの本を読んでいた。それがいましがたの話。

 ロゼは壁に手をわせて小さく息をついた。


「はぁ……ひとまずここから出て、あの花畑でお昼を取りましょうか」


 遺跡に入るまえ、タンポポの群生地帯を見つけた。季節は春だが、まだまだ冷える時期でもあり、ロゼは厚手のローブを着こんでフードを被り寒さをしのいでいた。


「………っ」


 地上に出るとまぶしい光が目を刺した。ロゼは手でひさしを作って、指の隙間から太陽を仰いだ。


「……っと、ありました」


 すぐに黄色の目印を見つけた。近くには小さな川も流れている。あそこでいいだろう。ロゼは川のほとりに腰をおろした。


「水、水っと」


 木のコップを口半分だけ川にうずめてみると、澄んだ水が入りこんできた。それをしげしげと観察すること数秒。ロゼはぺろっと舐めてみた。


「うん。大丈夫そうですね。もうちょっと泥味かと思いましたが、なかなかのお味です」


 ごきゅごきゅっと一気に飲み干し口元をぬぐう。


「つぎは……」


 鞄に手を突っ込み、目当てのものを引っ張り出す。サンドイッチだ。ロゼは膝のうえで小さな包みを広げた。丸パンを薄く切ってチーズを挟んだ素朴な一品。大きく口を開けてかぶりつく。


「……っ!」


 うまい!

 小麦の甘みとチーズの塩気が舌のうえで混ざりあい、絶妙なハーモニーを奏でている。おいしいなぁと幸せな気分でもぐもぐと咀嚼そしゃくしていると、ふと目のはしでなにかが動いた。


「?」


 そちらに顔を向けると、じっとこちらを見ている小動物がいた。うさぎだ。もこもこの黒い毛をしたうさぎ。耳がくてんと垂れているようだが、はじめてみる。

 骨でも折れているのだろうか?


(いえいえ、まさか……)


 ロゼは首を曲げる。一般的に森のうさぎといえば、耳がぴんと立っているし、体毛も淡い茶色だ。長老様の話によれば、雪深い土地にはまっしろなうさぎもいるそうだが、黒い毛並みのやつは珍しい。しかもよく見ると、首元が白くて、まるでスカーフをつけているようだ。


「うーん、でもあんまり可愛くない子ですね……」


 なんだか大きいし、ふてぶてしいし。やはりうさぎは子うさぎサイズに限る。ロゼはうさぎから視線をそらした。そのときだった。


「んだと! こらぁ!」


「?」


 どこからか男の声がきこえた。ざらついた雑味を帯びた中年の声。ロゼはきょろきょろとあたりを見渡したが誰もいない。なんだ気のせいか。ロゼは残りのサンドイッチに手を伸ばした。


「わっ!」


 一瞬だった。サンドイッチを掴んだ瞬間。いきなりうさぎが跳んできて、手元のお昼をかっさらったあと、一目散に森の奥へと消えていった。


「…………」


 え? まじですか?

 ロゼはぽかーんと口をあけてうさぎが消えた先を見つけた。


「わたしのお昼ごはん……」


 数秒遅れてふつふつと怒りが沸いてくる。

 あのうさぎ! 捕らえてサンドイッチの具にしてくれる……!

 ロゼは急いで荷物を背負って走った。



 ◇ ◇ ◇



「ふぃー、ここまでくれば大丈夫だろ。しかしあのお嬢ちゃん、人のこと可愛くねーだとかいいやがってよー」


 うさぎ──ノルは大樹の根本に空いた穴をねぐらにしていた。少女から食べものを奪い、巣穴に戻ると彼はこてんと寝転がりサンドイッチをかじっていた。

 なにかの葉の塩ゆでと、薄切りにしたベーコンのサンドイッチか。べつに悪くはない。しかし、


「おいおい、塩気つよすぎだろー。こんなん毎日くってたら寿命縮まるぞ」


 右手で頭部をささえて横になるノル。文句を言いながら、はぐはぐと口を動かすその姿は控え目にいっても、おっさんだ。これでは少女に可愛くないと言われても仕方がない話だ。


「さてと、なんか飲みたいな」


 外に出て川の水でも飲むか。ノルが巣穴を出ると、そこには腕を組んだ少女が待ち構えていた。何だか不機嫌そうだ。

 ノルは驚き、「うお!?」と叫んで少女をみあげた。彼女は凍るような眼差しでノルを見下ろしている。


「塩気が強いですか、そうですか、こんにちは」


「お、おう、こんにちは」


「さきほどはよくもわたしのお昼を取りやがりましたね。返してください」


 少女がノルに手のひらを向ける。


「うぐ……悪いがそれはできない相談だ。なぜならさっき食っちまったからな!」


「では代わりにあなたをあぶって食べてもよろしいでしょうか」


「あぶっ!? はっ!? よくねえよ! なにこの嬢ちゃん、こわ……」


 ノルは一歩足をうしろにさげた。すると反対に少女は一歩前に足を滑らせた。そのままずんずんずん。ノルは木の側面に追いやられた。


(ど、どうするよ!)

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