ゴマ香る海苔のおにぎり③

 しゃがれたなかに闘気が宿る声だった。

 刹那。ふたりの背後で風が巻き起こる。耳をつんざくような断末魔が聴こえたかと思うと、ずしんと重い音とともに大地が激しく揺れた。ロゼは転び、ノルは地面にいつくばると、首だけうしろにめぐらせる。

 そこにいたのは変わった衣装をきた老人だった。白髪交じりの頭髪。長い黒刀を鞘へとおさめ、その背後には真っ二つに変わり果てたヌシがいた。


「大丈夫か? そこの少女と……うん? たしかもうひとつ男の声が聞こえたと思ったが……」


 男が顎に手をあて首をかしげる。ロゼが起き上がり、老人のそばへと駆け寄った。


「た、たすかりました。ありがとうございます」


 丁寧にぺこりと頭をさげるロゼ。老人は「気にするな」と豪快に笑った。


(動きにくそうな厚着に、裾の広がったズボン……うーん?)


 そういえば前にロゼから聞いたことがある。ユーハルドの西の海に、むかし小さな島があったのだと。いまは島ごと消失したらしいが、そこの民たちはボタンを使わない服を好んでいたのだとか。ノルには適切な表現はできないが、着物という衣装だそうだ。

 ノルがじっと老人を見つめると、彼は目を細め、いちど頭を振ってからロゼに視線を戻した。


「いやはや。ずいぶんと大きな狼であった。北の地には多いと聞くが、このあたりにも生息するのだな」


「いえ、このあたりに住む森狼は比較的に小型な部類なので……ぐうぜん変異した個体でしょう。もともと彼らは大人しく、人を襲うこと自体が稀ですから」


「ふむ。それでか……」


「?」


 ロゼが首をかしげる。


「実はな、この森に入る以前に街道にて行商が襲われているのを助けた。その者曰く、最近彼らの活動が活発になって困っていると話しておったが……こやつを見る限り、おそらくこの個体の食糧を集めるために仲間の狼たちが積み荷を奪おうとしていたのだろうよ。律儀に人には危害を加えおらぬようだったから、追っ払うだけにしてやったがな」


「なるほど……。ではこちらのヌシを倒したので、もうその心配は無さそうですね」


「うむ。これでむやみに彼らの命を散らさずにすむ」


「ですね。今回こちらの個体のせいで駆除されてしまう他の森狼たちは気の毒でした」


(それお前がいうの?)


 さきほど無慈悲なまでに狼を炎で焼いていたような……。老人の言葉に苦笑まじりに返すロゼをみて、ノルは遠い心境になった。

 ロゼがぽんと両手を叩く。


「そうだ。お礼になにかお困りごとはありませんか? わたしは魔導師なのですが、ご依頼いただければ、格安で解決いたしますよ」


(ここで金とるのか……)


 ロゼの言葉に老人がううむと首をひねった。


「魔導師……呪術使いのことか。そうさなぁ、礼には及ばんとは言いたいが……王都まで案内してもらうというのはどうだろうか」


「王都ですか?」


「ああ、近々王都で祭りがあると聞いてな。せっかくゆえ立ち寄ろうと思ったのが……くだんの行商のあとに森へ入ったら迷ってしまってな。都まで連れていってもらえると助かる」


「わかりました。ではたしかに。その依頼、氷の魔女ロゼッタが承りました。どうかあなたに火の加護がありますように。──と、では行きましょうか」


 ロゼが森の先を示すと老人は頷き、ふたりは歩き出した。

 ──ぐうううううううぅ。

 地鳴りなような音だった。老人が振りかえる。


(まさかの俺の腹の音!)


 恥ずかしい。ノルは耳を抱えて身体を丸めた。


「——あ、その……ですね」


 ロゼが気まずそうにおずおずと手をあげた。わずかに頬が赤いが、お前もか。

 なんたる偶然。でも良かった。

 ノルの恥ずかしさがすこしやわらいだ。だがこの状況。老人からはロゼひとりの腹が鳴ったと思われているに違いない。「すまん、ロゼ!」と、ノルが心のなかで謝っていると、老人は大きな口を開けて笑い飛ばした。


「はっはっは! すまんすまん。いまのは儂の腹が鳴った。狼退治にいそしみすぎて、昼を取るのを忘れておったわい」


 いい奴だ。

 老人は懐から小さな包みを取り出すと、すぐそばの倒れた木のうえに座り、手招きした。


「少々景観は悪いが……なに、あの大きな樹でもみて食べれば良かろう。おいで、お嬢さん」


 男が包みを広げて、こちらになにかをひとつ差し出した。


(……? 丸い、あれは米か?)


 ノルが老人の足元に近づき、ひくひくと鼻を鳴らしてうえを向く。白ゴマが混ざった全体的に茶色の米の塊だ。ノルにとってはじめてみる食べものは、丸い形をしていた。


「ああ、握り飯ですね! 美味しいですよね」


 にぎりめし? 

 響きからして、白飯ライスを丸めたものだろうか?


「でも、よろしいのですか? そちらはお爺さんのでは……」


「構わんよ。若い娘さんと肩を並べて食えるのであれば、嬉しいことはあっても悪い気はせん。さぁ、はやくお食べなさい」


「ありがとうございます」


 ロゼの顔がぱっと華やぐ。やったー! という心の声が聞こえてくるようだ。いそいそと彼女は老人の隣に腰掛けると、握り飯とやらを受けとった。


「そら、そやつにもくれてやろう。食え」


 老人がノルの前に握り飯を置いた。


(いや、じいさん。うさぎに握り飯は駄目だろ……)


 ありがたいけれど。ノルは地面に置かれた握り飯に顔を近づけるけど、ひとくちかじってみた。


「…………っ!」


 口にいれた瞬間、鼻をつき抜ける海の香り!


(なるほど、こいつは海苔か)


 ユーハルドの西の港でとれると聞く海藻の一種だ。おそらくこれはその海苔を甘辛く煮たものだろう。握られた米の中心に、ほんの少しの量が入っている。甘じょっぱいこの味わい。いくらでも食が進む。ノルはパクパクと握り飯を頬張った。


(またこの食感もいいなぁ)


 ところどころに混じっているゴマの実が、ぷちぷちと口のなかで弾けて香ばしいかおりがする。ああ、うまい。文句なしの味わいに、あっという間に食べ終わってしまった。

 ノルがロゼをみあげる。幸せそうな笑顔だ。握り飯を半分くらい食べて、老人と談笑している。


(ううむ、もっと食べたい……)


 じゅるりとよだれが垂れてくる。老人の手元をみると、さすがに握り飯は残っていない。当然だ。ロゼやノルに分け与えてしまったから、もう無いのもうなずける。逡巡するノル。


(ロゼには悪いが……)


 ノルはぴょんと飛んだ。


「ちょっ! ノルさん⁉」


(いっただきー!)


 目を見開くロゼと豪快に笑う老人。楽しい楽しい昼の時間の一幕だった。

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