ゴマ香る海苔のおにぎり②

 ロゼがあたりに首をめぐらせると、都合よくいっぴきの狼が林の間から現れた。


「ああ、あれで行きましょう」


 彼女が杖をかざす。


「──内からぜろ。『忘却の光ラディス・オヴィリーオン』」


 その刹那。狼の内側から破裂するように閃光と肉片が飛び散った。びしゃりと地面を汚した血液と、足元に転がる焦げた肉塊が物々しさを語っている。


「……………」


「ね?」


「うん……」


 血生臭い風が薫ってきて、ノルは鼻を両手で覆った。


「さてと、このへんの森狼は駆除したでしょうか?」


 ノルを地面におろして、ロゼが木々の隙間に目を凝らす。


「まぁ、こんだけやれば、狼のほうもびびって出てこないだろ。どうだ? ここいらで王都に戻るのは」


「ですが……、兵士さんたちの話ではヌシなる狼がいるとかいないとか。それを倒さないと、街道を襲い続けると思いますよ?」


「それな。大岩のごときでっかい狼だっけ? どうせ単なる誇張だろ、そんなんいたらノルさんの小さな心臓ハートは時をとめちまうよ」


「そうですね。ノルさんびびりですし……」


「違うわ! いまのは時計と心臓ハートを掛けたんですねっていうところ!」


「え、ちょっと意味がわかりませんけど……」


 ノルが後ろ足で立って叫ぶと、ロゼがなんともいえない顔をした。


「はあ……まぁいいや。ならとりあえず、もうちょいこのへん散策するか? それともこの前みたいに奥地まで入るか?」


「いえ、このまますこし歩きましょう。それで遭遇しなければ帰るという形で」


「りょーかい。んじゃ、ほい」


「はいはい」


 両手を伸ばすノルの身体を抱きあげようとロゼが腰をおる。


 意外と甘えん坊ですね、とか言ってくるロゼに対して、だって狼の死骸踏みたくないし……とノルが返したときだった。


「わ、わわ!」


 とうとつにロゼが叫んで尻もちをつく。

 ずしんずしん。

 足元がぐらつき、ノルもぴくりと耳を立てて首をめぐらせた。地面を揺らして何かがくる。耳に悪い大きな音。

 鳥たちが慌てるように木々から羽ばたき、広範囲の林を動かして──それはやってきた。


『グルルルルルルッ!』


 巨大な獣だ。ノルの数十倍はあるだろう。大きな狼、おそらく彼らのヌシが現れた。


「でか!」


「怖い!」


 ふたりは同時に叫んだ。ノルがこてんと気絶して、ロゼは口から魂が出た。

 巨大なヌシが『がう』とえた。甚大じんだいな風が大気を引き裂く。大槍のような牙を剥き出し、鋭い眼光を走らせるヌシの視界には、さきほどロゼが情け容赦に焼いた狼たちの骸がある。おおかた仲間の窮地(もう遅いが)に駆けつけたといったところだろうか。


「おいおいおい! どうすんだよ、これ! 逃げるにしても無理があんだろ」


「だ、だだだだ大丈夫です。こ、これしきの獣、わたしの敵ではありません」


「いやいやいや! おまえ足と声、震えてんぞ⁉」


「ノルさんこそ……って、そうです! わたしは篝火かがりの魔女! ノルさんの冷えた肝を奮い立たせてみせましょう」


「ここで⁉」


 ここで決め台詞!? しかも全然うまくないし。

 ノルがつっこみ、がばっと身体を起こすと、ロゼが杖を構えて呪文を唱えた。


「——あなたに愛の贈り物。どろっどろ、あっつあつのショ……」


『ガウッ!』


 鋭い大爪が落ちてくる。ロゼの詠唱をさえぎり、振り下ろされた爪が大地をえぐり、五本の傷あとを地面に残した。間一髪。ノルが頭突いてロゼを転ばせたことで難を逃れた。


「おまえが悠長に呪文なんか唱えてるから! もっとこう……無詠唱にしておけよ!」


「し、仕方がないのですよ! 魔導師たるもの作法は大切ですし、なにより光蝶かれらがって——うひゃあっ!」


 今度は横から爪が流れてきた。ロゼは地面に伏してなんとか避けるも、あたれば間違いなくあの世行きだ。ふたりは走り、逃げ惑う。


「しぬしぬしぬ! これ絶対やばいやつぅ。ロゼ! なにか手はないのか⁉」


「す、すみません! わたし近接戦は苦手でして、距離をつめられたらもう終わりなんです!」


「じゃあ弓は⁉ ここにくるとき持ってきてただろ!?」


「どこかに落としました! あと普通にあたりません!」


「くそぅ、役立たずのロゼ!!」


「ノルさんこそ、役立たず!!」


 互いに叫び。絶対絶命。最悪の状況。

 ノルが大きな声で叫んだ。


「誰でもいい! 誰か、助けてくれぇぇー!」


「——あい、わかった。ふたりとも、吹き飛ばされぬよう、しかと足を地面に縫いつけよ」

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