3種のきのこのチーズリゾット④

 稽古をおえて気がつけば夜になっていました。いつものように師匠せんせいにお礼を言って長老さまの家に向かうと、その日の夕飯はリゾットでした。森のきのこをふんだんに使用したチーズリゾット。わくわくしながらわたしは食卓につきました。


 ──どうせあいつはひとりだと適当な食事しか取らない。だから持っていてやれ。いつもの湖畔にいるだろう。


 と、夕食後に長老さまが言うので、わたしは木皿を持って森を抜け、大陸湖のほとりに向かいました。


師匠せんせいは……ああ、いました……)


 夜風に吹かれながら湖畔に座る師匠せんせいの姿がありました。その手には固そうなパン。こうみえてわたしの視力は鷹並みなので、遠くの距離からでも、そのパンに青カビが生えていることを確認できました。躊躇いもせずに噛る師匠せんせいはすごいですね。

 一歩近づくと、師匠せんせいがゆっくり振り返ります。さすがは師匠せんせいです。まだ林のなかだというのに、こちらの動きを察知しました。民家数件ぶんほどの距離をさくさくと詰めて師匠せんせいに皿を渡します。


「長老さまが師匠せんせいに持っていくように言っていました」


 リゾットを受け取った師匠せんせいは「ありがとう」と言って、カビの生えたパンを傍らに置きました。まだそれを食べるのでしょうか。捨てたほうがいいと思うのですが。

 師匠せんせいがリゾットを口にするのを確認してから、わたしもその隣に座ります。肩を並べてちらりと横をみれば黙々とリゾットを口に運んでいるようです。相変わらず静かなかたですね。わたしはそっと師匠せんせいから視線をはずして湖を眺めました。


 湖面こめんを揺れる白銀しろがねの月。草木が風に流れてとても幻想的な光景です。宵闇よいやみの静けさのなかで唯一響くのは、師匠せんせいがリゾットを飲みこむ音だけです。普通はこんな状況シチュエーションならどきどきしてしまうのが年頃の女の子というものでしょう。ですが残念なことに、わたしは早く帰りたい想いでいっぱいでした。


(夜は嫌いです……)


 ええ、わたしは夜が嫌いです。自分を置いて森を出ていった両親のことを思い出すからですね。夜なんて大嫌い。はやく眠ってさっさと朝日迎えたいものです。だけどお皿の回収もありますから、わたしは膝を抱えて待機です。しかしまぁ隣の人はずっと無言ですし、大嫌いな夜ですし、この間がけっこう辛くて、つい弱音をこぼしてしまいました。


「師匠……どうしてわたしには高い魔力が宿らなかったのでしょう」


「…………」


「もしも強い力があれば、両親だってあんな風に喧嘩をすることも家を出ることも無かったのに」


「…………」


 返事はありません。当然です。きっとこんな話をされて困っているのでしょう。師匠せんせいは森のそとからやってきた人ですから、ここの事情なんて知りえないと思いますし。それでも、わたしは話したかった。聞いてほしかったのです。


「瞳の色が赤に近づくほど魔力が高い証拠だそうです。事実、森族しんぞくには紫色の瞳が多い。けれど、わたしの瞳は氷色。だから氷の魔女だって、みんなからいつも馬鹿にされるんです」


 火の魔法が得意なのに。

 わたしは膝に顔をうずめて、ひとりでしんみりしていました。すると、一拍置いてから静かな声が頭に落ちてきました。


「……氷の薔薇」


「え?」


 顔をあげると、空になった木皿を脇に置いて師匠せんせいが言いました。


「雪原に咲く氷の薔薇。君はみたことがあるかな」


「氷の、薔薇? いえ……」


 わたしが首を横に振ると、師匠せんせいは湖を見つめていつもように淡々と話をつづけました。


「『竜帝りゅうてい』と呼ばれる花があってね。竜帝国ハルーニアの雪原地帯に咲く美しい薔薇があるのだけれど──」


「それってヴィクトルローズのことですよね? その花なら知っていますが、氷で出来た薔薇ではなく、ただの青い薔薇ですよね、それ」


 おっと、ついつい師匠せんせいの話をとめてしまいました。ですが仕方がないことです。そのまま続きに耳をかたむていると、


「そうか。では、見たことは?」


「え……いえ。実物は……その、あれは北部に咲く花ですし……」


 これは気まずいです。いま偉そうに師匠せんせいの話を遮ってしまった手前、その質問にはたじたじです。

 ヴィクトルローズ。竜帝国ハルーニアの雪深い場所に咲く青薔薇のことですが、師匠せんせいが『氷の』というから、てっきり本当に氷で出来た薔薇を想像してしまい、からかわれた……いえ、そういうわけではないのでしょうが、ついむっとしてしまったんです。

 わたしがおずおずと師匠せんせいの顔をみると、とくに気にしたそぶりもなく、湖を見つめたままです。

 白い髪が微風に揺れるその横顔は、落ちついた大人のひとという印象でした。


「──その青薔薇が夜間に凍りつくと美しい花の結晶になる。そして夜明け。朝日を浴びて青白い光を発する。君の瞳はその輝きによく似ている」


「…………はぁ」


 よくわからない。きらきらした結晶のなかに青い薔薇がある。そんなイメージでしょうか。


 師匠せんせいがこちらを向いて、わたしの頭にそっと左手を置きました。

 波風ひとつ立たない湖畔のように静かな瞳。それでいて、夜を明るく照らしてくれる篝火かがりびの色。

 吸い込まれるような師匠せんせいの眼差しが、わたしを射貫いた。


「綺麗だよ。まるで氷の薔薇はなのようだね」


「…………っ」


 きっとその瞬間に、わたしは師匠せんせいに恋をしたのだと思います。

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