ホットジンジャー①
ぐつぐつと大鍋を煮立てる魔女がいました。
ぴりりと辛い黄色の粉をぱらぱらぱら。
木べらでくるくる、火をとめて。
黄金の液体をとろりと加えたら?
「──はい、完成です!」
「あの……なんでもいいけどさ。ひとりごと、でかくね? あとそれ大鍋じゃないし」
厨房にて本日も通常運転のロゼッタこと氷の魔女は、かまどの火を消して小鍋をとると、なべしきの上にぽんと置いた。
対するノルは鼻をひくひく動かして小鍋をのぞいている。
「生姜湯か」
「ノンノン! ノルさん。ジンジャーティー、もしくはホットジンジャーです」
「あ、そう」
どっちでもよくね?
ノルはそう思ったが、ぴしりと人差し指を立ててロゼが訂正するので、今後は『ホットジンジャー』と呼ぶことにした。
「うぐ……ぴりぴりする……」
小鍋に顔をうずめてぺろっとなめると、ノルは渋い顔をした。ロゼが小さく笑う。
「それはもう生姜を多めに入れましたから」
「いや、これは入れすぎだろ。……蜂蜜いいか?」
「どうぞ」
ロゼが黄金色の瓶をノルに渡す。彼は器用に瓶の蓋をあけて、そのまま逆さにすると、鍋のなかにどぼりと蜂蜜を落とした。
「あっ! 入れすぎですよ、ノルさん! 蜂蜜は高いんですから、適量よりちょっと少なめを心がけてください」
「はぁ? ケチくさいこというなよー。ほれ、ひとくち舐めてみ?」
「む、甘い。やっぱり蜂蜜はたっぷりのほうが美味しいですね」
「だろ?」
小言を口にしていたロゼも、やはり甘いほうが好きなのか、小鍋をかたむけマグカップにホットジンジャーを並々と注いだ。
「おい、俺のぶんも忘れるなよ?」
「もちろん、わかっていますとも」
ノルが棚から深皿をとってロゼに渡すと、彼女はだばっと残りのぶんを皿にあけた。ホールに移動して、ふたりでしみじみとホットジンジャーを堪能する。
「うまいなぁ」
「おいしいですね」
「身体が温まるよなぁ」
「はい、ぽかぽかです」
「………………今日も、暇だな」
「ええ…………本当に暇、ですね」
互いに顔をつきあわせて、はぁーっと長いため息を吐いた。
◇ ◇ ◇
先日オープンした『氷の魔女ロゼッタの料理工房』は、大盛況どころか閑古鳥が鳴いていた。店内は静まりかえり、窓から冷たい風が入ってきては、ときおり嵐のような音を立てている。春だというのに今日も寒い。ここ連日すこし冷え込んでいるせいか、ちょうど風がぶつかるところにいたノルは身体を丸めた。そのようすに気づいたロゼが窓を閉めてあげたので、いまは完全に無音の状態だ。
(身体に沁みわたる温かさ……)
ノルはずずっとホットジンジャーをすすって首をめぐらせた。この閑散とした店内。毎日客がくるのをノルもロゼも待っているが、今日も今日とて一向に客の来る気配がない。
どうすれば客が入るのだろうか。十時のおやつ(クッキー)を食べながら、ふたりは今後の運営方針についてあれこれ頭を捻らせていた。
「うーん。やはり新規のお店にはみなさんも足を躊躇いますよね」
「まぁなー。入ってみてうまいかはわかんねぇし、様子見するやつが多いのは確かだろうなぁ。せめてうまいというー
「いっそ、ちらし配りでもしてみますか?」
「ちらし? そりゃあ、やらんよりはマシだろうが、あれは紙の無駄づかいだろ」
「ですよねぇ。紙もただじゃないですし」
「世知辛いな」
「世知辛いですね」
ふたたびため息。
「仕方ないですね……。ここはノルさんにお店の前で芸でもやってもらいましょうか」
「いやいやいや、どんな展開だよ!」
「帽子から花を出したり鳩を出したり。火の輪くぐりなどもいいですね。じゃんじゃん人がくると思いますよ」
「やめて。最後のやつ、俺死んじゃうから」
燃え盛る炎のなかの自分を想像して、ノルはぶるりと身体を震わせた。彼女なら本気で用意しそうなところがまた怖い。
「つーか、どうせならロゼがメイド服とか着て──」
と、ノルが切り出したところに玄関の鐘が鳴った。入ってきたのは老婆だ。品のいい笑顔と服装からして、それなりに裕福な家の人間なのだろう。もしかして貴族か?
ノルは口をつぐんで老婆とロゼの会話を聞くことにした。
「こんにちは。ここは魔導師さんのお店であっていますか?」
老婆が言った。
(んん? 魔導師?)
ノルは目をぱちくりとして首をかしげた。ロゼが笑顔で対応する。
「あっていますよ。氷の魔女ロゼッタの料理工房はこちらです」
(工房?)
ノルがロゼをみあげると、彼女は人差し指を唇につけて、しーっと小さく合図してきた。まぁあとで聞けばいいから静かにしておこう。
玄関前にただずむ老婆をロゼが席へと案内する。老婆はお礼をいって椅子に腰かけると「表の看板を見まして」と優しい笑顔を浮かべた。
「ああ、ご依頼ですね?」
「ええ、実は先日いなくなってしまった猫ちゃんを探していただきたくて……」
「猫ちゃんですか」
「はい、こち……ごほっ、こちらを」
老婆は軽く咳こんでから鞄をあけて紙を取り出し、ロゼに渡した。四つ折の紙を広げると、ロゼの瞳が大きく開かれた。
(なんだ?)
ノルがいそいそと彼女の背後にまわり、ぴょんっと高く跳ぶと、一瞬だけ視界に入ったのは、ものすごくリアルな猫の絵だった。わた毛のようにふわふわとした白猫だ。一本一本、毛並みを丁寧に描かれていることから、かなりの時間と労力を費やしたことがわかる。
(この婆さん、やるな)
ノルは感心して老婆をみあげた。老婆がこちらの視線に気づいたのか、穏やかな眼差しをノルに返した。
「報酬ですが」
紙をおりたたみ、ロゼが切り出した。
「金貨一枚でお受けできます」
(たかっ!)
ふっかけすぎだ。
金貨一枚といえば、果てしない量のにんじんが買えるぞ?
これはさすがのこの老婆も怒るのでは……。
ノルが内心はらはらしていると、意外にも老婆はほっとしように笑った。
「では、お願いします。猫ちゃんを見つけたら、そちらの紙に書いてある住所までお願いします。お代はそのときに」
「はい、たしかに。氷の魔女ロゼッタがお受けいたしました。あなたに火の加護がありますように」
(氷なのに火……)
心のなかでつっこむノルをよそに老婆はゆっくりと頭をさげると店から出ていった。すこし咳こんでいたが風邪だろうか。しかしそれよりも。
ぱたんと扉が閉まり、ノルはロゼに詰めよった。
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