ホットジンジャー③

「もしかしてノルさん、猫きらいですか?」


 ふいに投げられた質問にぶわっと毛を逆立ててノルは返してやった。


「おうよ! あいつら、俺を見ると追いかけまわしてくるんだぜ? 今日はそばにお前がいるから近づいてこないが……普段のあいつらといったらなぁ!」


 それはもうひどいんだぜ?

 ぐちぐちと主張すると、ロゼは唇に指をあてて空をみあげた。


「うーん、まぁ猫は狩る者ですからね。ノルさんを動くおもちゃとでも思っているのでしょう。強くなってください、ノルさん」


「いや、さすがに猫には勝てねぇだろ」


「いえいえ、ノルさんの頭突きをお見舞いしてあげればいいのですよ。こう、どーんっと!」


「ええ、それだと俺の頭が痛くなるだろ」


「大丈夫ですよ。ノルさん、意外と石頭ですし。それよりも、です」


 それた話をロゼが修正した。


「シュクレちゃんがどちらに向かったのかを探らなければ」


「探る? どうやって?」


「もちろんノルさんの鼻で」


「俺は犬か」


「お願いします。ノルさんの働きで夜がローストチキンになるか、パンひとつになるかが決まるんです」


「そんなに逼迫ひっぱくした財政状況だったの?」


 無言で頷くロゼに、ノルは危機を感じた。シュクレちゃんをつかまえないと夜のローストチキンどころか当面の食事も危ういのだ。パンひとつ。もしくは雑草。にんじんすら用意できないそんな生活が待っている。

 なによりロゼが落ち込むところも見たくないしなぁ、とノルは真面目な顔で鼻をひくひくと動かした。


「あっちだ! あっちからシュクレちゃんのにおいがする!」


 ぴょんぴょんと走りだすノルを追ってロゼもかけだした。



◇ ◇ ◇



「いました!」


 小路地の奥の奥。するすると狭い道を進んでいくシュクレちゃんを追いかけること二時間。あれから白猫を探して石階段を昇ったり降りたり、細い路地を入ったりと、とにかく大変だった。そのたびにノルは猫たちにからかわれて機嫌を悪くするし、ロゼはロゼで顔から蜘蛛の巣につっこんだり、それはもう苦労した。ようやく辿りついた先は行き止まり。やっとシュクレちゃんを射程圏内に入れることができた。


(ここが正念場ですね)


 ロゼは思考する。シュクレちゃんまでは目測で三十歩。これより先に近づけば、きっとシュクレちゃんは逃げてしまうだろう。


(……こういうときは!)


 これしか策はない。ロゼは腰を屈めると、ノルの身体に触れた。


「ノルさん。ちょっと失礼します」


「おわっ──?」


 ロゼはノルを抱きかかえると投てきポーズを取った。

 そのままシュクレちゃんに向かって、魔球ノルを投げつける!


「のわぁああああああ!」


 ノルの絶叫が路地裏に響きわたり、シュクレちゃんの「みぎゃっ」とつぶれた声をあがった。しかし間一髪。シュクレちゃんは飛び上がるとぶわりと毛を逆立てて路地の出口、つまりロゼの方向にむかって駆け出した。魔球ノルは外れて壁に激突した。だが、これも読み通り。シュクレちゃんの前には余裕たっぷりな表情のロゼが待ち構えており、


「はい、キャッチ。ノルさーん、お疲れ様です。ナイス頭突きでした!」


 ロゼが右手をあげる。ノルは彼女を見あげた。頭を地面に足を壁に。猫をかかえてぶんぶんと手をふるロゼを逆さの視界にいれて、ノルは落涙した。

「俺の扱いっていったい……」


 ロゼの腕のなかで、シュクレちゃんがしょぼくれた声をあげた。


 ◇ ◇ ◇


「ありがとうねぇ」


 シュクレちゃんを捕まえたノルたちは、メモにあった老婆の家までやってきた。なかなかに大きな家だ。ロゼは緊張しているのか、なかに通されると、そわそわとシュクレちゃんを老婆に渡した。


「こちらがお代です」


「あ、はい。たしかに」


 金貨を握りしめ、ロゼはほくほく顔で笑うと、急に老婆が机に手をついて咳きこんだ。ロゼは急いで老婆にかけより、背中をさすってあげた。


「大丈夫ですか?」


「大丈夫よ。さいきんもまた寒かったからねぇ。風邪かしら」


 老婆がすこし困ったように笑う。季節は春のはじまりだ。冬を越えたとはいえまだまだ寒い日もある。ロゼは持ってきた木網のバスケットから、ティーポットを取り出した。


「お婆さん、良かったら一杯いかがですか?」


「それは……」


 ノルはちらりとロゼの顔をみる。実はシュクレちゃんをつかまえたあと、わざわざ店まで戻ったのだ。午前中にロゼが作っていたホットジンジャー。新しいものを用意した。

 理由はまあ──


『ホットジンジャー? なんだってそんなもんを』

『ほら、あのお婆さん咳をしていたでしょう? 春とはいえ、まだまだ寒い季節ですから 』

『ほーん。意外と気がきくのな』

『もちろん。なんたってわたしは篝火の魔女。寒さで冷えた身体もぽっかぽかです』

『それは何かの決め台詞なのか?』


 などというやり取りがあったのだ。


(お茶、冷めてないといいけどな)


 いちおう向こうを出るときに熱々のものを淹れてきたから、問題はないだろうが。むしろちょうどいい頃合いかもしれない。彼女は持参した木のコップにお茶を注ぐと、優しい笑顔を浮かべて老婆に差し出した。


「ホットジンジャー。寒さで冷えた身体を温めててくれる優れものです」


 風邪の引きはじめに一杯いかがですか?

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