シナモン薫るアップルパイ①

 さてさて珈琲をいれましょう。

 お砂糖はいくつ? 

 ミルクはたっぷり?

 シナモンの粉は、どのくらいかけますか?




「いや、いらないけど」


 氷の魔女ロゼッタの料理工房もといロゼの料理屋の一室にて、ノルは鼻をぺろりとなめて、水をがぶ飲みしていた。


「きょう暑いし、ホットコーヒーとか地獄じゃね?」


「それもそうですね。冷たい珈琲にしましょうか」


 季節は夏! 

 ……ではなく、いまだうららかな春の陽射しが差しこむ今日この頃。先週までの寒波から一転し、ここ数日は初夏の兆しを感じるほどに温かさを取り戻していた。否、暑すぎて、ふたりとも机のうえにだらしなく伸びていた。


「きょう、すげぇ暑いけど、なに? 急に夏来た?」


「いえ……通年どおりの温度だと思いますが……、暑い、ですね……。温暖化の影響下でしょうか」


「なにそれ」


 ロゼは上着のローブを脱ぎ捨て、ぽいっと投げると、アイスコーヒーを一気にあおった。今日の彼女は白のブラウスと鳶色とびいろのスカートを履いている。いちばんお気に入りの服。というよりも、同じ服を何着も持っているらしい。理由はノルの知るところではないが、彼女は森の奥で育ったそうだから、流行りには疎いのだろう。野暮ったい格好だなぁ、とロゼを見上げつつ、ノルはアイスコーヒーに舌をつけた。


「今日も暇ですねー」


「だなー」


 ほのぼの。相変わらず暇なふたりのもとに、今日は珍しい客が顔をみせた。


「こんにちは。失礼するよ」


 からんとドアのベルが揺れて扉から入ってきたのは、緑髪の眼鏡をかけた青年だった。


「ペ、ペリードさん⁉」


 ロゼが慌てたようすで椅子から立ちあがる。


(ペリード?)


 ノルが首をひねると、青年は穏やかな笑みを浮かべてロゼのもとまで歩いてきた。


「久しぶりだね、ロゼ。君が店を出すことは聞いていたけれど、なかなかこれなくて今になってしまったよ。開店祝いにこれを」


「あ、ありがとうございます」


「相変わらず、お美しいな。まさに森の妖精といった感じだね」


「ど、どうもです……」


 赤薔薇たっぷりの花束を受け取り、ロゼは気恥ずかしそうな、当惑したような硬い笑顔を浮かべて彼を近くの席へと案内した。ペリードなる青年は優雅な所作で椅子に座ると、ロゼから出された珈琲(ホット)に口をつけた。ノルは青年をじっと見つめた。


(おいおいおい! あの兄ちゃん。ロゼの恋人かなんかか?)


 森の妖精のように美しいってか?

 実はロゼが青年を席へと促す前、彼は片膝を立ててロゼの手の甲に口づけを落としたのだ。歯が浮く台詞と親しげ(?)なボディタッチ。

 うさぎのノルから見れば、そんな挨拶ひとつでも恋人かと疑ってしまうのだ。


「店はどうかな? 繁盛しているかい?」


「いえ、それがまったくでして」


「そうか。まぁこういうのは積み重ねというからね。僕も職場のみんなに宣伝してみるよ。ロゼのご飯はおいしいからね。いちど来ればみんなも通ってしまうこと間違いなしさ」


「あ、はは……そうだと嬉しいのですけどね」


「大丈夫。自信を持ちたまえ。──と、そうだった。今日は兄さんから手紙を預かってきたんだった」


「手紙、ですか?」


「これを」


 青年が懐から手紙を出して、机のうえに置いた。蝋で固めた便箋だ。どこかの家の紋章だろうか?

 ノルが机に飛び乗ると、貴族っぽい紋章と、長い文字の羅列が封筒にかかれてあった。


「こら、ノルさん。駄目ですよ。いまはあちらに行っていてください」


(なんだよ、俺がいたら何か不味いような話でもするのか?)


 口には出さないがノルはロゼに視線で訴える。ロゼは困ったようにノルの身体を持ち上げると横の椅子に座らせた。


(……む)


 すこし不愉快だ。ノルは机のはしに前足をかけてじと目でロゼを見あげた。


「可愛いね。最近、飼い始めたのかい?」


「ええまぁ。王都こちらに来る前に遺跡へ立ち寄ったら拾いまして」


「遺跡に? ああ、君はそういう冒険じみたことが好きだと前に話していたね。なにかいい魔導品はあったかな?」


「いえいえ全然でしたよ。でもノルさんと出会うことができたから、まぁ……」


 言って、ロゼはノルの背中を撫でた。ノルが目を細める。


(魔導品……)


 先日、ロゼが話していた。たしか各地に遺跡と呼ばれる古い建造物があるらしい。そこには魔力を秘めた道具。簡単にいうと魔法のアイテムが存在し、一般の市場には流せないほどの高い値で取り引きされているとか。ロゼのような魔導師は、魔導品をつかって魔法を発動するやつが多い。だけどロゼは正真正銘の魔女だから、そんなものが無くても魔法を使えることが出来るのだと、平らな胸を張っていた。

 ノルがぼんやりと思い出していると、ロゼは彼から便箋を受けった。


「いまこちらで拝見しても?」


「もちろんだとも」


 ロゼがカウンターからペーパーナイフを取り出し便箋を開く。なかから出てきたのは簡素な二つ折りの紙。広げると、びっしりと文字が書いてあった。


(なになに?)


 彼女の腕に前足を乗せて、ノルが手紙をのぞきこむと、うえのほうに『依頼』という文字があった。青年が茶菓子を口にしながらたずねてきた。


「ルナの葉は知っているかな?」


「ルナの葉……たしか、心を落ち着かせる葉っぱですね」


「そうだね。すこしその葉が入用でね。もしも可能なら採取をお願いしたいと兄さん——ああ、いや、魔導師団長が言っていたんだ」


「ああ、あの方ですか」


 ロゼが一瞬だけ天井をみあげる。その魔導師団長やらを想起したのだろう。


「本来なら険しい高地でしか育たない木なのだけれどね。魔導師団長曰く、ニアの森に近縁種が生えているらしい。効果のほどはルナの葉よりも薄れるが……ひとまずそれで代用できるからと話していた」


「なるほど。ですが、なぜわたしに直接依頼を?」


「ほかに適任者がいないからかな。そろそろ祭りがあるだろう? だからそちらの準備で城の者たちは忙しくてね。軍属ではない、一般の魔導師に依頼をするとなると、それなりに信頼できる相手が望ましい。そこで君が選ばれたというわけだ。ほら、君。うちの魔導師名簿に名前を残しているだろう?」


「ああ、そういえばそんなこともありましたね」


「そう。とくに『篝火かがりのロゼッタ』は、軍部うちのなかでもけっこう名が通っているからね。ちょうどユーハルドに店を構えたときいて、ぜひお願いしようという話になったんだ」


「ふむ。なるほど……」


「ちなみに報酬は弾むよ。金貨五枚でどうかな?」


「五枚⁉」


 ロゼが勢いよく椅子から立ち上がり、身を乗り出して叫んだ。青年が驚いて目を丸くしているが、ノルもつぶらな瞳をかっと開いて驚愕した。


(五枚っつったら……おいおいおい、人参何本ぶんだ?)


 ノルは想像して目が回りそうになった。

 人参に押しつぶされる自分。夢のような光景だ!

 よだれが垂れそうになるノルの横で、ロゼが力強く答えた。


「やります」


 真剣な目だ。表面上は平静を装っているが、内心ではおそらく飛び上がるほどに喜んでいるのだろう。青年が優雅な笑みを浮かべて彼女に右手を差し出した。


「本当かい? それは助かるよ。じゃあ、十枚ほどでいいそうだから、よろしく頼むよ」


「はい。氷の魔女ロゼッタ。たしかにお仕事承りました。あなたに火の加護がありますように」


 ロゼが彼の手を握り返した。交渉成立だ。手を離すとロゼは「そうだ」と口にした。


「あの、ひとつお願いしてもいいでしょうか?」


「なんだい?」


「登録名簿の内容、『氷』の名前に変更してもらうことは可能ですか?」


「変更?」


 青年が怪訝そうな顔をして、あごに指を置いた。一瞬だけ逡巡するようにロゼから視線を外したあと、青年はうなずいて答えた。


「うん……、たぶん大丈夫だとは思うよ。けれど、念のために理由を聞いても?」


「なんとなくです」


(なんとなくかよ)


 青年が戸惑っている。まぁ当然だろう。ロゼもそれでは駄目かと思ったのか、いつものように上を向いて思案すると理由を口にした。


篝火かがりの通り名も気にいってはいるのですが、氷のほうが好き……といいますか。なによりこの国では、こちらの名前で自分を売りこみたいなと思いまして」


(売りこむって……)


 言葉の選び方がすこしあれだが、青年はとくに気にしていないのか、二つ返事で了承してくれた。


「なるほど。そういうことなら兄さんに伝えておこう。どうせなら好きな名前で活動したいだろうからね。──それじゃあ、依頼の件は頼んだよ」


「はい、お任せください」


 青年はロゼの前で優雅に一礼すると、店から出て行った。ノルは机に飛び乗り、くるりとロゼのほうに身体を向けた。

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