紅茶のスコーン④
いつも通りの美味しいお菓子だった。
だけどわたしは欲が出てしまった。
その日に出たのは黒ベリーのスコーン。
わたしは胡桃のスコーンが食べたかった。どうしてベリーなのか。
今日は胡桃の気分なのに。
わがままなことを言った。それは自覚している。
でも彼女のつくる胡桃のスコーンは絶品なのだ。誰よりもどの店よりもおいしく焼いてくれるから、「今日はベリーの気分じゃない」と顔を背けてしまった。
とうぜん彼女は怒った。
でもまぁ、いつものことだ。わたしが拗ねれば彼女は小言を言って新しいお菓子を用意してくれる。
いつもの光景。ささいな日常。
けれど、その日は違った。
怒った彼女は、もうお菓子を作ってあげないと言った。だから返してしまったのだ。
それくらいわたしにも作れる、と──。
◇ ◇ ◇
「あとでほかの侍女たちから聞きましたが、それは彼女がわたしのために特別に用意してくれたものだったそうです」
「と、いいますと?」
「わたしが庭で育てていた黒ベリーの小さな木。そこに実ったものを使い、作ってくれたそうです。父から叱れて落ちこんでいたわたしを喜ばせようとして」
「それは……」
「ね。馬鹿でしょう、わたしは。そんなことも知らないで大喧嘩をして……。それから彼女とは屋敷のなかであってもなんだか気まずくて」
サラは寂しそうに帽子の鍔を指で撫でた。おそらく彼女の口ぶりからして友人とは屋敷の侍女のひとりなのだろう。サラがこちらをみて微笑んだ。
「だからせめて、今度の彼女の誕生日には、彼女のいちばん好きな紅茶のスコーンを作って渡そうと思ったんです。いつもこんなに大変な想いをして作ってくれていたのに、ごめんねと謝りたくて」
「…………」
いまにも泣きそうな笑顔だった。それをみてロゼは今朝のことを思いだす。
(そうでした。わたしも……)
本当は、あんなに怒るつもりは無かった。ひとこと「ごめん」と謝ってもらえれば、許したのだ。それをノルが意固地になるからついカッとなって契約を解除するなんていってしまった。
(ノルさん……)
きっと彼女の友人も、今ごろ後悔していることだろう。サラは帽子を深く被り直すと、ドアノブに手をかけた。
「それではそろそろ行きますね。ありがとうございました。ロゼさん」
サラが扉を開く。それを、
「待ってください!」
ロゼはサラの手をつかんで強く引き留める。目をぱちぱちとさせて驚いた顔だ。
「ロゼさん?」
「やっぱり、もういちどだけ」
彼女の瞳をまっすぐみてロゼは言う。
「もういちど。いえ、なんどでも。サラさんが作れるようになるまでわたしが教えます。教えさせてください!」
ロゼは勢いよく頭をさげた。サラは慌てたようすでロゼの肩に手を置く。
「で、ですが……わたしの料理の腕では、明日までにスコーンが焼ける未来がくるとはとても……」
「大丈夫。なにごとも練習あるのみです。ぎりぎりの時間まで粘りましょう! ──それに」
ロゼはいちど言葉を切り、自分の胸に右手を当てて笑う。
「わたしは
「ロゼさん……」
サラがはっと目を開く。やがてふたりはがしっと両手を握りあった。
◇ ◇ ◇
「いや、それはさすがに大げさすぎんだろ」
絶望的な未来ときた。サラとやらの腕も大概だが、練習すればいつかは作れるようにはなるし、彼女にも失礼である。しかもなにやら変に盛り上がっているし。
ノルは窓のそとからロゼたちを覗きみていた。
「あー、疲れた。さっさと家んなか入って、ひとっ風呂あびたいところなんだが……」
まだまだ無理そうだ。はぁーと長いため息を吐いて、ぶらさがっていた窓の木枠から手を離して地面におりた。
実はあのあと謎の遺跡を探索していたノルは、崩れた床につまずいて転んだり、木の幹に絡まったりして大変だったのだ。迷って迷って、そのすえに見つけたのは、ただの古びた室内庭園だった。
割れた天窓からそよそよと風が吹き抜ける静かな場所。財宝もなければ、肝が凍るような殺人現場もない。
血の香りも単に自分の耳から流れたものだった。どうやら森を走っているうちに鋭利な葉で切ってしまったらしい。
まったくもって、事件の欠片のひとつないノルのうっかりであった。
「まぁでもたまにはいいだろ。ノルさんの大冒険ってな!」
もふもふ冒険譚。これは王都で
あと数時間後。サラがスコーンを焼けるようになるまで、そう遠くはない未来だ。
そのときは自分もご
「さて、もうちっとぶらぶらしとくかー」
ぴょんぴょんと跳ねて、ノルは初夏の空の下を走った。
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