夏野菜のサンドイッチ②

 目をつむって縮こまっていると、少女がしゃがむ気配がした。すぐに額にごつんと痛みが走る。


「いたぁ!?」


 どうやら指で小突かれたらしい。額を押さえて彼女をみれば、感情の見えない瞳でノルを見ている。


「──冗談です。わたしの育った故郷では、森に住む動物を狩ることは原則禁じられていましたから、あなたをどうこうしようとは思っていません」


 少女が立ち上がる。


「サンドイッチの件は水に流してさしあげます。ですが代わりにひとつだけ質問に答えてください」


「質問?」


「この森の出口はどこですか」


 出口? ノルはつぶらな目をぱちぱちとさせて彼女を見上げた。


「なんだ、嬢ちゃんもしかして迷ったんか?」


「ええ」


「そっか。そりゃあ大変だなー……って! おい、おかしいだろ!」


 ぴしりと前足を少女に向ける。


「?」


「いやいやいや! そこで首をかしげるなよ! 俺っ、俺しゃべってんだぞ!」


「それがどうかしましたか?」


「ええ……うさぎが人の言葉しゃべったら驚くだろ普通……」


 なんでこの嬢ちゃん、平然としてんだよ。普通は驚くだろ。もしかしてあれか? クール路線なのか? いやでもクールというより愛想がない。淡々とした子だなぁ。

 ノルは少女の反応をみて何だかひとりだけ疲れた気がした。


「変なかたですね。人の言葉をしゃべる生き物でしたらたまに見かけますし、別に珍しくはないと思いますが」


「ええ? あ、そうなの?」


 自分が知らないだけで意外とふつうなのだろうか。少女が首肯する。


「ときどき森のなかを歩いていると、『こっちにおいで』、『遊ぼうよ』と、植物が枝葉を伸ばしてきたり、馬の形をした何かが語りかけてくることがありますから」


「いや、それ。お化けの類いじゃね?」


 変なお嬢さんだ。ノルはそっと息を吐いた。


「いっとくけど、ノルさんはお化けなんかじゃないぜ? れっきとした星霊せいれい! 間違っても、そーいう怪しいもんじゃありません!」


「星霊……ですか」


「そうそー。精なるもの。不思議な生命体。森の神秘。まさに精霊ってな!」


 その場でくるりと一回転して少女に主張してみせる。しかし彼女の興味は惹けなかったようだ。


「なるほど、そうですか。それで出口は?」


「うおい! そこはつっこめよ! もっと根掘り葉掘り聞いてくれよ!」


「そう言われましても」


「嘘だろ!? まさかおまえさん、俺に興味がないっていうのか!?」


「ええ、まったく」


「がーん……!」


 しくしくしく。ノルは耳を押さえて地面に伏せて泣いた。


「あの、はやく出口を教えてください」


 ぶれないお嬢さんだ。そんな淡々と言わなくても。ノルは林の隙間を前足で指した。


「あー、あっちあっち。西の方角にいけば、近くに人里があるからよ。こっから一時間くらいか? そんなもんでつくよ」


「ありがとうございました。それではさようなら」


「ちょいまち」


 ノルは少女を引き留めた。


「なんでしょう」


「嬢ちゃん、このへんじゃ見ない格好だが……どっかから来たんだ?」


大陸湖たいりくこの近くです」


「大陸湖? あー、こっからまぁまぁの距離にあるところだな」


 たしか大陸の中央にある湖のことだ。ノルがぼんやりと思い出していると、少女が頷いた。


「ええ、ひとつ山を越えた先ですね」


「ふーん。それで? そんな遠くからなんでこの森に? ここに来るやつなんざ、近隣の住民か、たまにくる騎士っぽい格好したやつくらいだろうて」


「まぁ単純に。この先の国に向かうのに、ここをつっきるのがもっとも近道でしたので」


「近道って……。あぶねぇぞ? 若ぇ嬢ちゃんがひとりで森に入るなんて。変なやつに襲われたらどーするんだ?」


 最近は春だから頭があれなのも出てくるし。

 ノルは少女を心配したが彼女は平気らしく、すこし誇らしげに胸を張った。


「大丈夫です。こうみえてわたしは魔女ですから」


「魔女?」


「はい。わたしは氷の魔女ロゼッタ。火の魔法が得意なんです」


「氷なのに火なん?」


 問うと、スルーされた。


「そういうわけなので、わたしの心配は無用です。今度こそさようなら」


「まて!」


「なっ──!」


 くるりと背を向ける少女のローブをノルが強く引っ張ると、少女は前につんのめり、首だけかえりみて軽くにらんだ。


「なんですか?」


「いや……あー、あのさ! あんた魔法が使えるってことは強いのか?」


「それなりには」


「自分でいうんだ……まぁいいや。それならさ、ちょいと力をかしてくれよ」


「貸すとは?」


「お、おう。実は最近この森には悪い魔物が出るんだよ。それを討伐してほしいんだ」


「魔物? それは魔獣のことでしょうか?」


「魔獣? なんだそれ」


「額に魔石がついた獣。特定の森の奧地にいるもので、とても獰猛どうもうな存在です」


「ほーん?」


 聞いたことが無いから、この森にはいないのだろう。ノルが逡巡しているとロゼは冷たく腕を振り払った。


「魔獣退治でしたらフィーティアが専門にしています。そちらに討伐を頼んでください」


「ふぃーてぃあ?」


「……大陸の調停機関。魔獣退治に異郷返いきょうがえりの保護。そのほかいろいろ。それでは今度こそ、さようなら」


「なっ、だから待てってばー!」


 ノルが必死に少女にひっつく。腕をふってもふってもローブから離れないノルを黙殺して、彼女は嫌悪をあらわにする。


「しつこいです」


「頼む! 助けてくれ!」


「嫌です。わたしは急ぎユーハルドに行かなければなりませんので」


「ユーハルド? ああ、妖精国とかいうところ? だったらそう遠くはないだろ? ここはうさぎを助けると思ってさぁ!」


「お断りです」


「頼むよぉー!」


「ちっ、このうさぎ。本当に燃やしてやりましょうか」


「怖っ! でも俺は引き下がらん!」


 そんな感じであーだこーだ。ローブをひっぱるノルを引き剥がそうと少女はノルの頭を手のひらで押す。しかしふとなにかに気づいたのか、少女はローブを脱いで地面に投げた。


「おわっ!?」


 こてんとノルが尻餅をつく。


「さようなら。そちらのローブは餞別せんべつにさしあげます」


 つかつかと足を早める少女。そのうしろからノルが叫んだ。


「助けてくれたら! 何でもするから! お前の下僕げぼくにでもなってやるからぁ──!」


 少女がぴたり足をとめる。くるりと振り向き、疑心の目をノルに向けた。


「それは、本当ですか?」


 ノルは大きく頷き、彼女のそばにかけよった。



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