シナモン薫るアップルパイ④
「すまなかった!」
「い、いいえ。そのように謝っていただかなくとも」
ロゼが困惑じみた表情を浮かべて両手を突きだし、ぶんぶんと頭を振った。彼女の前には申し訳なそうな顔で頭をさげてくるペリードがいる。
(まさかの情報違いとは……)
ノルはくわりと小さな口をあけて欠伸を噛みしめた。
森から戻ったロゼたちは、城の門兵に頼んでペリードに伝令を出してもらい、店で待機していた。陽が落ちた頃に現れたペリードは、開口一番に「ごめん!」と叫んでそれはもう扉を蹴破るように騒々しく入ってきた。
ちょうど夢のなかに落ちていたノルは、何事かと飛び起きてしまったのだ。
「本当に申し訳なかった! まさか兄さんが木を見間違えるだなんて……」
「ま、まぁほら。魔導師団長さまも何かとお忙しいかたでしょうから、うっかりなんてこともありますよ」
「いやいや。五侯爵家の者として、間違いなんてことはあってはいけない。あのひとも深く反省して君あてに何十枚も文を書いていた。そのうち届くと思うが、どうか許してやってほしい」
「え、いえ……そんなに手紙を送られても読み切れませんけど?」
何十枚って。ロゼとノルの頭の中は大量の紙で埋もれた。
「ええっと、とりあえず取ってきた葉っぱはどうしますか? いちおうニケの木という植物で、木の皮なんかを加工するとルナの葉に似た効果はありますけど」
「ああ、そうだね。葉をもらってもあれだけれど……うん。依頼はきっちりこなしてくれたみたいだし、いただいておくよ。これを兄さんに渡して、より反省してもらうことにしよう」
なんだか可哀想な兄貴だ。
ノルはふたりのやり取りを見て、ここにはいない魔導師団長とやらにすこしだけ同情した。ロゼが青年にニケの葉を渡すと、彼は申し訳なさそうに告げた。
「それで、報酬なんだけど……すまない。最初に伝えた金額はルナの葉の価格を考慮してのことだったから、あれは出せないんだ」
まぁそうだろう。ノルにルナの葉の市場価格はわからないが、ロゼ曰く「めっちゃ高い」のだそうだから、金貨五枚の報酬が下げられてしまうのも無理はない。
ロゼもそれは理解しているからか、大丈夫だと彼に告げている。だがノルは見逃さない。
(あの顔は……、『ち、この役立たずめが。その眼鏡売って金貨五枚よこせや』とか思っているんだろうなぁ)
もちろんノルの想像である。ただあながち間違っていないかもしれない。
ロゼは基本的にはいい子だが、内心ではけっこう毒も吐く。出会って間もないノルもよく、彼女が料理を作りながらぶつぶつとひとりごとを言っている姿を目撃する。
やれ、ハゲる呪いをかけてやろうかだとか、扉の角に足の小指をぶつけて苦めばいいのにーとかとか。
……まぁ、誰しも裏はあるものだ。それを表に出さないのはロゼの美点だろう。でもひとりごとはうるさいからやめてほしい。あと眼鏡に金貨五枚の価値はない。
そんな回想にノルが浸っていると、いつのまにかお代(それでも金貨一枚)を受け取ったロゼに、青年がなにかの籠を渡している。
「その代わりといってはなんだが、これを」
「これは……?」
丸い木網のバスケットだ。ちょうどノルがすっぽり入る大きさだが、白い布がかかっていて中身が見えない。
青年が爽やかな笑みを浮かべる。
「アップルパイ。好きかな? 僕が作ったのだけれど——」
「アップルパイ⁉」
ロゼが叫んだ。
「え? ああ……」
「アップルパイといったら、あれですか⁉ りんごの甘煮をパイ生地に包んで焼いた、あの! アップルパイですか⁉」
「そ……そうだね。その説明で間違っていないよ」
「————っ!」
ロゼの顔がぱぁっと輝いた。口元を両手で覆って『感激!』といったようすだ。反対に青年は若干引いているが彼女の視界には入らない。ロゼががしっと青年の手を両手でつかんで詰めよった。
「ペリードさん!」
「な、なんだい」
「ありがとうございます。最高の報酬です」
雪解けのような温かな笑顔。ノルは後ろ足で耳の裏をかいた。青年の頬がわずかに赤くなっているがそれは見なかったことにしよう。
依頼を受けて、散々な目にあって結局は徒労に終わった。しかし最後はこうして彼女のいちばん好きな菓子にありつけた。これで機嫌が直って、人参なしの話が流れますように。
ノルは彼女のもとへ走った。
(まぁ、たまにはこういうのもいいんじゃないか?)
今日はいつもと違うロゼ以外の手料理。
さっそく皿を並べて、冷たい珈琲を淹れて。
甘いお菓子で疲れを癒そうじゃないか。
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