第29話 小春との勉強会 後
夕日も沈み、窓の外は黒く染まる中、碧斗と小春は二人きりの勉強会を、小春の部屋で開催していた。
「……何ですかこれは」
数学の授業以来の、暗号の様な文字列と数字列に、小春は頭を抱えていた。
「そこ、問1だぞ……?」
「問1……? それが答えですか?」
「違うわ」
想像以上の頭の固さに、碧斗の内心は驚愕する。
というか、問1が答えな訳が無い。
「まずな、この数字とこの数字が、グラフの頂点の座標を表す数字になるんだ。それで、それを元に公式に当てはめ……」
「あわわわ……ちょっと……碧斗くん速いです待ってください」
人から聞くと、もっと理解が追いつかない。
参考書は動かない文字だし、ずっとそこに書いてあるからいいものの、人の口から出る言葉は現存しないし、空気に消えていく。
――それでも、小春は必死に追いつき、理解しようとした。
「そうだな。ごめん、もう少し丁寧に言うわ」
そんな小春を、碧斗も理解していて。
「はい。……お願いします」
「じゃあ、まずこのグラフ見て。あと、この式」
「……はい」
「ここの数字あるじゃん? まずこれが、X軸の頂点の座標ね」
「……なるほど」
参考書を指しながら丁寧に説明していく碧斗と、何とか理解して、頭に叩き込む小春。
きっと、陽葵と乃愛だったら、途中で折れてしまうだろう。
「うし、じゃあもう一回問1やってみて?」
「わかりました」
碧斗から教わった事を頭の引き出しから取り出して、黙々と解いていく。
そんな小春の横顔を見て、碧斗も微笑ましくなった。
「……どうですか」
綺麗な数字が書かれた参考書を、碧斗へと見せた。
答えを待つ小春の顔は、どこか儚くて、どこか苦しそうな顔で。
「……お、合ってる! さすがだな」
「え!? やったあ!」
小さくガッツポーズをして、碧斗の方へと向く小春。
黒髪の天使の顔はうってかわって、微笑みが浮かんでいた。
「乃愛と陽葵だったら絶対無理だっただろうな」
「あの二人と一緒にしないでください。私は勉強だって頑張れるんですから!」
「そうだな。やれば出来る子だ」
「じゃあ、頭撫でてくれませんか?」
「相変わらず"じゃあ"の意味は……今回は分かるな」
「もう、はやく撫でてください」
パンクしそうだった頭に、愛しい碧斗の手が乗る。
包み込むようなその優しい手に、小春の笑みは、満面の笑みへと進化した。
「はい、終わり。次の問題やるよ」
「ふふ。回復したのでもっと頑張っちゃいます」
「それは良い心意気で。とりあえず、自分でやってみて」
「はーい、碧斗先生っ」
「……」
気分が上がりまくっている小春に、碧斗も若干やられそうになる。
「先生って呼ばれるのも全然悪くないな」なんて思いながら、小春の手元を見ると、全く動いていなかった。
「碧斗先生……わからないです……」
「早いぞ、君」
「はい……」
先生と呼ばれたことに感化されたのか、何故か碧斗も教師の様な真似をする。
「えーどれどれ。次はこの数に注目してみて。後はさっき言った通りにやってみれば、難なく出来るぞ」
「わかりました!」
元気な美女生徒・夜桜小春は返事をすると、再び黙々と問題に取り掛かる。
まさにその姿は優等生で、完璧だ。
――そりゃあ隠したくなるなぁ……
姿勢も、態度も、字も、全てが優等生そのもの。
確かに、こんな姿を見せられたら、授業中に当てる必要も無い、と思う。
勿論、それは悪い意味では無く、良い意味で。
「……出来ました!」
「……おお! 合ってる!」
「はぁ、こんなに嬉しいんですね」
「すごいな、小春」
再度、満面の笑みが小春の顔に浮かぶ。
勿論、ご褒美も、もう一度。
「じゃあ頭撫でてください」
「毎回じゃん」
「んもう、こんなに頑張ったんですから!」
「小春さん、まだ問2……」
「ん、いいんです!」
「早くしてください」と言わんばかりに、碧斗を睨む。
そんな、か弱すぎる威圧に負けて、碧斗が頭を撫でると、小春は「ふふ」と微笑んだ。
その後は、頭を抱えながらも碧斗に説明してもらい、解き続けた。
無論、頭を撫でてもらうのも忘れずに。
◇◇◇◇◇
10問程解いた後、流石に疲労が襲ってきた二人は、ぐったりと肩の力を抜く。
休憩タイムが始まった。
「ふぅー、ちょっと休むか」
「そうですね。私も疲れました」
「どう? 分かりそう?」
「まあ、はい。前よりかは圧倒的に分かってる気がします」
「そうか。めっちゃ頑張ったもんな」
「碧斗くんの教え方が上手いからですよ」
「そんなことない」
謙遜する碧斗だが、全く過言では無い。
――本当に、小春が頑張りすぎていた。
理解出来ない部分はその度に聞いて、正解するまで同じ問題を解き続けて。
乃愛と陽葵では、絶対に心が折れていたはず。
「にしても、小春は努力家だよな」
「そうですか?」
「うん。多分、乃愛なんて途中で投げ出すと思う。陽葵なんてマジで頭爆発しそうだし」
「ふふ。さすがにその二人よりかは出来ますよ」
少しの嘲笑と、少しの謙遜を混じえて小春は微笑む。
想像出来すぎる乃愛と陽葵の姿に、碧斗も微笑んだ。
――明るくなった雰囲気で、碧斗は切り込む。
「――小春って、周りからどう思われたいんだ?」
「……はい?」
不意な碧斗の発言に、小春は目を開く。
「みんなはさ、小春のこと"完璧"って思ってるじゃん」
「……そうかもしれませんね」
「――小春はさ、そう思われたいの?」
シンプルで、単純で、純粋な質問。
でも、小春の心の内には、複雑で、
「思われたい、というよりも……」
「うん」
言葉を続けようとした小春が、若干口を噤む。
そして、刹那の沈黙が起こった後、本心を語り始めた。
「――思われたい、というよりも、がっかりさせたくない、が正解です」
乃愛と陽葵が言っていたように、間違った完璧に拘る小春が、そこにはいた。
我慢をしてまで、人を落胆させない事が完璧だと思っている。
「私、完璧なんかじゃないんですよ。バカだし、すぐ怒るし、口も悪いし。それでも、皆が完璧って思ってくれてるなら、その期待を裏切っちゃいけないって思うんです」
切なさを孕んだ声で、小春は本心を語り続ける。
「だから、完璧でいたいんです。誰かが完璧って思っているなら、お手本って思っているなら、崩したくないんです。その理想を」
誰かが理想像を持っているなら、幻滅させたくない。
それが、小春の本心で、囚われている"完璧"で。
全否定する訳ではないが、確実に正解では無い。
「いいんです。私はこのままで。素性を知る人は、碧斗くんと、乃愛と陽葵だけで構いません。ずっと、そう思っています」
完全に、小春の中の完璧は悪方向に働いていた。
微笑む小春の笑顔の裏には、並々ならぬ罪悪感と、虚無感がある。
我慢を重ねて、小さな罪悪感に耐え続けた結果だ。
――そんな小春を、陽葵と乃愛が、放っておける訳がなかった。
「――それは、違うと思うぞ」
偽物の笑顔を浮かべる小春に、碧斗ははっきりと言う。
言われた小春は、少しだけ困惑した。
「ち、違うって何ですか?」
「そのまんまだ。小春の中の完璧は、違う」
「どういうことですか。何も違くないと思いますが……」
発言の真意が分からない碧斗に、小春も困惑した。
一方、勘違いしている小春に、碧斗は正面から言葉を向ける。
それはさながら――先生と生徒のようで。
「完璧ってのは、何も能力だけの事を言うんじゃない」
「……でも、みんなは私のその能力に期待してると思うんですけど」
「違う。断じて違う」
「……何が違うんですか」
「それは――表面上だけの話なんだよ」
小春に伝わるように、その笑顔を本物にする為に、碧斗はしっかりと口にする。
「表面上……ですか」
「そう。じゃあさ、小春がテストの点数悪かったとして、それが誰かにバレた時、いや、"小春を完璧だと思っている人"にバレた時、その相手は小春のことをどう思う?」
「……ガッカリすると思います」
相変わらず、小春の考えは変わらない。
根本的に蔓延る"完璧像"が、曲がっている。
そして、それを思う度に、無意識の内に自分を苦しめている事も、分かっていない。
「――それを思う度、自分の中で疲れないか?」
言われた小春は、ハッとするような顔をした。
今まで感じていた小さな罪悪感が積み重なって、容赦なく心を蝕んでいたことが、浮き彫りになったような感じがして。
沈黙する小春を傍目に、碧斗は言葉を続けた。
「小春が今まで積んできたものって沢山あるだろ。人当たりの良さだったり、優しさだったりさ。そういうのも全部ひっくるめて考えてみて」
「……」
「能力よりも、頭脳よりも、もっともっと大事なものが見えてくるはずだから」
そんな薄っぺらいものよりも、小春の積み重ねてきたものは、もっと大きくて、もっと偉大なのだ。
「――人間性……ですか」
「そう、そうだよ、その通りすぎるよ。だから、バカだとかさ、勉強が出来ないとかさ、そんな表面上の事知られたって、小春の『完璧さ』は絶対揺るがないよ。それが今まで、小春が積み上げてきたものだから」
「……分かりません」
若干、思いが傾きかけた所を、小春の間違った完璧が対抗する。
碧斗が説得してもまだ、それでもまだ、小春の優しさが悪い方へと働いていて。
積み重なった偽物の"完璧"は、簡単に取り除けなかった。
「……私には、その気持ちが分からないです。たとえ人間性が良くても、バカだって知れば幻滅するし、印象だって悪くなるかもしれません」
小春の言い分も、一理ある。
完璧だと思っていた人が、バカだと知ってしまえば相対的にその評価は落ちるもの。
どこまで落ちるかは個人の裁量だとしても、上向きにはならないのだ。
――ただ、それを遥かに凌ぐ根拠を、碧斗は持っている。
「――陽葵と乃愛も、心配してたぞ」
碧斗の言葉を聞いた瞬間、小春の顔つきが変わる。
「……陽葵と乃愛が、ですか?」
「うん。小春の自慢の幼なじみが言ってた。『疲れちゃうんじゃないか』って」
どんな思いがあろうと、幼なじみの関係性は断ち切れない。
不仲だろうが、軋轢があろうが、心の底では大切な想いで繋がっている。
そんな二人からの陰ながらの心配を聞いた小春の目には――
――いつしか、涙が溜まっていた。
「なんであの二人が私の心配を……?」
「『本当の小春をみんなに見てもらいたい』ってのも言ってたし、それが理由だろうね」
「本当の私……ですか」
「そう。もっと具体的に言えば、"面白くて可愛い小春を見てほしい"って言ってたな」
今まで、支配されていたものを、小春は心の中で浮かべる。
正しいと思っていた"完璧"のせいで、美しいと思っていた"お手本"のせいで、無意識の内に罪悪感が生まれてしまっていたこと。
そして、いつしか我慢と誤魔化しで精一杯になり、無理矢理な"完璧"を見せていたこと。
――その"歪んだ完璧像"を、流す涙と共に捨てて。
「本当の小春を知ってるからこそ、そう思ってるんだと思うよ。不仲だからとかじゃなくて、幼なじみとして、素敵な小春をみんなに見てほしいって」
――自慢の幼なじみの、自慢の姿を見てほしい。
完璧を繕う今でも、十分に自慢できるけど、それよりももっと、可愛くて、かっこいい小春がいる。
それが、乃愛と陽葵の、本人には絶対に言えない本心なのだ。
「……私は、弱さを見せて良いのでしょうか」
「当たり前だ。隠したって、あの二人には一瞬で気付かれちゃうな」
「……誰かに、幻滅されてしまうでしょうか」
「されない。されたって、あの二人が絶対に助けてくれる」
「……碧斗くんも、助けてくれますか」
「おう。大丈夫だ」
愛する碧斗からの力強い言葉と、大切な陽葵と乃愛からの陰の温もりに、小春の涙腺はどんどんと緩む。
――"楽に過ごしてほしい"、ただそれだけの、二人の純粋な願いが、小春の心を軽くしていく。
いつしか、頬を伝う涙も、不安から安堵の涙へと変わっていた。
「絶対、大丈夫だから」
優しい微笑みを、小春へと向ける。
そして、小春はおもむろに顔を上げ碧斗へと視線を向けると――
「――はい、碧斗先生!」
と、
◇◇◇◇◇
時は経ち、夜。
三人のグループトーク。
小春:『少しいいですか』
乃愛:『なに?』
陽葵:『はーい』
小春がトークを送ると、すぐに既読がつく。
小春:『その、あの、なんて言うか』
陽葵:『なーに? どーしたの?』
陰ながら心配してくれていたお礼の旨を伝えようとするも、プライドと羞恥が邪魔をする。
小春:『その、お礼的なことを言いたくて』
乃愛:『は? お礼?』
陽葵:『なーに? 小春?』
乃愛:『どーしたの?』
小春:『いや、なんて言えばいいのか分からないんですけど』
はっきりしない小春に、陽葵と乃愛は困り果てていた。
――とはいえ、幼なじみ。何の事かは、見当がついている。
陽葵:『まさか、陽葵ちゃんが実は心配してたって分かった? ほんのちょっとだけど』
乃愛:『私もそうだけど? 陽葵よりもほんのちょっとだけど!!』
尖る言葉の中には、はっきりしない小春を手助けするような気持ちが含まれていた。
そんな二人の文言に、小春も確かに救われていて。
小春:『そ、そうです』
乃愛:『んで、何よ』
陽葵:『小春は何が言いたいのかなあー』
小春:『その、二人とも、ありがとう』
プライドを捨てて、今だけは二人に感謝をする。
きっと、乃愛と陽葵がいなかったら、大切な幼なじみがいなかったら、今でも勘違いをしたまま過ごしていた。
乃愛:『お礼とか言えるんだ。まあいいけど!』
陽葵:『陽葵ちゃんが優しくて良かったねー!』
乃愛:『てか、私碧斗にしか言ってないはずなんだけど』
陽葵:『私もそうだよ? 夏鈴ちゃん経由で碧斗に伝えた』
いつどこで、碧斗からそれを聞いたのか。
学校で聞いたとしたら、小春はその時点でお礼を言ってくるはず。
小春:『今日、私の家で碧斗くんと勉強した時に聞きました』
久しぶりに良くなりかけた雰囲気をぶち壊す、小春の爆弾発言が投下される。
勿論、乃愛と陽葵が、黙っていられるわけが無い。
陽葵:『はあー!? あーあーあー、心配しなきゃ良かったー』
乃愛:『なんで!? よりにもよって家で!?』
小春:『しかも、碧斗くんから誘ってくれました』
こう言うが、家へと誘ったのは小春である。
とはいえ、些細な所にマウントを取りたがるのは、三大美女共通だ。
陽葵:『んあー!! もっと心配しなきゃ良かったんですけどー!!』
乃愛:『ムカつくー! 絶対テスト勝つ!!』
小春:『ふふ、陽葵と乃愛も私のお家に来ますか? 昔みたいに』
陽葵:『行くわけない! 代わりに碧斗連れてこい!』
乃愛:『そうよ! 碧斗と二人で使わせてくれるなら行くけど!?』
今日も今日とて、三大美女は仲が良いのか悪いのか分からない。
そんなグループトークが、繰り広げられていた。
――――――――
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