第6話 "大好きなのです":夜桜小春
「綺麗だなあ」
校門を出ると、オレンジ色に輝く夕焼けが街を照らしていた。
その光は本当に美しく、ずっと見ていると眠くなってしまう程だった。
転校初日だったのにも関わらず、激動の日だった。
自己紹介をすれば同じクラスに元カノが三人もいて。
その元カノ達は学年の中でも三本指に入る美女になっていて。
関わらないと思っている矢先に、小野寺陽葵に「まだ好きだから」と言われ。
とにかく、初日だったのにドッと疲れが押し寄せる。
そんなことも相まって、照らす夕日は何倍にも綺麗に見えてしまう。
「……ふわぁ」
精神的な疲労から、碧斗は歩きながら大きなあくびを出す。
そして、簡単に今日の振り返りをした。
「とりあえず友達は二人出来たからよかったな」
山下夏鈴と、間宮翔。
夏鈴に関しては席が隣の女の子で、何も分からない碧斗に色々と教えてくれた優しい女の子だ。
翔に関しては、最初、碑石に向かって「立ちション」してる奴だと勘違いされていたが、話せば分かってくれたので良しとする。
元カノが学年でトップクラスに可愛いと言う情報をくれたのも翔だ。
翔は、夏鈴のことが好きらしい。
まあ、まだ確定はしていないのだが、夏鈴のことを話すと露骨に妬いていたのでほぼ確実だろう。
――そして何よりも、小野寺陽葵だ。
学年三大美女の一人であり、碧斗の元カノ。
そんな陽葵から、「まだ好きだから」と、二人きりの空間で伝えられた。
"不快"とか"嫌"とか、そんな感情は一切無い。
ただあるのは、「困惑」だ。
どうしたらいいのか分からない、ただそれだけだった。
そんなことを考えながら、一人で帰路につき、家に向かっている途中。
「……ん」
どこからか、はっきりと聞こえない声が聞こえてくる。
声質的に女の子だ。
「……くん」
明らかに、近づいてきている。
人違いの可能性もあるが、万が一、碧斗を呼んでいる可能性も捨てきれないので、碧斗は声の方向である後ろを振り返ることにした。
すると、答え合わせをするように、その人物が碧斗の後ろに立っていた。
「――碧斗くん、ですよね」
細く、綺麗な声で碧斗を呼ぶのは、夜桜小春だ。
その端正な顔立ちと、均整のとれすぎているスタイルは、夕陽の輝きも上乗せされて「美女」そのものに更に磨きがかかっていた。
――そして何より、碧斗の元カノだ。
「そ、うだけど」
「今はおひとりですか?」
「うん、友達は部活があるって」
「そうですか、良かったです」
碧斗がそう言うと、小春は安堵するように胸を撫で下ろし、固くしていた表情を柔らかくして微笑んだ。
そうして、おもむろに碧斗へと近付いた小春は、目の前で立ち止まり口を開いた。
「一緒に帰っても、良いですか」
「いいけど、もう着くよ」
家まであと3分程の場所。
一緒に帰ると言ってもそんな時間はすぐ終わるだろう。
「その、よければなんですけど」
何かを言いたそうな小春は、視線を逸らし、頬を少し赤らめながら言った。
「――遠回り、しませんか。お話したいので」
夕陽のせいか、それとも小春自身のせいか。
言い切った小春の頬は、普段完璧な姿を見せている女の子とは思えないほどに赤い。
激動の一日で疲れていた碧斗だったが、拒否する程の理由ではないので「いいよ」と言う。
そして二人は、家までのルートとは別方向の道へと歩き出した。
「もうお友達出来たんですね、碧斗くん」
「まあね。向こうから話しかけてくれたから助かっただけだけど」
「いえいえ。人を引き寄せるのも立派な人柄だと思いますよ」
ゆっくりと歩きながら会話をする二人。
小春は、優しい微笑みを浮かべている。
「小春の方がすごいよ。休み時間だってみんな小春の所行ってたし」
「ふふ、ありがとうございます。でも、皆さんが優しくしてくれてるだけですから」
「それこそ小春の人柄ありきだと思うよ」
「それなら嬉しいです」
容姿端麗で、可憐で、完璧な美少女は、どれだけ自分が褒められようとも驕らない。
それは小学校の頃から変わっていなかった。
「……久しぶりに会えて、凄く嬉しいです」
少しの沈黙の後、小春は恥ずかしそうに言った。
普段、異性とは絡まない分、あまり慣れていない感じだ。
「俺もびっくりしたよ、まじで」
「そうですよね、乃愛ちゃんと陽葵ちゃんも、びっくりしていたと思います」
「そ、そうだな」
お互いに名前で呼び合う関係なのに、実は仲が悪い三人。
小春の言葉からは想像も出来ない事実だ。
「あの二人とは、話したんですか?」
少しだけ不安を孕んだ声で、小春は疑問を飛ばす。
「陽葵とは話したけど、乃愛はまだかな」
「あ、そうなんですね」
「なんか言ってたか?陽葵」
「いえ、特に何も。というか分かりません。話さないので」
「あ、ごめん」
小春の優しすぎる口調と言葉のせいで、すっかり三人の仲が悪いことを忘れていた碧斗は、心の中で「あちゃー」と呟いた。
夕陽ももう少しで落ちきる頃。
少し歩くと、公園が出てきたので、二人はその公園のベンチへと腰を下ろす。
街路灯に照らされる小春は、夕陽とはまた別の美しさがあった。
「……何年振りでしょうか、こうして本格的に話すのって」
「どうだろ、中学の時は同じクラスじゃなかったから……小学生以来か?」
「それくらいですね。懐かしいです」
小学生の頃、小春とは付き合っていた。
しかもそれは中途半端なものではなく、お互いに意思交換をして、正式に付き合った。
小学生にしては生意気だ、と言われるくらいに、一緒に遊んで、一緒に登校して、一緒に帰って。
「将来は、私の旦那さんになってくれますか?」なんて約束もした。
だが、五年生になり、クラスも変わる頃。
それまで一緒だった小春と碧斗は、別々のクラスになってしまった。
教室も、お互いに真反対の場所に位置していたのだ。
それに付随して、会話の回数も、遊ぶ回数もどんどんと少なくなり、一回も会話をしない日も増えてしまった。
まだ連絡ツールが手元に無かった影響もあり、いつしか、会話をしないことが当たり前になって。
そして――自然消滅してしまった。
「碧斗くん、確認したいことがあって……」
「うん?」
切なさを孕む瞳を宿し、小春は疑問を飛ばす。
「私たちは、もう別れていますか?」
その言葉に含まれているのは、優しさと、悲しさと。
「……うん」
陽葵と同じ立場の女の子から、同じ内容の質問がされる。
でも、誤魔化してはいけない質問だ。
「そうですよね、すいません」
「ごめん、俺の方こそ」
「いえいえ、大丈夫です。私が質問したことなので」
陽葵とは違い、雰囲気を明るくするよりも、碧斗に責任を感じさせない小春。
それが小春の性格であり、好かれる理由だ。
「……あの」
辺りもすっかり暗くなり、夜が始まった頃、小春は本題に入るように口を開いた。
「碧斗くんには、彼女がいますか?」
勇気を振り絞って、小春は目線を碧斗に向ける。
夕日の代わりに街路灯に照らされた頬は、やはり赤かった。
「いないよ」
たった一言、だが、小春が一番聞きたかった答えを、碧斗は口にする。
そして、それを悟られないように表情には出さず、小春は心の中でらしからぬ口調で「よしゃ」と小さくガッツポーズをした。
「そうですか、よかったです」
「なあ、どうやったら友達出来るんだ?」
「……友達ですか? なんで私に?」
急な質問に、小春は少々困惑気味になる。
「いや、今日一日見てたら小春が一番友達多いなと思ってさ」
「そうですか。友達というか、皆さんが優しくしてくれてるだけですよ、本当に」
「でも、小春が魅力的だからでしょ。それは」
「相変わらず褒め上手ですね。恥ずかしくなってしまいます」
「まあよく言われる。それより、なんか意識してることとかあるの?」
少々調子に乗る碧斗に、小春は「ふふ」と優しく微笑む。
そして同時に、碧斗からの唐突な質問に、小春は悩んだ。
自分自身、友達を作ろうと思って振舞っている訳ではなく、ありのままの自分で居れば自然と友達が増えているからだ。
だが、答えとしてはそれで十分だった。
「碧斗くんは、碧斗くんのありのままで居ればいいと思います。そうすれば、自然と友達も増えると思いますよ」
どんな質問でも、小春は真面目に答える。
そして、少し間を置いた後、再び言葉を続けた。
「碧斗くんは……素敵な人ですから。本当に」
「そう、か?」
「はい。だから、自分の気持ちに嘘をつかずに、思ったことを口にして、思った通りに動けばいいと思います」
なんの邪念も無い、小春のありのままの気持ちを口にする。
普段、異性に対して褒めることなどないのだが、碧斗はどうしても別だ。
「うん、わかった。ありがとう」
「いえいえ、明日からもよろしくお願いしますね」
「じゃ、帰ろっか。暗くなったし」
「そう、ですね。そうしましょう」
まだ一緒に居たい気持ちを抑えて、小春はそう言う。
そして、碧斗と小春は、共にベンチを立ち上がった。
碧斗は、前に歩き出す。
が、小春の足は動いておらず、その場に立ち止まっていた。
心配した碧斗が、後ろを向いて声をかけようとした時だった。
「碧斗くん、そのまま振り返らないで聞いてください」
立ち止まったままの小春。
何のことか分からない碧斗は、言われた通り、振り返らずに「ん」と返事をした。
そして、ほんの少しの沈黙を挟んだ後、小春は話し始めた。
「――今日、碧斗くんが同じクラスになると知ってから、なんだか凄く、気持ちが変なんです」
「――」
「ずっと、ドキドキが止まりません。正直今も、凄くドキドキしています。心臓の音が聞こえたらどうしようって、ずっと考えてました」
振り返らせない理由、それは、小春の顔を見れば明らかだった。
あまり慣れていないなりに、頑張って伝えようとしている。
月と街路灯に照らされて、紅潮しきる顔。
「一つだけ、私の想いを聞いてくれませんか」
そうして、碧斗の返事を待たず、小春は言葉を続けた。
「私は、今でも碧斗くんが――大好きなのです」
小春からの言葉に、碧斗は振り返ったまま固まった。
暗くなった夜空の下で、小春から向けられる事実に立ち尽くすしかなかった。
「……それでは、私はいくので。気をつけて帰ってください!」
言い切った小春は、碧斗には顔を向けず、自宅の方角へと走り出す。
普段、人には絶対に見せないような顔で。否、見せられないような、赤らめた顔をしながら。
どんどんと離れていく小春の足音。
「……褒め上手はどっちだよ」
放課後の青春、よりも少しだけ重い青春が、碧斗の肩に降り注ぐ。
陽葵の次は、小春に「好きだ」と言われた。
――だが、碧斗の気持ちは、困惑することは無い。
モヤモヤしていた碧斗の気持ちを、小春が救ったからだ。
――自分の気持ちに嘘をつかずに、思ったことを口にして、思った通りに動けばいいと思います。
小春らしい、小春にしか出せない言葉に救われた。
立ち止まっているのは、困惑しているからでは無い。
これからはありのままに、気になった人を気になって、好きになった人を好きになればいいと、そう決意する為に、碧斗は立ち止まっているのだ。
暗い夜空の下、そんな碧斗を支えるように、優しく包み込むような夜風が吹いた。
――――――――
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