第28話 小春との勉強会 前


「小春、歩くの速すぎない……?」

「速くないです! 行きますよ!」


 放課後。

 小春との勉強会を遂行する為、碧斗は駅前のファストフード店へと向かっていた。

 ちなみに、翔には、正直に説明済みである。


「速いのは走るのだけにしてくれよ……」

「碧斗くんが遅いんです!」


 余程、碧斗との勉強会が楽しみなのか、小春は碧斗の前を進んでいく。

 そんな小春の軽やかな足取りに、碧斗は若干体育祭のトラウマを思い出しつつも、気合いを入れた。

 すると、小春は急に立ち止まり、後ろにいる碧斗の方へと振り向いた。


「碧斗くん、こっちにきてください」


 夕日に照らされる微笑みを、碧斗に向ける。

 まるで、空から黒髪の天使が降臨しているような光景だ。


「今行きますよ」


 そんな黒髪の天使に呼ばれ、碧斗は隣へと歩く。

 ――そして、隣についた瞬間、


「行きますよ。これでついてこれますよね」

「……」


 無理矢理、碧斗の手を取り、自分の指と絡める小春。

 微笑みを崩さないまま、子を連れる親のように歩き出す。


「小春……見られたらまずいって」

「誰もいませんよ。だからわざと遅く帰ったんです」

「そうだけどさ……」

「陽葵とばっかり噂になってるの、ずるいんですからね」

「それ俺悪くないじゃんよ……」

「悪いです! 私も噂になりたいです!」


「ぷぅ」と頬を膨らませる小春に、碧斗もタジタジになっている。

 とはいえ、小春が本当に嬉しそうにするので、碧斗も手を振り切る気力が生まれず、そのまま手を繋いで歩いていった。


 ◇◇◇◇◇


「駅前、さすがに、な?」

「ふん、わかりましたよ」


 人の量が多くなる駅前。

 さすがに手を繋いだまま行くのはまずいので、二人は手を離す。

 小春は拗ね気味だが。


「そんなに拗ねるな」

「拗ねます。碧斗くんの手に触れたいです」

「……なんか今日いつもよりすごくない?」

「そうですか?」

「頬、真っ赤だけど」

「……うるさいです」

「ごめんごめん。とりあえず、行こう」

 

 碧斗が歩き出す傍ら、小春はなぜか止まっていた。

 手を繋げないことに拗ねているのか、それとも他の何かがあるのか。


「小春?」


 動く気配の無い小春に、碧斗は声をかける。

 すると、小春はおもむろに碧斗に近付き、目の前で止まった後、ゆっくりと顔を上げてから口を開いた。


「碧斗くん、思い出したことがあります」

「思い出したこと?」


 何やら、思い出したことがあるらしい。

 忘れ物でもしたのだろうか。

 ――そんな考えを、優に越えてくる言葉を、小春は口にした。


「――私、今日はお家で一人ぼっちなんです」

「え……」


 鈍感な碧斗でも、さすがに察する。

 どう考えても、"お家デートのお誘い"だ。


「そ、そうなんだ」


 察してはいるものの、口にするのはさすがに恥ずかしい。

 本当に小春が報告してきただけだとして、ここで「じゃあ家行こう」なんて言ったらさすがに気持ちが悪すぎる。

 勘違いも甚だしい。

 とりあえず、碧斗は自分にそう言い聞かせる。


「あー私、お家で勉強するのが一番集中できるんですよね〜」

「……」

「ファストフード店もいいですけど、やっぱりお家の方が静かだし? そういえばファストフード店では勉強出来ない病気だったの忘れてました〜」

「……どんな病気だよ」

「あー、一人って寂しいですー。誰か一緒に勉強してくれたら嬉しいんですけどー」


 陽葵のようなやり口で、小春はわざとらしく大きな独り言を呟く。

 その間も頬は赤らめいており、結構な勇気を必要としているようで。


「……じゃあ、小春の家行こう」


 そんな小春に勝てるわけが無かった。


「え、え!? いいんですか!?」 

「いや、小春がそう言ったんだろ」


 碧斗からの許可を得た小春は、らしからぬ口調で「よしゃ」と心の中でガッツポーズをした。


 ◇◇◇◇◇


 駅から5分程歩いた場所に、小春の家は建っている。

 比較的大きめの新築一戸建てで、綺麗な白壁が主体のデザインが施されていた。


「お邪魔します」

「ふふ、緊張してるんですか?」

「そりゃな……初めてだぞ」

「そうですね。小学生の頃は公園で遊んでましたもんね」


 小学生の頃は、公園で鬼ごっこをしたり、木に登ったり、かくれんぼをしたりで、家には来たことがない。

 初めての家で緊張する碧斗に、小春は優しく微笑む。


「誰もいないですから、大丈夫ですよ。私の部屋に行きましょう」

「そうだけどなあ、男は中々勇気がいるんだよ」

「そうなんですか? 碧斗くん、あんなに私のこと抱っこしてたのに?」

「それは小学生だからだって……」


 そんな会話を挟みつつ、小春の部屋へと向かう。

 階段を上がると、茶色いドアがあり、『こはる』と書かれたネームプレートが垂れていた。


「これ、いつから使ってるの?」

「それこそ、小学生からですよ。初めての自分の部屋が嬉しくて、図工で作っちゃいました」

「へえ。懐かしい、俺も作ったなぁ」

「ふふ。入ってください」


 懐かしすぎる理由に、碧斗の頬も若干緩む。

 小学校の頃の図画工作で、一生懸命作った力作だ。

 小春がドアを開けて碧斗を手招きすると、碧斗は中へと入った。


「すげー……」


 刹那、部屋の良い香りが鼻腔をくすぐる。

 碧斗の視界に広がった小春の部屋は、整理整頓が完璧にされていた。


「なんか、本当にお手本って感じの部屋だな」

「お手本……可愛いって言ってください」

「絶対に可愛い部屋では無いだろ」

「むぅ」


 シンプルかつ、最低限の家具しか置いていない小春の部屋は、"可愛い"よりも"美しい"が似合う。

 らしさ全開の部屋だ。


「適当な所に座って大丈夫ですよ」

「うん、ありがとう」

「何か飲み物いりますか?」

「うーん、小春が飲むなら俺も飲もうかな」

「ふふ、じゃあ持ってきますね。待っててください」


 そう言うと、小春は軽い足取りで部屋を後にした。

 

 小春が居なくなった『こはる』の部屋。

 碧斗は、何となく部屋を見ることにした。

 とはいえ、物色したり、勝手に触ったりする訳では無い。

 流石の小春でも、そんなことをしたらブチギレる。


「……」


 シンプルなベッドにシンプルな勉強机、そしてシンプルな本棚。

 小春らしさ全開の一室に、碧斗も見入った。


「……なんだあれ」


 改めて勉強机を見ると、不自然に置いてある物に碧斗は気付いた。

 角度的にその正体が分からないので、碧斗は立ち上がって見ることにした。


「……なにこれ」


 机に置いてあったのは、『こはる』と書かれたネームプレートと同じ形をしたもの。

 ただ、それは裏返っており、何が書いてあるのか分からない。


「これくらい大丈夫だよな……」


 恐る恐る、その物体に手を近づける碧斗。

 そして、触れようとした時だった。


「おまたせしました〜……って、え?」

「……っおおお!?」


 ベストすぎるタイミングで、小春が戻ってきた。

 無論、机の上の物を触ろうとしている碧斗は視界に入っており、小春も目を丸くしている。

 

「ご、ごめん! その、少し気になっちゃって! こんなに綺麗な部屋なのにポツンって置いてあるから! ……ほんとにごめん」


 必死の弁明を、碧斗は口にする。

 すると、なぜか小春の顔は真っ赤になっていた。


「あ、あのあの、見たりしてないですよね?」


 慌てふためく小春。

 ――顔の紅潮は、怒りが原因では無い。


「全然見てない見てない! ほんっとに見てないから!」

「そ、それなら大丈夫です!」


 なぜか、お互いに慌てふためいている。

 碧斗が慌てる原因は分かるが、なぜ小春が慌てているのだろうか。

 その理由が、碧斗には分からなかった。

 とはいえ、聞くのも野暮だ。

 そう思い、碧斗は再び腰を下ろそうとした時だった。


「……あ!」


 その物体をしまおうとしたのか、飲み物を床に置き、小春が机に手を伸ばした時、不意にその物体に小春の手が当たってしまった。

 ――そして、碧斗の前へと落ちた。


「あお、とくん、の?」


 運悪く、表向きに落ちたその物体には、『あおとくんの』と書かれた拙い文字。

 それを見た碧斗はポツンと呟く。

 一方、立ち尽くす小春の顔は、最高潮に赤らめいていた。


「……恥ずかしいです」


 見られてしまった事実に、小春は更に頬を赤くする。


「『あおとくんの』って、俺のことだよな」

「碧斗くん以外いないです……」

「そ、そうだよね。ごめんごめん」

「……」


 まともに碧斗の顔を見れなくなった小春は、さながら乃愛のようだった。

 羞恥か、気まずさか、そんな雰囲気が流れる『こはる』の部屋。

 そして、少しの沈黙の後、小春も弁明を開始した。


「あ、あの、気持ち悪いとか思いますか……?」


 何とか勇気を振り絞って、頬を赤らめたまま碧斗へと視線を向ける。

 予想外の質問に、碧斗も少々驚いた。

 とはいえ、相手は元カノ。

 忘れられず、物に残すのも、"自然消滅"の運命なのだ。


「思わないよ」


 碧斗がそう言うと、小春は安堵したように嬉しそうな顔をした。


「入り口のネームプレート、図工で作ったって言ったじゃないですか」

「うん」

「その時に……恥ずかしいんですけど」

「うん?」


 若干、というかだいぶ恥ずかしそうにしている小春は、頬を赤らめたまま言葉を続けた。


「――好きすぎて、碧斗くんの分も作っちゃったんです……」

「お、おれの?」

「はい……気持ち悪いですよねやっぱり!?」


 気持ち悪くなんかない。

 ――碧斗も、一緒だったからだ。

 それが、恋心というもの。

 連絡手段も無かった小学生の頃は、溢れる愛情を物にぶつけるのが普通だったからだ。

 

「……いや、全然そんなことない。てか、俺もあの頃は小春のこと想像してなんか作ってたし」

「え……そうなんですか?」

「そうだよ。みんなそうしてると思う」

「よ、よかったです。気持ち悪いって思われたらどうしようって思いました……」


 だから、テストが終わって余った時間に、自分の名前欄に好きな子の名前を書いてみたり、消しゴムを転がして恋占いをしてみたりするのだ。

 気持ち悪いなど、思うはずもない。


「机に置いてあったのはちょっと謎だったけど」

「昨日、引き出しの整理をしていたら出てきたんです。すごく懐かしくて、机に置きっぱなしにしてました」

「そうゆうことね。てか、なんで『あおとくんの』なの? 『の』いる?」


 碧斗は笑いながら問う。

 いつしか、気まずくなりかけた雰囲気も、懐かしむ雰囲気へと変わっていた。


「いるんです。相変わらず碧斗くんは女の子を分かっていませんね」

「す、すいません」


「ふん」と鼻を鳴らすようにそっぽを向く小春。

 頬はまだ、赤いままだった。


「いいですか? 『こはる』の前につければ、『あおとくんのこはる』になるんです。分かりましたか?」

「あ、そういうこと!?」

「そうですよ。説明させないでください。……私だって、恥ずかしいんですから」

「ごめんごめん」


 何とも可愛らしい、というか小学生らしい理由だ。 

 そんな小春に、碧斗は微笑んだ。


「んもう、座ってください」

「はーい」


 テーブルの上に飲み物を置き、碧斗が着座する。

 それを確認してから、小春は碧斗の隣へと着座した。


「勉強教えてくれるなら、ここにいた方がいいですもんね?」


 どう考えても、隣に座った目的は勉強ではなく碧斗だ。

 まあ、そんなことは碧斗も分かりきっている。


「絶対俺の隣来たかったんだよな」

「……はい」

「まあ、真面目にやるならいいぞ。小春に伝えたいこともあるし」

「伝えたいこと? まさか……」

「小春が想像してる言葉ではない」

「ふん」


 淡い期待をする小春だが、碧斗からすれば、もっと大事で、伝えなければならない事がある。

 とはいえ、まだその時では無いので、言ったりはしない。


「……勉強、まだしなくていいですよね」


 若干、寂しさを孕んだ声で小春はポツンと呟く。

 碧斗は、時間的には余裕があるのだが、小春の家だ。


「うん。俺は大丈夫だけど、小春の親が帰ってきたらまずくない?」

「大丈夫です。まだ帰ってきませんから……」

「そう……って、小春?」


 急に腕に違和感を覚えた碧斗は、隣の小春へと視線を向ける。

 すると、頬を赤らめながら自分の腕を絡める小春がいた。


「ちょ……おいおい……」

「ふふ、いいじゃないですか。……この家には、私たちしかいませんよ……?」


 赤らめた頬のまま、上目遣いで碧斗のことを見る。

 いきなり妖艶な声色になる小春は、さながら陽葵の様な雰囲気をしていた。


「碧斗くん……」


 寂しかった気持ちを全てぶつける様に、甘え続ける小春。

 大きくも小さくもない小春の胸の感触が、碧斗の腕に襲いかかる。

 異質すぎる雰囲気の小春に、碧斗は黙り込むことしか出来なかった。


「ちょ、小春さん……落ち着こう、な?」


 何とか振り絞った声で、小春を制止する。


「もう、なんでですか」


 そんな碧斗を、拗ねたような目つきで小春は睨んだ。


「そ、そのな。俺だって男だからさ、分かるだろ?」

「分かりません。私は女の子です」


 恋愛経験が皆無な小春は、全く分からない。

 無意識に妖艶な雰囲気を出し、相手の理性をどんどんと削っていくことも、自覚していない。

 まあ、碧斗にしかしたことがないので、この経験も碧斗だけのものだが。


「とりあえず、離れよう。もし親が忍者とかだったらまずいだろ」

「……ふん、もうっ」


 紅潮する頬を顔に出しながら、小春は腕を離す。

 碧斗の腕にあった小春の胸の感触も、完全に無くなった。


「……勉強、勉強するぞ! その為に来たんだから!」


 裂かれかけた理性を取り戻し、勉強会の方向へとシフトする。

 小春が拗ねながらも「わかりました」と返事をした後、二人は参考書を机上に出す。


 イチャつくよりも、くっつくよりも、触れ合うよりも、碧斗にはやらなきゃいけないことがある。

 だから、この勉強会をセッティングしたのだ。

 小春の家になるのは想定外だったが、やることは変わらない。

 ――『あおとくんの』決意は、既に固まっている。


――――――――


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