第40話 イチゴドーナツ
「ふんふんふ〜ん」
上機嫌に鼻歌を歌いながら、軽快な足取りで歩くのは小野寺紫月だ。
夏祭りを翌日に控えた日だが、紫月は気まぐれで動くことが多いので、近くの古着屋へとお買い物に出ていた。
自分の分と、陽葵へのお土産を持って、帰路を歩いていた。
陽葵が小春にテストで負けたのは織り込み済みなので、その分だ。
悔しそうに「小春に負けたー!」と報告してきた陽葵の可愛い顔を覚えている。
同時に、二大イケメンとやらの不届き者からの誘いも、しっかりと断っていたのも確認した。
「さすがは私の妹!」なんて思いながら、陽葵自身の成長を誰よりも喜んでいる。
「……お腹空いたなぁ」
古着屋での買い物を済ませ、しばらく歩いていると、豪快にお腹が鳴った。
スマホの画面で時間を確認してみると、時刻は13時。
立派なお昼時だ。
紫月は、たまたま近くにあったドーナツ屋へと、足を運ぶことにした。
「わああ……おいしそう……」
ショーケースに並ぶカラフルなドーナツ達を見て、目を輝かせて紫月は呟く。
イチゴやチョコなど、様々なコーティングが施されたドーナツが展開されており、見てるだけで幸せな気分だ。
そうして紫月は、数ある瞬間の中でなぜか同じイチゴのドーナツを4つ買うという奇行に走り、イートインスペースへと座った。
「んんぅ……!」
声にならない声で、イチゴドーナツを堪能する紫月。
本当に幸せそうな顔と声色を発する紫月は、周りの客をも、幸せな気持ちにしていた。
こうして幸せを伝染させる所は、陽葵に似ている。
否、陽葵がお姉ちゃんに似たのだろう。
どちらにせよ、幸福に包まれた姉妹だ。
――すると、紫月の近くの席に、二人組の男の子が着座した。
とはいえ、紫月の知り合いでも、大学の同級生でも無いので、紫月は気にしなかった。
一人は「髪色派手だなー」とは思ったが。
二つ目のイチゴドーナツに手をつけ、堪能している時。
近くに座る二人組の男の子の会話が聞こえてきた。
「あー、なんかツイてねーよな最近」
「人生で一番運が悪いかもね」
「んな。まじでさ、ブロックとかありえなくね?」
「うん。さすがに腹立ったよね」
随分と物騒な話題について話しているようだ。
「ご愁傷さまです」なんて心の中で思いながら、その二人組の会話を聞き続けた。
「でも可愛いんだよなああいつ……」
「それは僕も思う。結局可愛いよね」
「な。唯一無二の顔って感じだわまじで」
「確かに、最高の顔だなって思うよ」
すると、急ハンドルで話題の方向性が変わった。
二人の風貌的に、ぬいぐるみやお人形に対しての可愛いでは無いことは、紫月でもすぐ分かった。
多分、女の子についてなのだろう、と。
「あんな顔いるか?」
「絶対いないね。今までで一番可愛い女の子だと思うよ」
予想通り、それは女の子についてだった。
見た目的にも、この二人組は多分学生だ。
「青春してるなあ」なんて、微笑ましい思いになる。
「だよな。なんかもう性格とかどうでもいいわ。とにかくあの顔の隣を歩きてえ」
「それは……まあそうだね。僕も話さなくていいから隣にいてほしいよ」
「……げ」
――そんな微笑ましい思いは、一瞬で砕けた。
まあ、他人なのでどうでもいいと言われればどうでもいいのだが、紫月の優しい性格的に相手の女の子が気の毒になってしまう。
「顔でしか選ばない人って実在したんだ……」と心の中で呟いた。
「てかよ、絶対別の男だよな?」
「どうだろうね。隠してそうだよね」
「ぜってーそうだろ。なんで俺たちじゃねーんだよ」
「それは僕にも分からない。僕達がお似合いなのにね」
――そりゃそうだよね……。
紫月の感想は至極真っ当だ。
何のことについて言っているのか分からないが、口ぶりからするに、何か約束をドタキャンされたのだろう。
無論、断られる理由など、たった今だけの会話を聞いた紫月でも余裕でわかる。
言い方は汚いが、典型的な"クズ"だ。
人を見た目でしか判断せず、本質的な性格や人格などはどうでもいいと思っている。
だから、"隣を歩ければ"や、"話さなくていいから"なんて価値観になるのだ。
そんなの、あまりにも相手が可哀想すぎる。
「顔だけ」なんてのは、相手の女の子からすればヒシヒシと伝わってくるものだから。
紫月も、陽葵に負けない程の美貌の持ち主である為、恋愛経験も豊富だ。
だからこそ、好意を向けられる女の子の気持ちが分かる。
「――あー、なんで騙されてくんねえのかな。黙って騙されとけばいいのによ」
「はは。もう少し、上手く嘘をつけばよかったね」
「え……?」
すると、二人の男の子は「顔だけ発言」を優に越すクズ発言を繰り出し、それを聞いた紫月は言葉を失った。
全く知らない二人だが、少し失望した。
"少し"だったのは、なんとなくクズだと察していたからで。
――そして、ここまで聞くと、ある一つのことを思い出す。
――ねえ、まさか陽葵と乃愛のちゃんことだったりしないよね……?
と。
「ブロックとかありえねー」みたいな事を、最初に言っていたし、約束を断ったというのもタイムリーだ。
とはいえ、まだ確証は無い。
たまたま同じ状況に陥ってる女の子かもしれないし、そもそも華月学園の男の子じゃないかもしれない。
そうして、イチゴドーナツを再び堪能しながら、男の子の会話を聞き続けた。
「まあ、よく考えりゃ転校生の秘密なんて持ってるわけねーもんな」
「そうだよ。しかもあの子たちからすれば――元カレなのにさ」
優しい口調の茶髪の男が、笑いながら話す。
――そして、紫月は確信した。
完全に、陽葵と乃愛のことだと。
「――」
「碧斗が転校してきたんだけど!?」なんて、嬉しそうに報告してきたひまりの顔が浮かぶ。
そのせいで、一気に、イチゴドーナツが不味くなった。
赤髪の男と、茶髪の男を視界に入れたく無くなった。
声を聞きたくなくなった。
陽葵も、中々に棘のある言葉を吐いて、突き放していたはずなのに。
それなのに、反省の色も見せていない男に、否、男達に、怒りを通り越して不快感を覚えた。
「俺はまだ諦められねえよまじで」
「それは僕もそうさ。こんなので終われる訳が無いよ」
――そして何よりも、一つの嫌な予感が紫月を襲った。
教育学部だからこそ分かる、一つの大きな嫌な予感が。
そうして、嫌悪感に駆られた紫月は、その後の会話を聞くことなく、爆速で残り一つのイチゴドーナツを食し、ドーナツ屋と後にした。
◇◇◇◇◇
「あ! おかえりお姉ちゃん!」
「ん、ただいま陽葵」
走ったせいか、汗ばんだ顔で家へと戻る。
出迎えてくれる陽葵を見て、「ふぅ」と安心のため息を出した。
「外、暑かったー?」
「ちょー暑かった! お姉ちゃん焼けちゃいそうだったよ〜」
「ええ!? ……って、そんなにいっぱいお買い物したからじゃない?」
「えへへ、それもあるね。……あ、これ陽葵にあげる! お土産買ってきたよ」
そう言うと、紫月は古着屋の紙袋と、ドーナツ屋の紙ケースを陽葵に手渡した。
「え! 可愛いこれ!」
「ぜーったい陽葵に似合うと思って買ったの!」
「うんうんうん、着てみていい?」
「いいよ〜」
古着屋の紙袋から物を取り出した陽葵は、さながらおやつを手に入れた赤ちゃんのような満面の笑みを、紫月に向ける。
そして、おもむろに服を脱ぎ、薄い肌着になると、その古着を着た。
「どう? 陽葵ちゃん可愛い? パリコレ出れる?」
モデルのようなポーズを取って、紫月へ問う。
紫月がプレゼントしたのは、白が主体のオープンショルダーブラウスで、何とも季節に合った、というか涼しそうな服だ。
何より肩が露出しており、普段の陽葵の色気を更に倍増させていた。
まあ、紫月の狙いはそれなのだが。
「可愛い……可愛い……っ!」
「えへへ、ありがとー」
「ちょっと撮らせて……!」
可愛すぎる妹の色気にやられた紫月は、さながら写真家のように、ポーズを決める陽葵の写真を撮った。
陽葵も嬉しかったのか、ノリノリでポージングをしている(たまに男すぎるマッスルポーズが入るが)。
なんというか、本当に微笑ましい姉妹だ。
「このドーナツも食べていいのー?」
興奮気味に写真を撮る紫月に向けて、不意に陽葵は問うた。
キラキラした瞳と表情を見るに、お腹がすいていたのだろう。
「……あ、いいよ!」
そんな可愛い妹の質問を聞いた瞬間、一つの雑念が紫月を襲った。
それは――ドーナツ屋での、二人組の会話だ。
拭えない雑念を抱えたまま、陽葵と会話を続ける。
「ん、ありがと! お姉ちゃんも一緒に食べよ!」
「そ、そうだね。好きなの取っていいよ陽葵」
「じゃあイチゴドーナツ!」
さすがは妹、紫月と同じイチゴドーナツを選んで頬張った。
とはいえ、紫月はお腹いっぱいなので、小さめの丸いイチゴドーナツを頬張った。
ちなみに、テイクアウトのドーナツも、紫月はイチゴで溢れさせている。
「――陽葵さ、あれから何もされてない?」
「んぇ?」
不意に、紫月が問うと、リスのように頬を膨らませる陽葵がいた。
そんな可愛らしい妹を見ると、もっと守りたくなってしまうのが姉の性。
そして、心配性になってしまうのも、姉の性。
「……いやあ、その、ブロックした男の子から何かされてないかなーって」
「ん、されふぇないよ」
「そ、そっか。それならいいけど!」
頬張る陽葵の雰囲気を見ても、それは事実らしい。
――でも、あの時紫月が感じた嫌な予感は、陽葵の言葉を聞いても拭えなかった。
そして、「二大イケメンがいたよ」とも言えなかった。
翌日に控えた夏祭り、何より乃愛と行く夏祭りの前に、嫌な気持ちを抱かせたくなかった。
「陽葵はさ、乃愛ちゃんとどこの祭り行くんだっけ?」
「んーとね、小春と碧斗に会って妬きたくないから、"ぐるぐる公園"の方かなー。人も居なさそうだし!」
夏祭りは複数の公園で同時開催される為、大きな公園は必然的に人も多くなる。
三大美女とも称される陽葵と乃愛が二人きりで居れば、狙う男子がいるのもおかしくないだろう。
それを危惧して、面積が小さめのぐるぐる公園に行くらしい。
「ぐるぐる公園か! 懐かしいねあそこ」
「んね。みんなでよく遊んでたとこだよ」
一応、思い出の地でもある。
まあ、小さい頃は本当によく遊んでいたので、家近な公園はコンプリートしているのだが。
「いいなー、お姉ちゃんも行きたい」
「え、誰かと行かないの? お姉ちゃん友達いっぱいいるのに?」
「生憎と課題が多くてね。終わらせなきゃダメなの」
「えらー! 私のお姉ちゃんとは思えない!」
夏休みの課題など全く手をつけていない陽葵は、何故か余裕そうだ。
まあ、いつも通りの陽葵ではあるので、紫月も微笑んだ。
――そして何より、紫月は課題など全て終わっている。
「陽葵さ、何かあったら、すぐお姉ちゃんに言ってね」
「う、うん。どしたの急に」
「お姉ちゃんなりの心配だよ。まあ、乃愛ちゃんも居るから大丈夫か!」
「うんうん、だいじょーぶ! でも、困った時はいつでも頼ります!」
「――そうしてね、絶対」
張り詰めたように、陽葵の手を握る紫月。
が、陽葵には何の見当もつかず、ただただ驚く。
ブロックもしたし、二度と関わるなとも伝えたので、何を懸念するのか、と。
――その考えは紫月にとって、否、教育学部の紫月が感じる嫌な予感に比べれば、イチゴの様に甘い考えだった。
―――――
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