第2話 三人の元カノ
六月。春も過ぎて、夏に突入する手前の時期。
梅雨の時期もあり、曇りや雨の日も目立つのだが、今日は碧斗を応援するように快晴だ。
「ここかあ……」
碧斗が呟くのは、「
碧斗を応援する快晴の理由、それは、碧斗にとって今日が転校初日、ということだ。
親の事情があり、今日からこの学校で過ごすことになった。
「華月学園高等学校」と書かれた碑石の前で立ち止まる碧斗を傍目に、在校生がどんどんと門に入っていく。
ある程度早めに家を出たつもりだったが、丁度良い時間だったみたいだ。
「ん、なにしてんの?」
立ち止まる碧斗にそう声をかけたのは、見知らぬ人物。
まあ、転校初日なので知ってる訳も無いのだが、無視するのも悪印象でしかないので碧斗は返事をした。
「え、あ、なんでもないよ」
「なんだ、そうか」
「ごめんごめん」
お互いに名乗ることもなく、話しかけてきた見知らぬ生徒はその場を後にした。
変人と思われたか、単純に心配されただけか。
さすがに前者ではあってほしくないと思いながら、碧斗は門に足を踏み入れた。
華月学園高等学校の雰囲気は、本当に「高校生」という感じだ。
髪色が派手な生徒、逆に質素な生徒、見た目が派手な生徒、普通の生徒。
私立ということもあり、校則は緩めなのか、色々な生徒が点在していた。
事前にもらった手紙によると、碧斗は「1-B」と書かれていた。
初めて入る学校の為、右も左も分からないのだが、看板や壁にある文字を頼りに、碧斗は目的のクラスへと進んでいく。
そうして角を曲がると、見覚えのある顔が目に入った。
「流川碧斗くん?」
ここに来る前に、少しだけ面談をした人――担任の先生だ。
「そうです!」
「あ、私、1-B担任の
小川亜衣先生。
この学校に転校することが決まった時、スムーズに学校生活に入れるようにと、事前に面談をしてくれた先生だ。
「はい! あの時はありがとうございます。流川碧斗です」
「元気そうでよかった。迷わなかった?」
「若干、はい」
困った笑顔を見せながら碧斗がそう言うと、小川先生は「仕方ないね」と優しく微笑み返した。
「じゃあ、クラスに行こう、と言いたいところなんだけど」
「はい」
「色々渡すものとかあるから、とりあえず別室にきてね」
「あ、わかりました」
入学についての要項と、保護者会について、その他諸々の資料があるらしく、碧斗は1-B教室ではなく、別室へと向かった。
「進路相談室」と書かれたドアを開け、中に入ると、夥しい数の紙とファイルが置いてあった。
「色々溜まってて悪いんだけど、こっちは最悪読まなくても大丈夫。でもこっちに置いてあるのは、時間ある時に読んでね。で、この赤い付箋が貼られてるのは絶対親に渡して」
指を差しながら、丁寧に説明する小川先生。
お金などの重要書類には赤い付箋が貼られているようだ。
一方、「最悪読まなくてもいい」と言っていたのは保健だよりや学級通信についてのことだった。
とにかく、まだこの学校について何も分からない碧斗は、「はい」と素直に返事をした。
大方の説明を終え、小川先生は口を開く。
「……こんなもんかな。どう? 不安なことある?」
優しい小川先生は、クラスに対面する前に碧斗自身の懸念点を質問してくれた。
「うーん……ヤンキーとかはいますか?」
特に浮かばなかった碧斗は、絶対に聞く必要の無い質問を口にする。
質問の方向性が斜め上すぎて驚いた小川先生は、拒否することなく首を傾げながら回答した。
「ヤンキーの定義が分からないけど、ウチのクラスにはいないから大丈夫だよ。喧嘩っ早い子もいないかな」
「そうですか」
「え、碧斗くんってまさかヤンキーなの?」
仲間を探しているような雰囲気を醸した碧斗。そんな碧斗を見て小川先生はヤンキーだと思ったようだった。
無論、ヤンキーなどとは縁もゆかりも無い碧斗は、すぐに「違います!」と拒否をした。
「ち、違うのね。よかった」
「すいません、勘違いさせてしまって」
「いやいや、これから親交も深めていこ! 担任の先生だから気軽に何でも聞いてね」
「はい、ありがとうございます!」
温もりのある瞳を持ちながら、小川先生は優しく碧斗に接した。
時刻は8時25分。もう少しで朝のホームルームが始まるのだが、小川先生が教室に向かう素振りは無い。
そんな小川先生を見て、碧斗は口を開いた。
「あの、行かないんですか?」
「行かないって?」
「教室に、です。もう30分になります」
「あ、言ってなかったね」
まだ説明していないことがあるのか、小川先生は改めて伝え忘れていた事を口にした。
「ホームルー厶が始まったら、碧斗くんも先生と一緒に教室に入って、そこで初めて自己紹介って感じかな」
「え、え?」
「今日、授業パンパンだからそこしか時間が無くて。ごめんね?」
「そ、いうことですか」
てっきり、みんなと共に朝を迎え、空いた時間に勝手に自己紹介すると思っていた碧斗。
そんな想像を裏切るような事実を伝えられ、一気に緊張感が体の中に走った。
何をするにも、始まりは緊張するもの。
ただ、それはお互い様であり、自分も緊張していれば相手も緊張しているのだ。
だが、今回は訳が違う。
まだ入学してから二ヶ月だが、普通に会話できる位にはクラス内の距離感も縮まっているはず。
そんな中に、転校生として碧斗が突入するのだ。
周りが全員5の状態だときて、碧斗はまだまだ1。
そんなことを考えたら、碧斗の緊張は止まらなくなった。
「碧斗くん、一気に緊張顔になってるよ」
「そりゃそうです、さすがに」
「ふふ、大丈夫。うちのクラスの子はみんな優しいから」
この段階で、担任の先生が「うちのクラスの子はいじめっ子しかいないよ」なんて言う訳がない。
一種の決まり文句感はあるが、それだけでも碧斗の緊張をほぐすのには十分だった。
とはいえ、緊張が完全に解けることは無いのだが。
来たる8時30分、緊張感を増幅させるように学校全体にチャイムが鳴り響いた。
ホームルームの始まりだ。
「じゃ、いこっか」
「は、はい」
止まらぬ緊張を抱えながら、小川先生の後をついていく。
進路相談室のドアが開く音が、心臓に悪い。
「ちょっと、ガチガチじゃないの」
「いや、すいません」
「ふふ、大丈夫だってば」
「は、はい」
緊張から呂律も回らない。
もしかしたら歩き方も怪物のようになっているかもしれないが、廊下には誰もいないのでそれは良しとしよう。
階段を下り、数秒歩くと、「1-B」と書かれた教室に到着する。
ここを開ければ、これから三年間を共にする人達がいるのだ。
というか、こんな緊張しているのに一発ギャグなんて出来る訳が無い。
母親の言うことを真に受けなくて良かった。
そう考えると、なんとなく碧斗の緊張は軽減していった。
これも母親の力なのか、偉大すぎる力だ。
「じゃ、碧斗くんここで待ってて。先生が合図したら入ってきてね」
そう言い残し、小川先生は教室に入った。
呼ばれるまでの時間が、いつもより何倍も長く感じる。
とはいえ、やることは変わらない。
無駄に目立たず、適当に友達を作って、適当に三年間を過ごす。
たったそれだけのことだが、たったそれだけでも大満足だ。
「なんか質問ある人ー?」
小川先生の声が聞こえる。
質問コーナーということは、ホームルームも終わりの方ということだろう。
だがそれは、碧斗の初対面の時間も同時に近づいているということでもある。
「じゃあ無さそうなので、朝のホームルーム終わります。と言いたいところなんですけど、今日はみんなにお知らせがあるよ」
このセリフ、この言い方。
絶対に転校生についてだろう。
刹那の沈黙が過ぎると、小川先生は口を開いた。
「仲間が増えます」
確信に変わった。
「転校生がこのクラスに来ます。入ってきて〜」
小川先生の合図を確認し、碧斗は中に入った。
一発ギャグは絶対にしないと決めて。
「今日からクラスの一員になる子です。はい、自己紹介をどーぞ」
緊張のあまり、碧斗はまともにクラスメイトの顔を見れていない。
そんな中で、小川先生からの催促があり、碧斗は自己紹介を始めた。
「……今日からお世話になります、流川碧斗って言います。分からないことだらけですが、よろしくお願いします」
碧斗は、礼をしながらそう言った。
顔を下げ、合法的にクラスメイトの顔が見れなくなる瞬間、碧斗はあることを考えた。
――このままめそめそしい方が浮くんじゃね?
と。
一発ギャグなど、あまりにもスタートダッシュを決めすぎれば浮く。ということは反対に、めそめそしすぎてても浮くということだ。
本当に普通でいい。普通が一番。
平穏な学校生活、否、学園生活を送る為にも。
そう考えた碧斗は、顔を上げたらクラスメイトを確認するという小さな目標を立てた。
そうして、それを達成するように、顔を向けた。
「……」
クラスメイトからの鳴り止まぬ拍手の中、顔を上げた碧斗はそのクラスメイトの顔を確認する。
だが、可愛いとかイケメンとかそんなことを考える余裕は流石にない。
とにかく、視界に入れることで精一杯だった。
――精一杯だったのだが。
「……えぇ!?」
一発ギャグよりもレベルが高いかもしれない声をあげてしまった。
その瞬間、鳴り止まぬ拍手は一瞬にして消え去り、その声を出した碧斗へとクラスメイトの視線が集まる。
だが、碧斗にはそれ以上に、以上すぎるほどに衝撃的な事が起こっていた。
目を丸くした碧斗。
その理由は、顔をあげ、クラスメイトを確認した時のこと。
イケメン、美人などと気にする余裕も無かった碧斗がはっきりと意識した人。否、人達。
同じ教室内に、同じクラスメイトに、
――
――
――
の三人が、居たのだ。
――それは正真正銘の、自然消滅してしまった、三人の元カノ達だった。
――――――――
最後までお読み頂き、ありがとうございます。
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