第35話 嘘


 期末テストが終わると、二週間程で終業式が終わった。

 そして、その終業式の日の夜のこと。

 言い換えれば、夏休みに突入する前日の夜。

 二人の美女は、ある事について考えていた。

 

 小春の勝利で幕を閉じた期末テスト。

 言い換えれば、乃愛と陽葵が負けた期末テストだ。


 ――それは同時に、二大イケメンとの夏祭りが決まってしまったということ。


 その事について――乃愛と陽葵の中には、大きな不安が生まれていた。


 ◇◇◇◇◇


「はぁ……」


 ベッドに横たわる乃愛が、気掛かりなため息を漏らす。

 小春に負けたことは、もう切り替え済みだし、負け惜しみのため息では無い。

 小春に負けたことで、決まってしまった事柄についてのこと。

 ――そう、心穏との夏祭りだ。

 それに付随して、勉強会での夏鈴の言葉が響いていた。


 ――そのイケメンとは行かせたくない!


 心穏とのDMを見せた時に、夏鈴に言われた言葉だ。

 正直、その時は夏鈴がイケメンに良い印象を抱いていない為に、無心で出てきた言葉だと思っていた。

 が、時が経つに連れて、段々と思うことが出てきたのだ。

 そして、今更こんなことを考える自分にも情けなくなっていた。


 小春と乃愛は別として、碧斗と関わってきた歴史で言えば、誰よりも深いという自負が、乃愛にはある。

 

 それ故に、だ。

 昼休みに押しかけてきて、碧斗の名前も知らずに「転校生」と呼びかけていた男が、秘密など知っているのだろうか。

 

「秘密って何……?」


 元カノであること?

 幼稚園時代に付き合っていたこと?


 そんな考察が、乃愛の頭を巡る。

 だが、それはDMをしてきた時点で言ってきたことなので、外れの考察だ。


 ――だとすれば、何も見当がつかない。

 

 好きな食べ物やらを秘密と言う訳が無いし、「乃愛に結婚しよって言われた」なんて、碧斗が人に教える訳が無い。(まあ、教えてもいいけどね)

 それも、名前も知らなかった相手だとすれば尚更。

 そう考えれば考える程に、頭が困惑していく。

 

 ――なら、誘ってきた理由は?

 実は本当に、碧斗の秘密を持ってるから?

 でも、そんな訳ないし……

 私が本当に知らないだけなのかな……


「――行くべき、なの?」


 考察の到着点を見つけると、ハッとしたように乃愛は呟く。

 盲目的だった愛情故に、それを利用されている気がする、と。


「あーもう……」

 

 盲目的な愛情が悪い訳では無い。

 今更になって、この思考に辿り着いた自分自身が悪いのだ。

 そんな思いを込めて、再びため息を漏らす。

 すると、傍に置いていたスマホから、着信音が鳴った。

 画面に表示されている名は、『夏鈴』だ。


「ん、もしもし」

『あ、乃愛! 寝ちゃってた?』

「んーん。考え事してたの」

『そーなの! それならよかった』

「……夏鈴の声聞きたかった」


 電話越しの聞き慣れた声色。

 混乱していた感情も相まって、乃愛は果てしない安心感を覚えた。


『えへへ、何それ。ちょっと恥ずかしいじゃん』

「ごめんごめん」

『いーよ。夏鈴も伝えなきゃいけないことあって乃愛に電話したの』

「そうなんだ。私のことが好きって伝えたいの?」

『ん、まあそれはそうだけど! ……って、どうしたの? なんかデレ期到来してる?』

「……うん」


 不安のあまりに、電話越しで夏鈴に甘える。

「いっその事、心穏じゃなくて夏鈴と夏祭りに行きたい」と、乃愛は心の中で呟いた。


『なにそれ! 可愛い!』

「……んもう。ねえ、夏鈴」

『ん?』

「夏祭り、一緒に行かない?」


 心の中の言葉を、乃愛は口に出して伝える。

 ――無論、夏鈴には大事な先客が居る為、その願いが果たされることは無かった。

 

『あー……その事も言っておかなきゃね。夏鈴、翔くんと夏祭り行くことになったの!』

「え、ええ!? ほ、本当に?」


 断られた悲しみよりも、夏鈴の願いが叶った幸福感が、乃愛の心を占めた。

 陽葵の方がテストの点数が高いのは知っていたので、誘えないと思っていたのだが、どうやらそんな事も無かったらしい。


「え、夏鈴から誘ったの? それとも間宮から?」

『翔くんが誘ってくれたの。駅近くの高架下の所で!』

「えー! なんか、キュンキュンしちゃうね」

『えへへ、なんか照れてきた』

「もう、可愛いなあ」


 電話越しでも十分に伝わるくらいに、夏鈴の声色には羞恥が籠っていた。

 何とも、微笑ましい。と言うより、小春に取られた乃愛からすれば羨ましいが正解か。


『ま、まあ、照れ死にする前に本題入らせて?』


 まだ少し、羞恥を含んだ声色のまま、夏鈴は問う。

 そんな夏鈴を『可愛すぎる』なんて思いながら、乃愛は「いいよ」と返事をした。


『……あのさ、また夏祭りのことになっちゃうんだけど、乃愛に報告することがあってね』

「うん?」

『――二大イケメンと行く事になってる、じゃん?』

 

 夏鈴の本題は、思いっきり乃愛にタイムリーで突き刺さる話題だった。

 後々この不安を相談しようとは思っていたので、助かる。


「う、うん。それがどうしたの……?」

『なんかね、さっき陽葵とも電話して聞いたんだけど……』

「うん……」


 夏鈴の声色からは、先程の羞恥は完全に消えていた。

 そして、何か言い辛そうな雰囲気に変わった夏鈴は、数秒間沈黙した後、話し始めた。


『――陽葵も、もう一人の二大イケメンに誘われてるらしいよ? 優太って人に』

「……え!?」


 夏鈴から告げられたのは、同じ状況に陥っていた陽葵のことだった。

 とはいえ、まだ偶然かもしれない。

 ――そんな甘い考えを優に超す根拠を、夏鈴は口にした。


『――しかも、"碧斗の秘密があるから一緒に行こー"って言われたらしいの』

「……はあ!?」


 不安が、確信へと変わった。

 やっぱり、あの二大イケメン達は、秘密など持っていない。絶対、絶対にだ。

 

 今までは、"本当に自分だけが知らない秘密があったのかも"と薄々感じていた。 

 ――が、陽葵も知らないと言われれば、その秘密とやらの説得力は一気に下落する。

 

 故に、二大イケメン達が秘密を持っていることなど、ありえないと確信した。


「そ、それ本当? 陽葵も同じことされてるの?」

『うん……。トークのスクショ送ろうか?』

「え、うん。見たい」


 そう言うと、すぐに夏鈴から一枚の画像が送られてきた。

 その画像を見ると、確かに同じ口実で、約束を取り付けられている。


「やば……ほんとじゃん……」

『やっぱりさ、夏鈴のイケメン観は合ってたんだ! 性格悪いんだよ!』

「本当、その通りすぎるね……」


 あの時、もっと冷静になっていれば、簡単に分かるはずだったのに。

 こうして、約束してから気付いてしまった。

 そんな自分の軽さに、乃愛は情けなくなった。


『ねえ、行くの……?』


 夏鈴の悲痛な問いが、乃愛へと向けられる。

 ――が、乃愛の答えは、既に決まっていた。


「――行かない。絶対行かない」


 込み上げる怒りと、陽葵への心配が少々。

 そんな力強い言葉に、夏鈴は安堵した。


『……良かった。だよねさすがに』

「うん。無理無理。キモイかも」

『"かも"じゃなくてキモイ!』


 乃愛に負けない程の力強さで、夏鈴は言い切る。

 無論、二大イケメンのしていることは、夏鈴の言葉が過言では無い程に最低だ。

 女の子にモテすぎたあまりに、間違った距離感の詰め方を、正解だと認識しているのだろう。


「あーでも……夏祭りには行きたいなあ。夏鈴は間宮と行くんだもんね……」

『そー。えへへ』

「いいなあ」

 

 青春中の青春を楽しむ夏鈴に、大きな羨望を向ける。

 好きな人と行く夏祭り程、楽しいイベントは無い。


『――あ、ねえ。それならさ、夏鈴から一つ提案があるんだけど』


 そう言うと、夏鈴はその提案を口にした。

 

 ◇◇◇◇◇


 時は、夏鈴と乃愛が電話をしている時のこと。


「んあー……いらいらする……」


 共にベッドに横たわりながら、不満そうに呟くのは、小野寺陽葵だ。

 先程、夏鈴と電話した際に、二大イケメンから夏祭りに誘われた事について相談した所、


 ――ねえ! 乃愛も同じ手口で誘われてた!


 なんて言われた。

 乃愛と同じく、不安だったものが、確信へと変わったのだ。


「なーんで気付かないのかなぁ……ばかばかばか」


 自分を戒めるように、頭をコツコツする陽葵。

 乃愛と同じく、盲目的な愛情のせいでこうなってしまったことを、情けなく感じていた。

 冷静になって考えれば、乃愛も知らない秘密を、そこら辺の男が持っている訳が無い。

 ただ、それだけの事だったのに。

 自分の尻軽さに、怒りが込み上げてくる。


「……あーもう、お姉ちゃんの部屋行こ」


 こういう時は、決まってお姉ちゃんの元へ行く。

 どんな時でも優しく支えてくれるお姉ちゃんは、元気の原動力なのだ。

 そうして、陽葵は勢い良くベッドから立ち上がると、おもむろな足取りで紫月の部屋へと向かった。


「どーしたの」


 ドアをノックすると、すぐに紫月が出てきた。

 手にはスマホを持っており、紫月も寝ながらいじっていたようだ。


「寝れないから話そー」

「ん、赤ちゃんみたいな理由だね」

「いいでしょ! 陽葵ちゃんは大変なんです!」

「はいはい、入っておいで」


 予想通り、紫月は陽葵を部屋に招き入れた。

 まあ、紫月も紫月で陽葵のことが大好きなので、断る訳も無いのだが。


「で、今日のお悩み相談室の内容は?」


 白色のベッドの上、二人で腰を下ろして、紫月は微笑みながら陽葵へと問う。


「あのねー、この前DM見せたじゃん?」

「あー、うん。夏祭りの約束してた人ね」

「そーそー。それのこと」

「うん、なんか不安そうだね。どうしたの?」


 特に表情を変えなかった陽葵だが、姉からすれば妹の不安などお見通しだ。

 そんな頼れる姉に安心感を覚えつつ、陽葵は言葉を続けた。


「お姉ちゃんの言ってたこと、正解だったかも……てか、正解……」

 

 ――陽葵が知らないのに、この人が知ってる訳無くない?


 という、勉強を教えてもらった時に言われた、紫月の言葉だ。

 教育学部の姉はさすがで、全て見抜いていた。 


「だよね。私は最初から分かってたよ」

「うん……しかもね、乃愛も同じこと言われてるんだって……」

「はあ? 何それ最悪」

「あー、自分がばかばかしくなってくる……」


 心優しき紫月も、その事実を聞いた瞬間、露骨に表情が変わった。

 一方、隣に座る陽葵は、落胆している。


「私がこんなにバカじゃなかったら……」

「んーん、その男が全部悪い!」

「でもさ、ちゃんと考えてたら……」

「おいで」


 情けなさに駆られ落ち込む陽葵に、紫月は両手を広げて出迎える。

 姉の温もりとは偉大なもので、ハグをすると瞬く間に、陽葵の顔は明るい表情になった。


「……んあー、お姉ちゃんすきー!」

「えへ、可愛い」


 無邪気な声色で呟く妹に、紫月は最大限の微笑みを向ける。

 愛しい妹は、今日も今日とて可愛すぎる。


「陽葵さ、ちゃんと断った?」


 ハグから膝枕へと変わった陽葵へ、頭を撫でながら紫月は問う。


「それがまだでして……」

「ん、そっか。まあ時間ある時に断るんだよ」

「うん……」


 なぜに、少し物足りなさそうなのか。

「本当はイケメンと行きたい」とは絶対に思っていないのだが、何か他に理由があるのだろうか。


「どーしたの。まだなんかある?」

「んや……陽葵ちゃんも夏祭りには行きたいの……」


 その源泉は、「夏祭りには行きたい」という、至極単純なものだった。

 なんとも微笑ましい理由だ。

 

「あー、そうゆうことね。行くお友達がいないと?」

「そー。小春に碧斗は取られたし、夏鈴ちゃんっていう友達も別の子と行けるみたいだからさー」

「なーるほどなあ」


 ――陽葵からその悩みを聞いた時、紫月の中には一つの疑問が生まれた。

  

「――乃愛ちゃんもさ、同じ感じで騙されたんだっけ?」

「え、うん」

「てことは、乃愛ちゃんも断ったってこと?」

「多分? そのうち断ると思う」


 ここまで陽葵の言葉を聞けば、紫月の言わんとすることはすぐ分かる。

 お互いに、同じ手口で騙され、断ったとしたなら――


「――じゃあさ、乃愛ちゃんと夏祭り行ったらどう?」


 紫月の言葉を受けると、陽葵はキョトン顔をした。

 予想もしていなかった言葉に、ただだだ驚いた。


「の、乃愛と?」


 陽葵は、特に嫌悪があってこの反応をしているわけでは無い。

 ただ単純に、予想外すぎて。


「そうそう。何年振りか分からないけどさ、行ってみたらどう?」


 小さい頃は、欠かさず三人で行っていた。

 子供用の浴衣を着て、三人で手を繋ぎながら。

 勿論、それは紫月も知っているし、友達と同行している時に三人にすれ違えば、焼きそばを奢ってあげたりなんかもした。


「……そうしよっかな」


 その選択肢を聞いた時、陽葵は驚きはするも、悩みなどしなかった。

 逆に、心の中を巡ったのは、感慨深い感情で。

 

「お姉ちゃんは陽葵にそうしてほしいなー?」


 不仲なのは自覚している。

 が、一緒に居て辛い訳でも、ストレスが溜まる訳でも無い。

 むしろ、誰よりも安心感があるのは事実だし、波長やら会話やらが合うのだって、乃愛と小春が一番なのだ。


「――ん、わかった!」


 紫月の膝の上から、陽葵の眩しすぎる微笑みが返ってくる。

 あの頃の、わたあめを持ってはしゃいでいた頃の、無邪気すぎる笑顔が。


「可愛いね、ほんとに」

「えへへ」


 そんな笑顔にやられ、紫月は陽葵の頭を撫でる。


「ねー、乃愛は嫌がったりしないかな?」

「絶対しない。お姉ちゃんには分かる!」

「ほんとー?」

「うん。だって、あんたら本当は仲良しなんだからさ!」


 強く言い切る紫月に、陽葵も否定はしなかった。

 むしろ、肯定感が強い微笑みを浮かべて、自分の頭を撫でる紫月の手を堪能していた。


 しばらく、紫月の手を堪能した陽葵は、「ばいばーい」と告げてから、自分の部屋へと戻る。

 ――乃愛と夏祭りに行く為の、そして、二大イケメンに痛い目を見せる為の、準備の始まりだ。


――――――――


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