39.早乙女さん
「わぁー! 横見瀬さんかわいい~!」
早乙女さんに褒められた横見瀬さんはへへっと照れ笑いを浮かべている。
「お母様がやってくれたんです」
きゃっきゃっと楽しげな会話が「私」の前の席で繰り広げられている。
横見瀬さんがポニーテールにしてきたようだ。よく似合ってる。
あの日、二人を引き合わせてから度々、「私」を含めて三人で話す機会が増えた。
その結果、仲良しグループ作戦は成功した。
今日もこうして三人で話している。
話題は多岐にわたるが、基本的にはファッション関係が多い。
早乙女さんの知識量は小学一年生とは思えないほど豊富だ。
「最近ってずっとクワイエット・ラグジュアリーがトレンドだからうんちゃらかんちゃら」
たまに何言ってるのかわからないときがある。
「髪留め、そんなに種類持ってないので……」
「なら私のおうちに来てよ! いーっぱいあるから!」
「いいんですか? じゃあ今度お邪魔させてもらいます」
横見瀬さんが家に誘われてる。
気がついたら二人は本当に仲良くなっている。横見瀬さんがファッション関係の知識もある、というのもあるが、なにより聞き上手で話題の振り方がうまい。
自分で勉強……って年齢ではないだろうから親の姿から学んだのだろうか。
なんてぼーっと二人のやり取りを眺めていると、早乙女さんと目が合った。
「緑園寺様も来てくれる?」
「ええっと……」
困った。正直、めちゃくちゃ迷ってる。
行った方がいい気はしている。友情を深めるために。
でも、「俺」が行っていいのだろうか。小学生とはいえ、性別を偽って女子の家に。
女子トイレに入り、女子更衣室に入った後で今更だけど、またなにか境界線を超えてしまう気がした。
「やっぱり嫌?」
「いえ、嫌とかじゃなくて、予定が空いているか確認しないといけないなーって……」
「じゃあ来てくれる!?」
ぐいっと身を乗り出して腕を掴んでくる。最近知ったが、早乙女さんは結構ぐいぐい来るタイプだ。
いいのだろうか、「俺」で……
なんて考えていても仕方がないのはわかっている。行くしかない。遠慮していても仕方ない。どうせいつかは乗り越えないといけないのだから。
「はい、お邪魔します」
「わー! じゃあいっぱいお菓子用意しておく!」
満開の笑顔を見せてくれる早乙女さん。
その笑顔が少しだけ、俺には痛かった。
◆ ◆ ◆
「緑園寺様! いらっしゃい!」
リムジンから降りた「私」を早乙女さんは迎えてくれた。
早乙女さんの家はバカみたいに高い、高層マンション。
ひと目見ただけで高級マンションだとわかる。
玄関前から綺麗で、通路の両サイドに日本庭園があるんだから、これが高級じゃないわけがない。
早乙女さんの隣には、早乙女さんと少し似ている、メガネをかけた女性が立っていた。
「お初にお目にかかります、真由の母の早乙女 ユイと申します。真由がいつもお世話になっております」
子どもに対して、不自然なほど丁寧な礼で迎えてくれた。
正直、早乙女さんがこんな感じだからもっとフランクな人なのかな、と思っていたが、そうでは無いみたいだ。
その早乙女さんは笑顔だけど、普段より大人しい。ぴしっとしてる。
俺は事前に母親から聞いておいた「友人の両親に対する挨拶」を実行した。
「ご丁寧にありがとうございます。初めまして、緑園寺 恵莉夏です」
足は揃えてかかとを合わせる。両手はへその下辺りに添え、指は組まず、腕に力は入れず、肘は開きすぎない。頭の下げる角度は会釈程度で、深く下げすぎない。
「本日はお招き頂き、ありがとうございます」
顔を上げ、微笑みを湛えて、相手の目を見る。
これが緑園寺家の娘がする挨拶、らしい。
◆ ◆ ◆
「これが緑園寺家の挨拶ですわ」
ほえー、と関心した。ママ上の動作が美しかったからだ。
挨拶そのものはキャビンアテンダントみたい、というかほぼそれだ。いや、キャビンアテンダントはもっと肘を張ってたっけ?
「あまり難しく考えなくても大丈夫ですわ。相手が誰でもだいたいこれでいいですから」
「わかりました」
「では、一度練習してみませんか?」
ということで練習をする。
「初めまして、緑園寺 恵莉夏です」
ぺこり、と頭を下げて、にこやかな顔を作る。
「うーん、完璧ですわ。さすがエリカさん、なんでも上手くできてしまいますのね」
ママ上になでなでされる。最近よくなでられる。なでられ慣れてきた。
確かに、「私」はなんでもできたんじゃないか、と思う。習い事に行ってそれは強く感じた。
「ちなみに、両手を下ろして太ももに沿わせるのがお辞儀の作法としては正しいみたいですけど、我が家の挨拶はお辞儀ではないので気にしなくていいですわ」
そう言ってお辞儀を見せてくれた。確かにさっきより男っぽく見えるかもしれない。けどそれはそれで美しい。
正直、どっちでもいい。
「昔は人によって頭を下げる角度を変えたりしてたんですのよ」
「それは大変ですね」
「そう、大変だったので全部辞めさせちゃいましたわ」
話を聞くと、我が家には挨拶における作法やらなんやら、たくさんあって、それはもう面倒だったと。
でも、母の代で一回整理しないか? となってほとんど無くなったみたいだ。
昔は女性が表立って話をすることがほとんどなく、挨拶一言だけで出番が終わることもあったのだとか。
そこでどうやって相手の印象に残るか、を研究していった結果、第一印象を決める挨拶が豊富に増えて、作法になっていったみたいだ。
さすがに時代錯誤も甚だしい、ということで母は父……「私」から見て祖父を言いくるめてほとんど辞めさせた。
と、ママ上は楽しそうに語っていた。
◆ ◆ ◆
チン、という音が鳴る。
この音すらもなんだか上品に聞こえる。
目の前の扉が左右にスライドして壁に吸い込まれていく。
このタワマンの最上階が早乙女さんの家みたいだ。
「どうぞ、上がってください」
そう言って早乙女ママがドアを開けてくれたので入っていく。
足を踏み入れた瞬間、感じる高級感。
そして玄関先からすでに香るいい匂い。なんか女の子の家に来たって感じがする。
そのままリビングまで案内された。
当たり前のようにめちゃくちゃ広いリビング。
でも、緑園寺家の規格外のデカさに比べればまだ現実的だった。
そのリビングには横見瀬さんがソファに座りながらお茶を飲んでいた。
実は、先に着いて待って貰っていた。
と、言うのも、緑園寺家にはそういうしきたり的なものがあるらしく、客人として家に招かれた場合、一番最後に行かないとダメらしい。
理由は「私」が知ってそうなので詳しく聞けなかったが、主役は遅れてくる、的なことなのかもしれない。
今日に関しては主役じゃないけど。
「ごきげんよう、緑園寺様」
横見瀬さんはわざわざ立ち上がって、丁寧に挨拶してくる。
本当にできた子だ。
「ごきげんよう、横見瀬さん。おまたせしてしまいましたね」
「いっ、いえいえ! そんなことありませんので、お気になさらず……」
そう言って、肩をすくめて小さくなってしまった。
彼女はまだ「私」と話すのが苦手なのか、ときたまこうして過剰に恐縮するような反応をしてくる。
「早乙女さん、改めてご招待いただきありがとうございます」
「ううん! 緑園寺様とこうしてお茶したかったから嬉しい! で、す」
なんか歯切れが悪いけど、今日も可愛い。早乙女さんと話しているとどうしても笑顔になってしまう。
どうぞ座って座って、とソファに座るように早乙女さんに促される。
そのソファは三人掛けで、横見瀬さんが真ん中に座っていた。ので、その左隣に腰を下ろす。
ソファはふかふかでかなり良い。てか新品じゃね? ってぐらい綺麗だ。
「良いソファですね~」
と、ソファの布地を触りながら、ちょっとした話題提供のつもりで言ってみた。
「そ、そ、うですね」
横見瀬さんはガチガチになっていた。
えっ? どうしたの?
とは聞けない。
だが、異変を感じ取った。
この部屋に漂う、微妙な空気を。
もしかすると、俺、なにか言っちゃいけないことを言ったのかもしれない。
「……」
「……」
「……」
「……」
誰も、何も言わない。
この空気から最初に耐えきれなくなったのは俺だった。
「あ、あの、なにか失礼なこと言ってしまいましたか?」
「いえいえ! そういうわけでは……」
早乙女ママはそう答えるが、空気が変わることはない。
その早乙女ママはお茶を用意する、と言って立ち去ってしまった。
あれ? おかしいな、この雰囲気……
と、思いつつ、まだ立ったままでいる早乙女さんに「座らないんですか?」と聞いてみた。
すると、「うん……」と言いながらおずおずと横見瀬さんの隣に座った。
これで席は左から、「私」、横見瀬さん、早乙女さん。
仲良しグループっぽい席順でいいじゃん、って感じがする。
うんうん、いいじゃん。
「……」
「……」
「……」
えっ? 嘘でしょ?
始めてお互いを紹介したときと同じ感じになっちゃってるじゃん。
えっ、俺そんなに悪いこと言ったかな? 綺麗なソファって褒めただけなんだけど。
「…………」
おい!!!! めっちゃ気まずいって!!!
誰かなんか話してって!!!
結局、最初に耐えきれなくなるのはいつも俺だ。
「え、えっと……どうしたんですか? なんか、凄い緊張してませんか?」
「えっ、あっ、はい!」
横見瀬さんは緊張しているらしい。
友達の家が始めて、だったりするのだろうか。とりあえず緊張をほぐしてあげたい。
横見瀬さんの背中を軽くなでながら安心させるように言った。
「横見瀬さん、大丈夫ですよ。普段と同じで……あれ、普段通りでいいですよね早乙女さん?」
「う、うん! いいよ! あ、いや、いいですわよ!」
なんか、早乙女さんまでおかしい。
横見瀬さんの顔を見ると顔が真っ赤になってる。
「な、なんか二人ともおかしくないですか?」
「い、いえ、大丈夫です……」
「おかしくないよ! いえ、ありません!わ……」
「……」
「……」
「……」
横見瀬さんは謎だが、早乙女さんはわかった。なぜか丁寧な口調を意識しているせいだ。
なにかあったのだろうか。
「早乙女さん、いつも通り喋っていいですよ?」
「えっ、いいの?」
「もちろん。今日だけダメってことはないですよ」
「えへへ、緑園寺様ありがとう!」
何がありがとうなのかわからないけど、「私」もえへへ、と笑っておいた。
二人の姿を改めて見る。
早乙女さんも横見瀬さんも、素敵な洋服だった。
早乙女さんは紺色ベースに赤と白のチェックのワンピースに、ワインレッド色の襟付きカーディガンみたいなのを着て、腰に細めのベルトをしてる。
横見瀬さんは腰辺りまであるスカート? で、肩紐をかけて履くヤツ、みたいな。なんて言ったらいいかわかんないヤツの紺色に、黒のニット? 肩周りは透け感のある謎の素材のヤツだ。
二人共、めっちゃおしゃれで可愛い。
ちなみに「私」は白のワンピースだけ。俺が用意したわけじゃないんだけど、サボったって思われてそう。
「二人共、可愛いですね」
「あ、これママが選んでくれたの! ワンピースは私が選んだんだけど、上! 可愛いでしょ?」
「はい、とても素敵です」
早乙女さんは嬉しそうに自慢してくれた。可愛い可愛い……
「横見瀬さんも素敵ですね」
「ひょ」
「ひょ?」
「ひょい……」
横見瀬さんは相変わらず顔を真っ赤にしている。
まだ緊張しているのだろうか。
「横見瀬さん、大丈夫ですか?」
「ひゃい……」
背中をさすってあげてるけど、緊張はまったく解けない。
なんでそんなに緊張しているのだろうか。
「本当に、どうしたんですか横見瀬さん。体調が悪かったりしますか?」
「ひょ、いえ、大丈夫です……」
不安だ。
少しでも安心してほしいと思い、横見瀬さんの強張った手に「私」の手を添える。
「横見瀬さん、無理しちゃダメですからね」
「ひょ、ひょい」
本当に大丈夫だろうか。
「緑園寺様、お待たせしました」
早乙女ママはそう言って紅茶を出してくれた。
「わざわざありがとうございます」
こくり、と一口飲む。
美味い。かもしれない。多分美味いと思う。おそらく。
「美味しいです」
「ありがとうございます」
早乙女ママの顔をよく見ると、少し緊張した様子に見えた。
家柄が自分よりも上の人間をもてなすのは、多分すごく緊張すると思う。
会社の接待と似たような感じだろうか。
そう考えると、こうやって早乙女さんの家に来るのはなんというか……気軽に来るべきじゃないんだな、とも思ってしまう。
「緑園寺様、その、真由の口調ですが、何分まだ敬語が上手ではなくて……」
「いえ、気にしないでください。むしろ、気を遣われないぐらいのほうがありがたいですから」
俺の本心がつい漏れてしまった。この返答が「私」として、緑園寺家の娘として正しいのかはわからない。
けど、これからのことを考えるとこれがベストだ。
早乙女ママの顔を見ると、少し緊張が解けたように見えた。
「そう言っていただけると助かります」
「あ、そうだ! 髪留めいろいろ用意してるんだ! お部屋行こ?」
そういえば、何のために早乙女さんの家に来たのか忘れかけていた。
「じゃあ行きますか」
そう「私」が言うと、早乙女さんはソファから降りて、横見瀬さんの手を取り、引っ張っていく。
横見瀬さんはおよよ、とか言いながらそのまま引っ張られて行く。
俺が言うのもなんだが、横見瀬さんも変な声出すタイプみたいだ。
二人は座っている「私」の前を通って廊下に向かって行くので、その後ろに着いていった。
なんとなくだけど、最初の硬さは無くなってきたように見えた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます