28.お買い物2
「ちょっとお手洗いに……お花を摘みに行ってきます」
「あら、それならわたくしが一緒に行きましょうか」
そりゃそうだよな、普通そうなる。だが、ここで説得できなければ何もかもが終わりだ。次がいつになるのかわからない。
「いえ、お母様は待っていてください。お手洗いが近くにあるのわかっていますので一人で行けます」
「エリカ、一人で大丈夫かい?」
パパ上はおろおろとしている。不安そうな顔だ。だが、心配しないで欲しい。「私」は無事に帰ってくる。
「大丈夫ですお父様。もう小学生ですから。一人で行かせてください」
説得は意外と簡単に終わった。もうひと悶着ぐらいあるかな、なんて思っていたが。
だが俺にとっては好都合。さて、さっさと適当な店に入って電話を借りよう。
足早に喫茶店を離れ、すぐ隣の店に入ろうと動き出し、はたと動きを止めた。
……いや、待て。トイレと違う方に歩くのはさすがに怪しい。行き先はトイレの方向にしておこう。
というかあの護衛のゴリとゴリはどこ行った? 気がついたら視界から消えていた。ゴリゴリなんだから目立つはずなのに。
もしかしたらどこかから見ているかもしれない。
とりあえず、トイレを探す。
キョロキョロと当たりを見渡すとすぐにトイレへの案内板が見つかった。
これに従って歩を進めることにした。
小さな子どもの体で歩くフロアは広く感じる。走り回りたくなる子どもの気持ちもこの体なら少しわかる。視点が低いから天井までが遠く、周りの空間も広く感じる。だからだろうか、世界が広く感じる。
なんて思いながら歩き、トイレへと近づいていく。
しばらくすると、ロレックスの店舗が見えてきた。
高級そうな……いや、高級な時計がずらりと並んでいる。
子どもが入ることはない店だろうが、お構いなしで足を踏み入れる。どうせ電話を借りるだけなのだから。
そう思って店内に入り、ちらりとショーケースを眺めてみた。
エクスプローラー、サブマリーナー、デイトナ。時計に対して興味がない俺ですら名前を知っている高級品が並んでいた。
見ても価値はわからないが、とにかく凄いんだろうな、というのを感じる。
ぼーっと時計を眺めていると、ショーケース越しに誰かが「私」を見ていることに気がついた。
ゴリだ。
ゴリと目があった。
驚いた俺はすぐに後ろを振り向いた。が、ゴリは何処かに消えていた。
冗談みたいな一瞬だった。後ろ振り向いたらいないってマジであるのか、と。正直、めちゃくちゃ怖い。
いや、そんなこと今はどうでもいい。
大事なのは「護衛に見られている」ということだ。つまり、今ロレックスの店舗で電話を借りるのはダメだ。不自然だから。
焦る必要はない。落ち着いてまずはトイレに入ろう。
ロレックスの店舗から落ち着いて出ていき、トイレへと足を進める。
女子トイレに入るのも慣れたもので、今となってはもう何も感じない。多分感覚がバカになったんだと思う。
空いている個室のドアを開けて入り、鍵を閉める。
さすがにトイレの中にまでゴリは付いてこないだろう。ひとまず安心だ。
しかしマズいな、まさか「私」単体にまでゴリが付いてくるなんて。
いや、冷静に考えたら二人いるんだし、片方は「私」に付くのか。いやいや、ゴリのフォーメーションなんて今はどうでもいい。
とにかく、ゴリを引き剥がさないと……
そう考えたが、少し思案するだけで結果は出た。
……無理だ。
あのショーケースに写った一瞬だけで視線を気取るような本物の護衛を撒くなんて芸当、自分に出来る気がしない。相当走り回ることになるし、その時点でそもそも不自然だ。というかそんな体力「私」に無い。
絶対引き剥がせない。てか引き剥がしたら大事になる気もする。引き剥がされたゴリはどうなる? 絶対クビだ。普通に可哀想。
思考を巡らせる。他に良い案が出てこないものか。
天井を眺める。銀座の百貨店はトイレの天井も美しい。
あ、トイレの中にいる人に電話借りればいいじゃん!
このトイレで今から出会う人なんて親に電話するとか適当な言い訳で電話借り放題だ。
しかも、女子トイレ。ゴリは入ってこれない。つまり、不自然さを悟られない。
完璧過ぎる。
正直、我ながら天才的なひらめきだと思う。
はぁ……エリカさんの頭脳があれば世界征服も簡単にできちまうかもな……なんてふざけたことを考えながら鍵を開けて個室から出る。
使用中の個室は……無い。「私」の貸し切りだったみたいだ。
ま、少しぐらい待ってみるか。
その間、手を洗って誤魔化して見た。
ジャーとムダに水を流してムダに手を洗う。
水を手に当てながらゴシゴシと小さな手を擦り合わせる。
………
一分ぐらい経っただろうか。
手が冷たくなってきたので手洗い作戦は中止だ。
ブォーとジェットタオルを使って水を飛ばす。
小さな手をから水気が吹き飛んでいく。
……………
一分ぐらい経っただろうか。
さすがにうるさいし手も乾いたので終わりにする。
さて、どうやって時間を潰そうか……。
…………………………
実はこのトイレ、椅子がある。
入ったときはココに椅子ってなんだろう、なんて思っていたが椅子の前面には大きな鏡がある。おそらく、ここで化粧をしていいのだろう。
トイレのことを化粧室と言うが、ここは本当に化粧室だ。
なのでココに座って鏡を眺めながら誰かが入ってくるのを待っていた。
多分、五分ぐらい経っただろうか。
誰も入ってこない。
……………………………………………………
マズいな、これ以上の長居は流石に怪しまれそうだ。異変を感じ取ったゴリが突入してくる、なんて可能性もある。
いや、それはないか。だが母を呼び出すぐらいはありえる。そうなると非常に厄介だ。
どうする、今回は中止にするか?
今日を逃せば……なんて思いもあるがここで不自然さを生み出したくない。
エリカさんの魂そのものを見つけるのは、まだ先になる、と思う。それまでは自然に振る舞いたい。じゃないと疑われ続けてしまう。
そうだ、まだ時間はある。時間はあるんだ。次の休日にでもまた買い物に行けばいい。
そう思い、顔を上げた。
視界に入った鏡。そこに映る「私」。
その眉間には、酷くシワが寄っていた。
返さないといけない、今すぐにでも。
そう、自然に思えた。
ゆっくりと呼吸をする。酸素と血を脳全体に流し込むイメージを作る。
血液がドバドバと頭の前方に流れ込むのを感じる。
頭全体がふわふわとした感覚。
目を瞑ってすべての脳内リソースを思考に費やす。
だが、名案は浮かばない。
完遂できるかどうかは、そのとき次第。こちらにとっては賭けになる。
でも、今はこれしかない。そう思った。
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