27.お買い物

「エリカ~、朝だよ。起きてるかい?」

 ドアのノック音とダンディな声が室内に響く。

「はい、起きています」

 ストレッチをしながらそう答えると、ダンディの姿かたちが「私」の部屋へと入ってきた。


「おはよう、エリカ」

「おはようございます、お父様」

 俺は床に座り、開脚しながら上半身を前に倒し、体を伸ばしている最中だ。



 ◆ ◆ ◆



 ジリジリと鳴り響く目覚ましを止め、上体を起こしてぼんやりと考える。

 いつもの見知った子リスみたいな顔をした使用人さんは来ない。休みだからだ。

 謎のティー供給システムも無ければ無いと寂しい。人間は失うことで始めて価値を認識できる、とはよく言ったものだ。でも明日の朝、ティーが供給されなくても何も思わないだろう。


 少し伸びをしてからすぐに机に向かって手帳に目を通す。

 ペラペラと数日前の日記を読み返していると、体作りについてなんにも考えてなかったことに気がついた。


 ま、今日でエリカさんの魂にたどり着くヒントが見つかれば、この生活も長いこと続かない。

 だからそこまでしなくてもいいかな、なんて気持ちもある。カーテン開けたら天気も良かったし。あんまり難しいこと考えたくない。


 でもまぁ、朝食まで時間もあるしなぁ……


「まずはストレッチからしてみるか」

 独り言が漏れてしまったが、とにかくもっと「私」の体を知るべきだ。

 それに朝のストレッチなんて健康そうで良い。


 床にお尻を付け、足を前に伸ばし、その足に向かって手を伸ばす。

「俺」は体が硬い方だったので長座体前屈は脛より先に手を置けなかった。

 だが「私」は小学生の女の子。ぐいっと体を前に伸ばすと……伸ばせない。

 まったく前に伸びていかない。膝裏に潜んでいる謎のすじみたいなものが突っ張り、体が全然前に傾かない。

 限界まで伸ばしても手は膝の上。どうやっても自力で前には手が伸びない。


「私」は体が硬い。これが今朝の発見だった。



 ◆ ◆ ◆



 それから十分ほど、ストレッチを続けていた。

 今は開脚前屈をしているが、上半身がまったく前に倒れていない。五度ぐらいしか傾かない。


「朝から運動なんて素敵だね」

「あ、ありがとうございます……」

 必死の声が「私」の喉から漏れ出す。マジでこれ以上前に倒れない。


「そうだ、今日はエリカのヨガマットも買おうか? そのままだとお尻痛くなるだろう?」

 さすがダンディ。素敵すぎる提案だ。が、ヨガマットってヨガやってなくても使っていいのか?

「ヨガマットですか?」

「ほら、エリカもヨガレッスン行っただろ? あのとき使ってたマットだよ」

 ヨガやったことあるの? 「俺」はヨガマット使ったこと無いからわからんが……わからんけどとりあえず知ったかぶろう。

「じゃあ欲しいです!」

 ダンディはうなずき、そろそろご飯が出来るみたいだら一緒に食べようか、と言った。



 ◆ ◆ ◆



 今日は日曜日。念願のエリカさんの魂探しの取っ掛かりを掴む日だ。

 そして、お買い物の日でもある。ちなみにイケメンブラザーはお留守番みたいだ。


 用意された洋服を着込みながら考える。

 ちなみに服はママ上が選んでくれていたみたいで「何着てもらおうか考えてたら本当に夜更かししてしまいましたわ」なんて少し照れ笑いしながら言っていた。

「私」のママ上が可愛すぎる。


 衣擦れの音が耳元に小さく届く。

 しゅるしゅるとブラウスに袖を通した音。


 着替えながら作戦を頭の中で想像する。

 まずはみんなへのお返しとヨガマットの購入を終わらせる。そして頃合いを見計らって休憩がてら喫茶店にでも入る。それから一人でトイレに行く、と言えばいい。完璧だ。


 眼の前の鏡を見る。

 白のブラウスの上からベージュ色の上下一体のドレス。ドレスの上の部分は袖がなく、胸部装甲みたいだ。ドレスの下はプリーツ? だったか。ひだみたいのがいっぱい付いたスカートになっている。

 今日のコーデは上品で可愛い。正直、金持ちの子どもだと一発でわかるぐらいの上品さと可愛さだ。

 そのコーデの上には美しくもまだ幼さが残っている、というよりまだまだ幼い子どもの顔が乗っている。

 今日の「私」は完璧だ。





 完璧か? ちょっと待て。いま思えば小学一年生の女児を一人でトイレに行かせるのか? 危なくないか?

 いや、行かせてくれるよな? あれ、わからん。俺が親ならちょっと怖いかも。迷いそうだし。

 てかこんな金持ちの子どもだし誘拐とかの可能性もあるし、一人にはできないのでは? なんかあったら大問題だぞ。

 あ、あれ? まずいな。


 これ作戦ミスったかな……


 これ、またやってしまったかもしれない。

 本当に俺は計画性がない。バカは死ぬまで治らないと言うが、本当みたいだ。

 もう少し計画を精査するべきだった。

 二度目の生とも呼べる今ですら、同じ過ちを繰り返している。

 バカにエリカさんの頭脳を与えても無駄遣いするだけだ。

 猫に小判、豚に真珠、俺にエリカ様の頭脳、だ。


 だが、もうキャンセルはできない。

 多少不格好でも早く情報を集めたい。てかもうエリカさんに体を返したい。


 机の上に一枚、お札がある。

 昨日「私」の父親から貰ったお小遣いの一万円。

 なにかあったときのために、とポケットにねじ込んだ。



 ◆ ◆ ◆



 ママ上に手を引かれ玄関を出ると、見知らぬゴリゴリのスーツで、ゴリゴリにガタイのいい成人男性が二人いた。

 だれ? なんて思っているとゴリ&ゴリのゴリの方が口を開いた。

「本日はよろしくお願い致します」

 二人同時に綺麗に頭を下げた。それに対して「私」の隣りにいたダンディは当たり前のようにこう返した。

「ええ、こちらこそ。今日はよろしくお願いします」


 俺もそこまでバカじゃない。こんなあからさまのゴリとゴリが居たらわかる。



 これ絶対SPじゃん!! 護衛付き!? 聞いてないよ~~……

 百貨店行くだけで護衛が付くなんて。金持ちってそういうものなのか?

 いや、それよりも想定外も想定外だ。こんなの、絶対「私」一人で動くなんてできない。

 早速計画が頓挫しかけている。


 だが、変更はできない。

 今日を逃せばまた来週、買い物に行く理由を作らなければならない。

 来週行けなければ再来週、どんどん先送りされてしまう。

 絶対に今日、なんとしてでも情報を得たい。



 ◆ ◆ ◆



 隣にはママ上、向かいにはパパ上が乗った、いわゆるリムジンに乗り込み出発した。

 両親の会話を聞き流しながら外の景色を眺めると見覚えのある景色が見えた。「俺」だったころに、何度か通ったことがある道だった。

 なんの用事だったかは忘れたが……とにかく、ここが銀座の中心なのはなんとなくわかった。


 ほどなくしてどこかの地下に到着した。

 車が止まると、外で待っていた男性はドアを開け、恭しく頭を下げた。

「お待ちしておりました、緑園寺家の皆様」

「こんにちは、竹中さん。久しぶりですね」

「ごきげんよう、竹中さん」

 両親は竹中と呼ばれた男性に挨拶し、軽く雑談を交わしている。

 その間、俺は周囲を見渡していた。

 そこでなんとなく百貨店の地下だというのはわかった。VIP用入り口なのだろうか。

 そんなことを考えながら聞いていたパパ上と竹中さんの会話は続いていた。

「して、本日は何をお探しでしたか?」

「エリカが学友に渡すお返しを探していてね。今日はフロアを歩くから気にしないでくれ」

「左様でございますか。それでは、御婦人がお気に召しておりました、チョコレートのお店に新作がございます。先に連絡しておきましょうか」

 まぁ、と小さく喜ぶ声が隣から聞こえてきた。

 それを確認した竹中さんはかしこまりました、と言って去っていった。


 え? 竹中さんって何者だったんだ?

 あの会話の感じ的に緑園寺家が特別待遇されてるのはわかったけど、百貨店の人だよな?


 ママ上は「さ、行きましょうか」とニコニコしながら「私」の手を掴んだ。

 はい、と返事をしながら手を握り返す。

 大きく、柔らかい手。大きく感じるのは「私」の手が小さいからだろう。

 母という存在の手はみんな同じなのだろうか。


 結局、竹中さんのことは聞けなかった。どうせ「私」は一度会っていそうだし、今更聞けない。

 楽しそうにしているママ上を、どうでもいい質問で台無しにもしたくなかった。


「新作、私も食べてみたいです」

「あら! それでは地下街のお店を先に回ってみましょうか」

「ああ、そうしよう」


 そうして、両親二人と共にいろんな店を回った。

 最初は宣言通り、地下街のお菓子の店をいくつか回ってみた。

 母が気に入っているという、なんちゃらかんちゃらってお店で新作の試食を楽しんだ。

 女の子なら大概甘いものが好きだろう、なんて偏見かもしれないが贈り物としては悪くないような気がしている。

 綾小路さんと早乙女さんにはここの新作を贈ることにした。

 舞浜も甘いもの嫌いじゃなさそうだったのでここで良い気がする。というかだんだん面倒くさくなってきたので結局一緒のものになった。

 ダリアの方たちにも詰め合わせのセット。これでお返しは終わり。もうやることが終わってしまった。


 中に入ってわかったが、やはりここは銀座の百貨店みたいだ。

 フロアガイドを見ると本館と新館に分かれていて、地下四階、上は一二階までの巨大な建物だ。

 中にある商品たちは「俺」だったころなら自分のために買うことはなさそうな値段帯ばかりが並べられている。

 そんなものに囲まれているが、両親は特に気にしていない。


 そんな二人は喜々として「私」の服を選んでいる。一着四万円近い服を当たり前のように試着させられてヒヤヒヤしていた。

 というか子供服でこんな高級品あるんだ、と驚いた。一年経ったら確実に着られないぞ?

 思う存分、着せ替え人形にされたが、両親が喜んでいたので悪い気はしない。

 父と母は気に入った「私」用の洋服数点を買っていた。それと「私」の反応が良かったものも数点買ってくれた。嬉しいけど、普段制服ばっかりなのにいつ着ることになるのだろうか。

 あとはヨガマットのついでにスポーツウェアとランニングシューズも買ってもらえた。これで毎日ランニングしますね、なんて言ったら二人に無理しないでね? と心配された。もしかしたらエリカさんの体力の無さは両親公認なのかもしれない。



 だいたい二時間ぐらいだろうか。百貨店内を三人で見て回り、あーでもないこーでもないと他愛もないことを話しながら母と父と手を繋ぎ、歩いた。まるで本当の家族のように。いや、「私」にとっては本当の家族なんだけど。


 しかし、もう結構疲れてきた。

 エリカさんのこのクソ雑魚フィジカルはマジでどうにかしたほうがいい。なんて考えているとパパ上が口を開いた。

「そろそろ良い時間だね。一度喫茶店で休憩しようか」

 さすがダンディ、こういうときの提案は天才的だ。


 近くにあった高級そうな喫茶店へと入る。

 店内はすげぇおしゃれで綺麗。外観通りだ。

 席に案内され、座る。隣のママ上が開いたメニューを横で眺める。

 

 はえー、アフタヌーンティーとかあるわ。コーヒーは……一杯千円?

 ……ドン引きするほど高いってわけでもない。毎日来るのはキツいけど一般人でも入れそうな値段帯の喫茶店だ。

 意外だ。なんか二人ってもっと高級店にしか入らない、みたいなイメージがあった。護衛付けるぐらいの人だし。


 アフタヌーンティーセットってマジでこの三段の謎食器? で運ばれてくるのか。貴族じゃん、なんて考えていると左上から声が降ってきた。

「わたくしはこのアフタヌーンティーセットにしますわ。エリカさんもご一緒にいただきましょう?」

 ママ上が隣で、俺が見ていたアフタヌーンティーを指しながらそう言った。「私」が見てたから選んでくれた、のだろうか。それとも普通に食べたかったのか。

 当の俺は食べたいか、と言われると別にそうでもないけど……まあママ上がそういうなら乗っておこう。

「はい、いただきます」

「お飲み物はどちらにします?」

「コー……」

 コーヒーと言いかけて、急いで口を閉じた。コーヒーが飲みたいのは俺だ。

 エリカさんならこういうとき何を頼むんだろうか?

 悩んでいるとダンディが「エリカの好きなアッサムがあるね。ミルクティーにしてもらおうか?」と言ってきたのでそれにしてもらう。

 てかアッサムってなんだ? 激烈に治安の悪いアメリカの架空都市みたいな名前だな。それにしても結構歩いて足疲れたな~、なんて考えながらぼーっとパパ上が注文をしているのを眺めてはっとした。





 俺、当初の予定、めちゃくちゃ忘れてた。


 バカか俺は!!!

 なに普通に買い物楽しんでるんだよ!!

 俺には実家に電話するって目的があっただろうが!!

 なにが、足疲れたな~、だよ!!



 注文のゴッサムミルクティーがやってきた。

 手を付けずに外に行くのも悪いので、一口だけ口に含むと、甘く芳醇な香りとミルクが混ざりあって、めちゃくちゃ美味かった。

 美味すぎておかわりしたかった。が、そうは言っていられない。


 さ、そろそろ行動しよう。

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