29.お買い物3

 トイレを出ると、護衛は少し離れたところで時計を見ていた。だが、ショーケースか鏡か、何かしら越しにこちらを見ているのだろう。

 俺は視線を気取られるのを気にせず、ガン見してやった。バレバレだぞ、ゴリ。お前の体格は覚えた。

 するとゴリはインカム越しに、誰かへと連絡しているみたいだ。

 コイツ、お嬢様のおトイレ終わりを相方に報告してるのか? なんてデリカシーの無いやつだ。


 なんて冗談を心の中で言いながら、移動を開始した。

 来た道を遡り、両親がいるカフェに戻る……と思わせてカフェの前の道で曲がる。

 急な方向転換にゴリはビビっただろう。


 別にゴリをビビらせるため、カフェに戻らないわけじゃない。

 本館の六階。それが俺の目的地だ。


 すると予想通り、ゴリが隠れることを辞めてこちらに寄ってきた。

「お嬢様、カフェはさっきの道を真っ直ぐです」

 もちろん知ってる。だが、俺は言葉を用意している。

「すみません、お父様にプレゼントを買いたいのでこっそり行きたいのです。内緒にしてもらえます?」


 ゴリは困ったような顔をした。よく見るとゴリは厳つい顔だ。もし街で会ったら普通に怖い。さっきガン見したけど怒ってないだろうか。

 ここでビビっては負けだ。俺はまた言葉を続ける。

「六階の紳士服売り場まで行きたいんです。ダメですか?」

 ここが賭けの第一段階。

 この護衛を無理に引き剥がさずに、穏便に進める。ダメならここで終わりだ。


 確認します、と一言入れてからゴリはインカムで相方のゴリに連絡を取り始めた。と思う。

 固唾を呑んで反応を待っていると、ゴリはわかりました、と言った。許可が出たようだ。よし。

 厳つい顔の護衛はその厳つい顔を崩さずに、私も同行させて頂きます、と言っている。

 まぁいい、これは想定内だ。


 このまま紳士服屋がある本館六階までエスカレーターで行くか、と歩を進め始めると後ろから、お待ち下さい、と声が飛んできた。

 またゴリだ。

「お嬢様、エスカレーターにお一人で乗るのは危険ですのでエレベーターを使用して頂いてもよろしいでしょうか」

 確かに。また小学一年生の体躯であることを忘れていた。

「わかりました、ではエレベーターを探しますね」

「いえ、私が案内します。こちらです」

 顔に似合わずやさしい~~



 厳つい顔の心優しき護衛とエレベーターに乗り込み、思考を巡らせる。

 本館六階、紳士服屋。今の手持ちは一万円。これでダンディへのプレゼントを買う。それが第二段階だ。


 エレベーターの扉が開く。

 心優しきゴリが扉を押さえてくれてる間にフロアへと足を進ませる。


 フロアマップをざっと見て確認する。

 一番大きな店舗面積を誇るのが……ジョルジオ・アルマーニ。

 ぎょっとした。アルマーニのメインブランドだ。ネクタイとかの小物でも一万はゆうに超えてくる。ハンカチでも数万クラス。

 いや、でも考えればそうだ。ここは銀座の百貨店。紳士用品ならそれぐらいのランク帯になるのも想像に難くない。


 他の店舗をざっと見ても、一万円で買えるような紳士用品のギフトアイテムが置いてある店は無いかもしれない。

 というか名前すら聞いたことのない店ばかりだ。これはマズイ。

 完全に予算不足。

 どうするべきか。

 いや、悩んでいても始まらない。

 俺はジョルジオ・アルマーニへと足を進めた。



 一言で言うと高級感。なんだったらちょっといい匂いすらする。

 一流の空間デザイナーが商品の配置をしたんだろうな、と思わせるような贅沢で上質な店舗だった。


 入店してすぐ近くにいた女性の店員さんに話しかける。

「すみません、相談したいことがあるんですが」

「はい、いかがいたしましたか?」

「その……プレゼントを買おうと思っているのですが、一万円しか予算が無くて。買えそうなお店を紹介してくれませんか?」


 こんなこと、あまり人に勧められないが、ある程度のブランドショップになれば、自分の店に商品がなければ他店を紹介してくれるものだ。

 俺が行ってた店もそうだった。普通に他店を紹介してくれる。

 さすがにこの紹介目的で入るのは店の迷惑にしかならないので絶対避けるべきなんだが……申し訳ない、今は利用させてもらう。今度パパ上にこの店でなにか買ってもらおう。


「かしこまりました。ご予算が一万円ですね。プレゼントはどういったものをお考えでしょうか」

 明らかに子どもの「私」に対して、随分と丁寧に対応してくれている。身なりと見た目から良いところの子どもだというのがわかったのだろうか。

「あー……ネクタイとかハンカチとかそんな感じがいいかなって」

 正直、プレゼントするアイテムについてはなんにも考えてなかった。

 すると女性の店員さんは、そうですね……と考え始めた。が、思い浮かばなかったのか少々お待ちください、と言って他の店員に相談し始めた。


 時間を取ってもらって本当に申し訳ない。

 キョロキョロと周りを見る。あのマネキンが着ているジャケットとかダンディにピッタリだからプレゼントできたら良かったんだけどな。多分五十万ぐらいする。四年と二ヶ月後なら買えるな。


 この店もそうだが、そもそもこのフロアで予算一万円は明らかに足りないのはわかっている。

 だが、なにか買って帰らないと両親への言い訳ができない。俺も必死だ。

 店員さんはもっと必死かもしれない。ここで「私」という子どもに「一万円で買えるプレゼントはありません」と伝えるのだけは避けたいはずだ。本当に申し訳ない。


 気がついたらなんか三人ぐらい店員さんが集まって相談していた。

 思ったより大事になっている。ちょっと気まずくなってきた。

 近くにあったシャツを意味もなく見るフリをしながらちらちらと店員さんの顔を見て時間を潰す。

 いやー、マジ申し訳ない。なんて心の中で思いながら待っていると、さっきとは違う、スマートなイケオジ店員さんがやってきた。


「おまたせしました。他店でよろしければご予算内のアイテムがございます」

 すげぇ、あるんだ。

「よろしければご案内させて頂きます」

 お願いします、と言うとイケオジ店員さんはその店舗まで案内してくれた。


 少しフロアを歩くと、目的の店舗に着いた。

 イケオジさんはその店舗の店員さんに事情を話している。引き継ぎまでしてくれるなんて本当に親切だ。


 それでは失礼します、と言ってイケオジさんは去っていった。去り際もスマート。

 すげぇな、銀座の百貨店。こんな子どもにまで完璧な接客するんだな……なんて感動してしまう。


 引き継がれた女性の店員さんに「こちらです」と案内され、それに素直に付いていく。

「ご予算内ですと、こちらにあるハンカチ、トートバッグ、下着や靴下などがございます」

 おっ、どんなハンカチかな、と手に取って見てみるとタオル地のハンカチで、右下にクマの顔をしたブリキの人形っぽいマスコットがいる。

 ダンディに全然似合わないけど可愛いハンカチだ。個人的にはちょっと好き。

 お値段は……一枚二千円を超えない。プレゼントとして相応しい値段なのかどうかわからないが……まぁいいかこれで。



 ……いやいや、待て待て。プレゼントを適当に、はパパ上とは言え流石に失礼すぎないか?

 確かに「俺」にとっては知らんダンディだが、ダンディから見た「私」は娘なわけだし、なんか適当にするのは気が引けた。お小遣いだって彼から貰ったわけだし。

 うーん、どうしよう。もう少し吟味してみるか? なんて考えながら腕を組んで悩む「私」を見かねたのか、店員さんは話しかけてきた。

「お父様へのプレゼントとお聞きしましたが、なにか記念日のお祝いでしたか?」

「いえ、ただのサプライズプレゼントでして」

「それは素敵ですね」

 我ながらそう思う。ただ、動機が不純というかなんというか……買いに来るという状況を利用しているだけなんだが。

 後ろめたいものを感じながら、自分より慣れていそうな彼女に質問してみた。


「実は、このハンカチ可愛いんですけど、父には似合わないと思っていて、少し悩んでいます」

「なるほど。それでしたらこちらのソックスはいかがですか?」

 様々な種類のビジネスソックスが出てきた。


 ふと昔のことを思い出す。靴下は消耗品なので贈り物として貰うと嬉しかった記憶がある。

 これはアリだな。

「じゃあこれd……」

 待て。

 小学一年生の娘が父へのプレゼントに靴下を選ぶか?



 わからん。選ぶかもしれない。

 でも、こっちの可愛いハンカチの方がそれっぽくないか?

 小学生なら自分が可愛いって思ったものをプレゼントする感じしないか?

 いやでも……このハンカチがプレゼントでいいのか? かと言って靴下がプレゼントとして相応しいのかもわからん。

「こちらのソックスにいたしますか?」

「い、いえ。待ってください」

 少し考える時間をくれ。


 考えろ、俺。

 こういうとき、何を贈ったらいいのか。


 わからない。

 贈り物なんて、したことないから。

 ましてや大して知りもしない人に贈るものなんて考えてもわからない。


「私」からの父へのプレゼントとして相応しいのはどっちだ?

 あのダンディを思い出せ。

 今朝のダンディは気が利いていた。というかダンディはいつも気が利く。さっきの喫茶店に入るときもそう。普段から気を使うタイプだ。

 だから今朝もヨガマットを提案してきた。めちゃくちゃ体の硬い娘を見ても動じないでああいう提案ができる。素敵なダンディだ。

 多分何を貰っても喜ぶだろう。でも、そんなダンディが一番喜ぶ物はなんだ?


 うーん、と再度腕を組んで悩む「私」を見かねたのか、店員さんは話しかけてきた。

「なにかお悩みでしたか?」

「ええ、どれが一番喜んでくれるか、と悩んでいました」

「それでしたら、どちらでも同じぐらい喜んでくれると思いますよ」

 そんなこと、なんで店員のあんたにわかるんだ? と思うが口には出せない。黙っていると店員は続けた。

「プレゼントを贈りたいって気持ちが一番嬉しいですからね。物は二の次、だと私は思いますよ」


 気持ちが大事。月並みな言葉だ。

 でも、その一番大事な気持ちが欠けている今、贈る物の価値に頼るしかないと言われたも同義だ。

 つくづく不純な行いしかできない自分に嫌気が差す。


 俺は「私」のことだけじゃない。その家族のことも全然わかっていない。

 本当に、違う世界に来てしまったみたいな感覚だ。

 眼の前の物の値段だけが「俺」の世界との繋がりを感じさせる。


 贈りたい気持ち、か。

 それなら父だけじゃない、母にだって……


 はっとした。

 そうだ、もっと柔軟に考えていいんだ。

 なぜ”父へのプレゼントだけ”なんだ? いいじゃん、母にもプレゼントしちゃえば。てか兄にも買っちゃおうよ。

 家族にプレゼントってなんかいいじゃん。色々ありがとう、って意味も込めて贈っちゃおうよ。


 それでいいじゃん。

 さすが「私」の頭脳。体はガチガチだけど思考はやわやわだ。


 それなら買うのはこっちだ。

「このハンカチ、四枚買います」

「かしこまりました。色はどちらにしますか?」

「紺色と、緑と……青と黄色でお願いします」


 あの両親はどんな反応をするのだろうか。喜んでくれるだろうか。



 ◆ ◆ ◆



 無事に偽装用のプレゼントを購入できた。

 偽装のためではあるけど、俺としては心を込めたつもりだ。即席のものだが。


 さて、最後の任務だ。

 会計が終わり、俺は店員さんに声をかけた。

「あの、お電話を借りたいのですがいいでしょうか」

「ええ、もちろん。こちらです」

 簡単に借りられた。理由も特に聞かれない。一応客だからか。

 バックヤードに入れてもらい、外線電話を借りる。


 ポチポチと実家の電話番号を入力する。


 やっとたどり着いた。自分の家に電話一本かけるため、どれだけ苦労したことか……

 だが、これで今日の目的は無事達成だ。


 数度のコール音の後、相手の声が聞こえてきた。

「はい、村田です」



 出た相手は知らない男性の声だった。そして、知らない名字を名乗った。

「緑園寺と申しますが……」

「リョクエンジ? どちら様でしょうか」

「えっと……息子さんの件で聞きたいことがございまして」

「息子? ……私に息子はいませんが」



 ディスプレイに表示されている番号に間違いは無かった。だが、電話に出た相手は、俺の家族ではなかった。

 まったくの、別人だったのだ。


 正直、なんとなく予想はしていた。こんなことになるんじゃないかなって。

 間違い電話だった、と告げて受話器を置いた。

 呆然としている暇はない。

 護衛に怪しまれないよう、戻ることにした。


 商品の袋を手に持ち、店外に出る。

「それでは、お気をつけて。またのご来店、お待ちしております」

 後ろから声が聞こえた。店員さんが着いてきていることにも気が付かなかった。

「あ、ありがとうございました」

 声が少し震えたかもしれない。顔は自然だっただろうか。わからない。

 心の中のざわめきが止まらない。


 店を出て、少し歩く。

 が、自分がどこに向かえばいいのかわからない。

 そうだ、まずはエスカレーターで下に行かないと。


 そう思い、足を動かすと目の前に護衛が現れた。

「お嬢様、お戻りでしたらエレベーターをお使いください」

 そうだった、そうだ。


 エレベーターに乗り込む。いつの間にかボタンは押され、箱が落ちていく。

 ま、まぁこうなる可能性だってあったから仕方がない。切り替えていこう。

 せっかくプレゼント選びは頑張ったんだし、どうせならこのプレゼントを渡された両親の反応は楽しめばいい。

 多分、喜んでくれるだろうしな。

 


 両親が待っているカフェに着いた。

 父と母は買ってきたハンカチを泣いて喜んでくれた。

「エリカ、こんなに大きくなって……」


 父が一番喜んだのは、娘の成長だった。


 俺はどんな顔をすればいいのか、わからなかった。

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