12.学校生活

 教師らしき大人が入ってきた。ラッキーだ。これでマイハマとの会話も中断された。

 そしてHRらしきものが始まった。今日一日の連絡だったが、まったく頭に入ってこなかった。


 頭の中にあるのは先程の言葉。


「それにしても、別人みたいだな」


 誤解でもなんでもなく、事実。圧倒的事実。

 家族ではなく、まさか隣の席の男子に言い当てられることになるとは。

「大正解!! そうです、別人なんですよ~!! パフパフ!!」と言えたらどれだけ楽だろうか。


 しかし問題はそこじゃない。

 彼が言いたかったのは「別人みたいに変わったな」という意だろう。

 つまり俺のエリカさんのフリはどこかで失敗している。その事実を教えてくれた。


 ……さて、どこから間違っていたのか。

 腕を組み、天を仰いで、朝からの出来事を思い返す。が、心当たりが多すぎて逆になにも思いつかない。


 ここではたと気がつく。

 よくよく考えれば、コイツからすれば今のエリカさんの口調が変わっているんじゃないか、と。

 友達がいない、という情報から特筆して喋る相手がいないと思いこんでいたせいで、口調のことを家の中だけの問題だと思っていた。

 しかし実際は、特定の仲の良い相手がいないだけで、普通にコミュニケーションは取っていたようだ。

 挨拶はしてもらえるし、隣の彼は話しかけてくれる。ハブられていたわけではなさそうだ。

 ちょっと安心。エリカさん、嫌われてなかったんだね。よかったよかった。


 しかし、口調に関してはどうするべきか。

 イメチェン作戦は兄には通用したけど、右隣のイケメンには効かなかった。

 これは学校だけでも「~~ですわ」って言ったほうがいいのだろうか。

 ……付け焼き刃のお嬢様言葉。それこそボロが出そうだ。

「このメシ、クソうめぇですわ!」みたいになりそう。


 やっぱり口調はこのままで行こう。幸い、そこまで不自然ではない……と思う。

 親にも指摘されていないんだし、多分クラスメイトもそこまで気にならないんじゃないだろうか。


 そんなことを考えていると鐘の音が聞こえてきた。

 HRらしき時間が終わったみたいだ。



 ◆ ◆ ◆



 一時間目は算数だった。さすがに楽勝だ。ただ、小学一年生の五月に二桁の足し算をやっている。進みが早くないだろうか。


 無心で板書だけはしながら、思考に耽ることにした。


 まずは、朝の泣かれてしまった一件について。アヤノコウジさん、というのだろうか。

 彼女は「私」のことを一番に心配してくれた。つまりそれなりの交友関係なのだろうと判断したが、感謝を告げると泣かれた。

 ……やはり意味がわからない。


 ん? 仲いい人間に「様」を付けるのか?


 思い返せばキショ笑顔で挨拶したら逃げた子も様付けだったな。

 うーん、この学校では様付けがデフォルト呼びってことなのか?

 そういえば少女漫画とかではそうだったかもしれない。


 あれ?でも隣のイケメンは「私」のこと、呼び捨てだったよな?

 男は様を付けないのか?

 ……いや、コイツが特別って可能性もあるぞ。

 さっきから、明らかにコイツだけ別格の扱いを受けている。

 そうだ、他の男共はコイツのこと「マイハマ様」って呼んでいたし。


 でもなんで特別なんだ? 顔が良いから? んなことで?

 ~~様、敬語、敬い……

 まさか、家柄か? 家柄が上だから他の人に様を付けない?

 逆に家柄的に下の人は同級生であっても目上の人として様を付けるのか?


 授業中の教室を見渡す。


 いやいやいや、待て待て。

 家柄に数値なんてものはないだろう。どうやって上下が決まるんだ?

 ……いや、血筋や資産とかでむしろハッキリ上下が分かれているのかもしれない。


 つまり、ここにいる小学一年生たちは、自分の家の力を客観的に見て、相手が自分より上か下かどうかを見極めているってことか?



 小学生にして、完全な階級社会が出来ているってことなのだろうか。


 そう思うと、この教室がとてもグロテスクな世界に見えてくる。



 信じられないが、そういうものなのかもしれない。

 いや、そういうことなんだろう。

 だからこそ、隣の彼は少なくとも「私」とアヤノコウジさんを呼び捨てにしていた。

 自分が家柄的に上だから。その事実があるから。


 逆に言えば、様付けしてきた相手は自分より下、とも取れるわけだ。


 なるほど。よし、ちょっとずつわかってきたぞ。

 断片的情報でも落ち着いて考えれば整理できる。


 最初に挨拶してきた女の子と、アヤノコウジさんはおそらく緑園寺家よりも家柄的に下の可能性がある。

 お隣のマイハマ家の息子さんは緑園寺家よりも上ってことだろう。


 よし、情報が整ってきた。

 つまり、さっきの朝の出来事は

 下の立場のアヤノコウジさんが大丈夫でしたか? と心配したら、上の立場の緑園寺さんが感謝を返した、ってことだ。

 ということは……




 いや、わからん。どこに泣き出す要素がある?

 普通のコミュニケーションじゃないのか?

 いくら上の立場だからって、感謝も述べないなんてことはないだろう。


 そうだ、あのとき外野から「プレッシャー」やらと言われた。

 つまり……







 は? なにが? 意味がわからん。


 俺がどこでプレッシャーをかけたんだよ。マジで意味がわからん。

 これは考えてもわからんかもしれん。なにか俺の知識の中にない、隠された常識がこの世界にはあるのかもしれない。あーーーもう大変すぎないか? 昨日から考えることが多す「緑園寺さん」ぎる。この脳みそのスペックがいくら高くても、使うのは所詮俺だ。想像力も思考力もたかが知れているんだからもう少し「緑園寺さん!」


 なんか先生がこっちを見ている。てか緑園寺さん、呼ばれているぞ。



 あ、俺が緑園寺さんだった。


「はい」


「これ、わかりますか?」

 急に当てられた。何も聞いてなかった。

 ど、どうしよう。


 って思ったけど黒板には25+8と書かれてあった。

 これが問題だな。

 答えは33。余裕だ。小学生らしく元気よく答えてやろう。

「33です!」

「緑園寺さん」

「はい!」

「答えるときは、立って答えましょうね」


 椅子を引く音が教室に響く。

「さ、33です……」


 教室全体からの視線が痛い。

 特に右隣からが鋭く感じる。

 絶対変だと思われている。



 ◆ ◆ ◆



 二時間目の国語も終わった。

 授業は問題ない。板書もエリカさんと同じ字で完璧に取った。


 そんなことより、喫緊の問題がある。



 トイレに行きたいってことだ。



 これも完全に失念していた。

 そう、自宅のトイレじゃない。学校の、公共の女子トイレに入るのだ。


 さすがにアウトなのではないだろうか。という気がしてならない。

 だからと言って男子トイレに入るわけにもいかない。この淑女だらけの学校で男子トイレに入れば確実に頭のおかしい女だと周囲に思われる。

 ここが高速道路のインターチェンジで、激烈に混んでて、エリカさんがおばちゃんならギリ許されたかもしれないが。


 さて、どうしたもんか。なんて考えていても仕方がない。諦めて漏らすわけにはいかない。

 俺の精神的問題や他の女のことよりエリカさんの名誉のほうが大事だ。

 ということで女子トイレの前に来たが。


 ……本当にいいのだろうか、といまだに自問自答を繰り返している。

 人間として、男として、社会の規範、モラル、なにか超えてはいけないラインのような気がしてならない。

 が、その葛藤をぐっと飲み込んで、一歩踏み込む。


 中は広い。そして綺麗だ。それは一般的な学校じゃないからだろうが。

 そして個室のみ。当たり前だが。

 その一室。空いている個室に入ってスカートのホックを外し、下着と共に下げて便座に座る。

 急に水のせせらぎと小鳥のさえずりが聞こえてきた。

「ヒェッ」

 めちゃくちゃビビってちょっと漏らしかけたけど、乙姫的なヤツだろう。

 まさか自動的に作動するとは思わなかった。


 気を取り直して、用を済ませる。


 隣からも似たような音が聞こえてきた。

 ……これ、この音がなることによって「今してます」ってことがわかってしまうのでは?

 いやもう、それは仕方がないのか。


 ……なんか聞こえてきそうで気が気じゃない。

 耳を澄ましてしまいそうになるのを水のせせらぎと小鳥のさえずりを聞き分けることでごまかす。


 気を使う。できれば誰が隣に入っていたのか見たくないな、なんて思いながら下着とスカートを上げて個室から出た。


 手洗い場を見ると、正面の鏡は壁一面のタイプ。そして蛇口が四つあり、自動で水が出る。水に触れると温水だった。

 まるで高級百貨店のトイレみたいだった。普通の小学校のトイレではないと改めて感じる。

 手を洗い、目の前の大きな鏡で自分の姿を見る。


 まだ幼く、可憐でありながら切れ長で力強い目元。あの美しい母からうまく引き継げたようだ。

 そして美しい黒髪。まっすぐ、すとんと肩甲骨当たりまで伸びている。日頃の手入れのおかげなのだろうか。将来はそれはもう、美人になるのだろう。


 それが今の自分。

 その姿を、やはり自分とは思えない。



 俺が男だったころ、男の子が女の子になるTSモノの作品を読んだときはちょっと羨ましいな、なんて思っていた。女の体を好き放題できるし、女風呂入り放題じゃん! なんて。



 実際になってみて感じるのは罪悪感だ。

 誰にも喋れない。真実を告げられない。

 俺と関わる、すべての人に対して、嘘をついている。



 初めから、終わりまで。



 そりゃ、誰もが自分の本心のままに生きているわけじゃないことがぐらいわかっている。

 どこかで自分を偽っているし、本性を隠して生きている。


 その時々で、その場に合った人格に成りきることだって多い。

 家での人格、学校での人格、友人との人格、会社での人格。

 それだって、嘘をついているとも言える。

 自分の本心ではなく、その場に合わせた嘘だと。


 だが、それはすべて「自分」だ。

 自分の内側から生まれた、創られた「違う自分」だ。

 だからあくまで「自分」でしかない。絶対に「他人」には成らない。


 今の俺は違う。

 俺は、「他人」だ。

「緑園寺 恵莉夏」という人間の中にあった、別の人格でもなんでもない、赤の他人。

 それが「緑園寺 恵莉夏」のフリをして生きている。


 女の子のフリをしながら。


 我ながら気色悪い。


 ヘドが出そうになる。



「ふぅ」

 また、考えすぎている。自分の悪い癖だ。

 ペーパータオルで手を拭き、もう一度、自分の姿を見る。


 そこには幼すぎる少女には似合わない、眉間に皺の寄った顔が映っていた。

 この子の顔に変な癖をつけるわけにはいかないな、と眉間をマッサージしながら笑顔を作ってみた。

 控えめに言っても花のように可憐な少女に見える。これを見て朝の女生徒はなぜ逃げたのだろうか。


「いや、これじゃなかったか……」

 もっと不自然で口元だけ釣り上がった歪なものだったかもしれない。

 顔をこねながら変顔を作ってストレッチをしていたら独り言が出てしまった。

 と、同時にさっき用を足した個室の隣のドアが開き、出てきた三つ編みメガネの少女が鏡に写った。

 少女が鏡に写ったということは、「私」の今の変顔も少女にも見えているのだろう。

 少し気まずそうな顔をしていた。


 もちろん俺も気まずいのでとりあえず鏡越しに笑顔を向けてみたら、笑い返してくれた。

 多分いい子だ。知らんけど。



 ◆ ◆ ◆



 お昼休みの時間になった。


 そういえばメシってどうなってんの? なんて思っていたら担任の先生と思われる大人の誘導でみんな一斉に移動を始めた。

 なにかわからないがついていくしかない。一団の一番後ろにひっそりとくっついて行くことにした。


 同じクラスの子どもたちは小学一年生なのに本当におとなしい。すでに家庭で教育が施されているのだろう。

 俺が通っていた普通の小学校なら、こういう教室を移動するときはみんな元気に走り回ったりして注意されていたような気がする。


 しばらく廊下を移動すると、なにか大きな食堂のような部屋に入っていった。

 当たり前のように広く、綺麗な部屋だ。天井にはシャンデリア、壁面には大きなガラス。それを白いレースカーテンが覆い、日光を和らげている。部屋全体が明るく、穏やかに照らされている。明らかに小学校の食堂とは思えない部屋だったがもうあまり驚かなくなってきた。

 見渡してみると、そこにはいろんな学年の子たちがいるようだ。全校生徒が集まっているのかもしれない。


 指定の席に着くと昼食が配膳されてきた。

 なるほど、給食だ。


 ただ、俺の知っている給食ではなかった。

 テーブルには箸ではなく、ナイフとフォークが置かれてある。

 配膳係の人が和牛となんちゃらとかメニューを説明しているが何一つとしてわからない。

 呆然としている間に食事は開始された。


 ……


 メシはうまい。

 デザートはなんちゃらショコラとか小洒落たのが出てきた。

 うまい。俺はうまいしかわからない。うまいロボだ。


 この体に憑依してからというもの、メシが勝手に出てくるので楽だ。

 一人暮らししていたころはメシを作ったり買ったり、面倒で仕方がなかった。


 舌鼓を打っていると、真正面にいるマイハマがこっちを見ていることに気がついた。

 なんだろうか、と目を見ると目線が合う。全然視線を逸らさないな、コイツ。

「緑園寺、本当に変わったな」

 えぇ、変わりましたとも。何も言い訳できない。

 ただ無言でなんちゃらショコラを食らって聞こえていないことにした。



 ◆ ◆ ◆



 五時間目が終わり、帰りのHRらしきものが終わった。


 これでやっと一日が終わった。


 久々の小学生は長かった。

 体も疲れたし、なによりも精神的に疲れた。


 早く、帰ろう。


 もう、疲れた。


 そういえば、どうやって帰るんだ?


 多分車なんだろうけど、どうやって呼ぶの?


 マズイぞ、帰り方がわからん。


 あーー、もう疲れたよーーー……

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