11.教室

「ちょっと! 立ち止まらないでくださる?」

 教室の後ろの入り口で立ち尽くしていると、背中から声をかけられた。


「あっ、すいません」

 入り口から体をずらしながら振り返る。

 そこにはまなじりを釣り上げた、気の強そうな女の子がいた。

 

 怒られちゃった、なんて思っていたらその子の顔が驚きに変化した。

「……緑園寺様! し、心配しておりましたわ……」

 心配と言うのは多分、事故のことだろう。

 エリカさんの友達、なのだろうか。いないんじゃないのかよ。

「ご心配をおかけしました」

 小さくお辞儀をしておいた。しかし、小学一年生で相手を心配できるって優秀な子だ。


 なんて思っていたら相手の子が驚愕の顔を見せてきた。

 またこれか……なんて思っていたら次は真っ青な、怯えきった顔になっている。


 なんだ? 俺の後ろになんかいるのか? と思って、後ろを振り返ってみると。





 教室が静まり返っていた。





 もう一度、気の強そうな子を見ると涙目だった。


 ざわつく教室。


「緑園寺さんがアヤノコウジさんを泣かせた……」

「あんなプレッシャーかけるなんて……」

「アヤカさん、可哀想に……」


 やり過ぎ……お怒り……

 そんなワードも途切れ途切れに小さく聞こえてくる。




 えーっと




 お、俺のせい?




 え?

 プレッシャー……?





 意味がわからんけど、今はこの子をなんとかしよう。




「あっ、あの、泣かないでくださ」

「ヒッ」

 完全に怯えきってる。

 もう俺も泣きたい。


「緑園寺、そこまでにしてやれ」

 あのイケメン、マイハマだった。


 なんだよそこまでにしてやれって。こっちがここまでにしてほしいよ。

 なんで俺が悪者なんだ? なにか泣かれるようなこと言ったか?


「私はなにもしていませんが」

 僅かばかり、怒気の籠もった声色が出てしまうが、彼は表情も変えずにそれを受け取る。

「怒ってるじゃないか」

「いえ、それは彼女に、じゃないです」

「なら誰にだ?」

「この状況にです。なぜ、私が悪いのでしょうか」

 勢い余って聞いてしまった。

「アヤノコウジは緑園寺を心配しているんだぞ」

「え? それはわかっていますが」

「ん?」

「だから、感謝の言葉をかけたのに、泣かれちゃったんです」

 俺の視線を受けた彼女、アヤノコウジさんはわずかに身を縮こませた。

「なら、怒ってないのか」

「もちろん怒ってないですよ」


 マイハマくんは納得したらしい。

「アヤノコウジ、らしいぞ」

「うっ……はい……ぐすっ……」

 アヤノコウジさんは涙目で頬を赤く染めながらうなずいていた。


「緑園寺様、勘違いして、申し訳ございません……」

「いえ、大丈夫です。心配してくれてありがとうございます」

 勘違いとは言え、俺のせいで朝から顔がぐちゃぐちゃはいささか可哀想だ。

 カバンからハンカチを取り出して手渡す。

「ああっ、ありがとうございます……」


「マイハマ様、さすがですわ」「さすがマイハマ様……」

 女の子の黄色い歓声と男子の感嘆の声が聞こえてくる。

 この場の収めた、マイハマくんに称賛の声が集まっている。

 ふんっと一息ついて、二人共、早く席に戻れと言いながら彼も自席に戻っていった。


 アヤノコウジさんもまだ少し目を濡らしながらも、自分の席に向かっていった。


 俺は解決した安堵感と共に、少し呆然としてしまった。

 この光景。なんとなく、見たことあるような気がした。


 そうだ、少女漫画によくあるヤツだ。

 完璧超人のヒーローがなにかすると、周囲から黄色い声が飛んできて持ち上げるヤツ。

 あれだ。


 現実でもこんなことマジで起こるんだ、なんて感動を覚えていた。

 目の前の光景が、あまりにもありきたりな少女漫画の中のように見えて、まるで作劇の中にいるかのような錯覚を覚える。


 今まで考えもしなかったがもしかすると、これは俺が死の間際に見ている、とてもリアルな夢なんじゃないか、と思ってしまう。

 それぐらい、目の前で繰り広げられた一連の光景が、既視感に溢れたものだった。


 まあ俺の夢にしては俺の知らないことが多すぎる。そう考えるとやっぱり現実なんだろう。

 いや、そんなことはどうでもいい。とりあえず席に着こう。



 さて





「私」の席、どこですの?


 ……


 クラスの席の配置は縦五席、横四席の配置。

 この中で誰も座っていない席があればそこだろう、と当たりを付けたが、空席はいくつもあった。


 いやもうわからん。どうしょうもない。のでマイハマくんに聞こう。

 そろそろと彼の席に近づく。彼は教室の一番後ろ、左から二番目の席に座っていた。

 授業の予習でもしているのだろうか、国語の教科書を読んでいた。

「マイハマく……様」

 直前で様に変えた。さっきからみんな彼を様付けで呼んでいるのを思い出したからだ。

「……どうした?」

「あの、実は、自分の席がわからなくて……」

 ヘヘッとキショ笑いもセットだ。

 その笑いにマイハマくんも大変驚いていらっしゃる。ふっ、いたいけな女生徒一人が逃げ出すような笑顔だ。イケメンすら動揺させる効果はあるようだ。

「本当に大丈夫なのか?」

 心配された。今度こそ頭かもしれない。


「そこだぞ」

 左を指された。

 左の、彼の隣の席だった。

 めちゃくちゃ近かった。

「あ、ありがとうございます」


 やっと席に着けた。

「ふぅ」

 一息つく。めちゃくちゃ疲れた。

 さっきのこと、マジで意味がわからなかった。俺はなんて言ったんだったか、そう、「ご心配をおかけしました」だ。そんな攻撃的な言葉を言った覚えはない。マジでなんだったんだろうか。


 いろんなことがありすぎた。まずは朝の挨拶から始まり、お下駄箱から、教室に入ってから。

 ああ、もうどこから修正していけば、なにが間違っていたのか考えないと。頭を抱えたい気持ちを抑えながらカバンから荷物を出そうとすると

「緑園寺、本当に大丈夫なのか?」

 隣から声をかけられた。イケメンだ。心配してくれているらしい。

「ああ、大丈夫です。心配かけてすみません」

「あ、ああ……」

 なんか変な目で見ている。

 でもコイツ本当にいいヤツなんだろうな。こんな凄まじいオーラを放っておきながら困ってるヤツがいたら手を貸してくれるっぽいし。

 彼には申し訳ないが、俺が困ったら優先的に頼らせてもらおう。てか他の人の名前がわからん。男だから話しかけやすいし。


「それにしても、別人みたいだな」







 心臓が跳ね上がる。






 本当に別人になったと見透かされた、わけじゃないと思う。

 比喩表現でしか無いはず。


 別人のように変わったな、と。


 頭でわかっていても、隠していた事実を言い当てられたのだから体は反応してしまう。

 筋肉はこわばり、声を出そうとしても喉がうまく動かない。



 そして、なにも、言葉が浮かばない。

 辛うじてできるのは、彼から顔を背けることだけだった。



 机上のカバンに視線を落とす。そこには黒い手帳があった。




 ハッとした。

 そうだ、俺にはこの言葉があった。

 あの兄すらも騙し通した、最強の言葉が!




 意を決して彼に振り返る。

 そしてできる限り力強く、彼の目を見て、こう言った。


「イ、イメチェンしたのですわ!」

「なに言ってんだ?」




 あ、あれ?



 おかしいな……?

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る