13.ダリア
「緑園寺、ダリアには顔を出さないのか?」
帰り方がわからんが、とりあえず朝の駐車場に行ってみよう、なんて考えていたらマイハマに声をかけられた。
「ダリア?」
どこかで聞いたことがある。
あれ? なんだ、この違和感。
「ダリアも忘れたのか……」
憐れなものを見るような目になっているマイハマ。悔しいが何も言い返せない。
「まぁいい、部屋に入ったら思い出すだろ。こっちだ」
強引な男だ。ありがたく付いていこう。
しかし、コイツ本当に面倒見がいい。なんでこんなに「私」に優しいんだ? 小学一年生だよな?
……
まさか、エリカさんのことが好きなのか!?
小学一年生にして色気付きやがって。
お前みたいな顔が良くて、親切で、おそらく凄い馬の骨の男にエリカさんは……
……まぁ俺が勝手に選ぶわけにはいかないからな。エリカさんが帰ってきてから勝手に仲を深めてくれ。
そんな凄い馬の骨に付いていくとひときわ豪華で大きな扉にたどり着いた。3メートルぐらいの身長でも入れそうだ。
すると扉が自動的に開いた。魔王城の最後の扉みたいにゴゴゴゴゴッという重苦しい音がなりそうな見た目に反してスッと開いていく。
マイハマの後ろから中に入ると、そこには様々な学年、男女合わせて三十名近くの子どもがいた。ほとんど見たことがない子たちだ。だがそのうちの一人。
「あっ、やっと来たね」
朝、マイハマと話していたメガネの彼だ。名前は確か、ミツルだ。
授業の合間の休み時間でも彼はマイハマの席まできて二人で話していた。
「緑園寺さんも一緒なんだ」
「ああ、連れてきた」
マイハマはなにも気にせずズンズンと中に入っていく。
俺は、動けずにいた。
今の会話も、なにも頭に入っていない。
その室内。
天井から壁紙、絨毯、机や椅子、ソファなどの調度品のすべてが高級感のあるデザインで、白に近い色でまとめられている。広々として明るい、それでいて清廉で豪華。そういう印象を受ける。
特徴的なのは部屋の中央、黒いピアノが静かに佇む。その上、天井には巨大なシャンデリアが吊り下げられている。それは食堂よりも一層豪奢なもので、恐ろしく美しいものだった。
そのシャンデリアのさらに上、天井はドーム状にくり抜かれたかのようになっており、そこが一面ガラスで午後の日差しを室内に取り込んでいる。
美しい。建築やインテリアにまったく詳しくないが、この部屋がどれほど素晴らしいものなのかは一目でわかる。
いくらかけたらこんな部屋が作れるんだろうか、なんて庶民丸出しの考えで部屋を眺めてしまう。
ふと部屋の隅を見ると執事みたいな格好をした大人の男性が佇んでいた。彼はこの部屋を利用する子どもたちの世話係だろうか。
不思議な感覚だ。小学生の子どもたちが座って談笑して、大人が壁際で佇む。客観的に見ると何とも言えない、気持ち悪さを覚える。一緒に座れば? などと思ってしまうのは庶民感覚なのだろう。壁際の彼は仕事としてここに立っているのだから。これでいいはずだ。
なにかわからないけど、複雑な、言い表せない気持ちになる。
しかしダリアとは一体なんだろうか。この部屋のことだろうか。
「緑園寺、どうした?」
ぼーっとしていると、マイハマに声をかけられる。
「座らないのか?」
「あっ、はい」
部屋に驚きっぱなしだった。気を取り直す。
エリカさんはおそらく、一度はここに来ている。自然に振る舞わなければ。
部屋にはカフェのように椅子とテーブルがいくつも配置してある。すでにグループができているのか、島があちこちに存在する。
室内は広い。大きな声で話さなければお互いに会話が聞かれない程度に距離を取れてしまえる。
その中の一つの島、そこをミツルくんとマイハマが占領していた。
席は、マイハマが上座のソファに座っており、その右隣、一人掛けの椅子にミツルくん。
ミツルくんの立場がわからないが、とりあえず下座であるマイハマの対面のソファに座る。
社会人の癖で座り順まで自然と考えてしまっているが、さすがに子ども同士でこんなこと気にしなくていいのかもしれない。
ミツルくんは不思議そうな顔をしながらこっちを見て口を開く。
「本当に今日の緑園寺さん、変だね」
「そうだろう」
なんだ、そうだろうって。わかったような言い方をしやがって。
「な、なにか変でしたか?」
「もう、喋り方が変だよ」
ミツルくんはけらけらと楽しそうに笑う。釣られてフヘヘと笑ってしまう。
やはり口調がおかしかったようだ。昨日のうちにお嬢様言葉を練習しておけばよかった、とも思うがやはり所詮は付け焼き刃でいずれボロが出ていただろう。そもそも、お嬢様言葉が正しかったことに気がついたのは今朝だ。絶対に仕上がらない。
そんなことより、実のところこの「ダリア」というものが気になっている。
なんのための部屋なのか、ここに集まっている子どもたちはなんなのか。
しかし二人に「ダリアってなんですか」とバカ正直に聞くわけにもいかない。それこそ「変な緑園寺さん」に拍車を掛けてしまうだろう。それとなく聞き出すしかない。
「緑園寺様、お加減はいかがですか?」
左から女の子の集団だった。もちろん誰もわからない。
「事故のこと、お聞きしましたわよ」
「大変な事故だったとお聞きしました。みな心配してましたのよ」
小さな淑女たちに囲まれてしまった。いや、小さなと言っても「私」の方が小さい。
大丈夫だったか、心配してました、といろいろ言われる。が、突然の囲い込みに驚いてしまい、どう返事していいのかわからなくなった。
「みなさん、緑園寺様はまだお飲み物が無いようです。なにかお飲みになりませんか?」
この言葉で、淑女たちが静まった。一旦落ち着け、みたいな感じの言葉なのだろうか。
上級生らしい子の言葉によって視線が再度、「私」に集まる。俺の返事を待っていることが伝わってくる。
「あー、えっー、じゃあ、いただきます」
淑女集団から不思議なものを見る雰囲気が漏れ出したのを感じる。
「今日のそいつ、なにかおかしいんだ」
やめろマイハマ。余計なことを言うな。
事故の後ですものね、となにか憐れなものを見るかのような目線が集まってくる。その視線に俺は苦笑いしかできなかった。
事故は問題ない、と伝えると淑女集団は去っていった。
エリカさんは事故以前から思った以上に交友関係が広かった。これは大きな誤算だった。
結果的に、多くの人に「喋り方が変わった緑園寺さん」を確認されてしまった。これはマズイ気がしてきた。何処かからか、「私」の両親にこの内容が伝わってしまい、不信感を強めてしまうかもしれない。
ああどうしよう、なんて思っていると、黒髪ロングを後ろで縛った、ハーフアップだったか。そういう髪型の、お上品でいかにも大人しいお嬢様、という感じの女の子がやってきた。
ごきげんよう、と言う仕草も上品で優雅で、様になっていると感じた。
「緑園寺様、よろしければ快気祝いとして、一曲、弾かせていただいてもよろしいでしょうか」
弾くって何を? なんて聞く必要もないのだろう。多分ピアノだ。
「わ、私のためにでしょうか。大変恐縮なのですが……」
緊張のあまり、小学生相手に全力でかしこまった返答をしてしまった。
「いえ、私が弾きたいだけなのですから。お気になさらず」
相手に気を使わせないような言い回しといい、本当に小学生なのだろうか。そう言われると断るのも失礼になりそうだったので「ではよろしくお願いします」と、ご厚意を受け取ることにした。
ハーフアップの淑女は「マイハマ様、ウミノ様もよろしいでしょうか?」と二人にも確認を取り、「いいですよ」「かまわない」という返事に一礼を返し、お上品に微笑みを残してピアノへと向かっていく。
そのすべての動作が美しく、その後ろ姿すらも上品に見える。
しかし、一つ情報を得た。
マイハマの友人のメガネの子の名前は「ウミノ ミツル」と言うらしい。
ただ、俺は不思議な感覚になっていた。
初めて知ったはずなのに、どこかで聞いたことがある。ウミノ、ミツル。ただ、全然思い出せない。
少し考えている間に、室内は暗くなっていた。なにかと思えば、中央の天井、一面ガラスのドームが金属製の何かで覆われ、外の光が断たれていた。次は中央にゆっくりと温かみのある光が入り出した。シャンデリアが放つ光。それがピアノの周囲だけを照らしている。
奏者の黒髪の少女がピアノに座る。すると、どこからかスポットライトが当たったかのように、奏者の周りだけ光が強くなった。
だが、周囲を見渡してもスポットライトはない。不思議に思ってシャンデリアを見直すと、何本かの細い光が上に登っており、その光がガラスドームを覆った金属を反射させて、角度を付けてピアノの座席だけを照らしていた。
背筋がぞくりとするような、計算された光。
スポットライトを用意することもなく、おそらくボタン操作だけで作り上げるステージ。
その斬新で合理的な機能美にはため息が出た。
心からの称賛を送りたい、と考えているうちに演奏は始まった。
正直、ピアノはわからない。ショパンの『華麗なる大円舞曲』と言っていたが、聞けば確かにどこかで聞いたことがあるけど、曲名を言われても思い出せないしわからない。そんな程度の感覚だ。
そもそもピアノが弾けるだけで凄い、としか思っていない。ただ、この年上のお姉さんはかなり上手なんだろうな、となんとなく思う。
そんなことよりも、この照明のほうが気になって仕方がない。
俺はこれを、どこかで見たことがあるからだ。
そのときはバカにしたような記憶がある。
こんなところで、奏者にだけ頭上からのスポットライトなんて当たるわけがないだろ、と。
そんな記憶がある。
思い出したいが、どこでこんなことがあっただろうか。
少なくとも、こんな機能美を見たら絶対に忘れるわけがない。
ここ最近ではないだろう。そして、現実ではなかった気がしている。
だが、どこで?
ふとウミノの方を見ると、二人はこちらを見ながら、なにか話していた。
今はその不穏な仕草すらも気にならない。
この照明の当たり方を見てから。
いや違う。もっと前から何か引っ掛かる。
ダリア。そうだ、ダリアだ。俺は、どこでこれを聞いたことがあった?
むず痒い。出そうで出て来ない。
少女が弾くピアノ、その光の演出を見ながら、頭の片隅にしまった記憶をなんとか掘り返す作業を続ける。どこでこれを見たのか。
いつの間にか、演奏は終わっていた。
俺のために弾いてくれていたのに申し訳ないが、今はそれどころじゃない。俺は何を見落としていた?
何かが横を通り過ぎた。記憶のマイニングに必死で何も見えていなかった。
横を通った存在に焦点を合わせる。そこにあったのは小さな後ろ姿。
マイハマだった。
どこ行くのか、と思っていると後ろから声が聞こえた。
「次、弾いてくれるって」
ウミノが教えてくれた。
まさか、彼が俺のために弾いてくれるのだろうか。
どこからともなく、足元に補助台が設置されたピアノの前に彼が座る。補助台を使わないと足が届かないような、まさに子どもと言える背丈のはずが、ずいぶんと様になって見えた。
彼の演奏が始まった。軽やかで跳ねるような音。これは知っている。『子犬のワルツ』だ。その名の通り、子犬が跳ねるような、楽しげな曲。
マイハマの力強く、圧倒するような第一印象とは違う、軽快で優しいピアノだった。
曲は二分も経たずに終わってしまった。周囲から拍手が沸き起こる。
女の子たちのうっとりしたような、微笑ましいものを見るかのような目線。
ただ、特に上級生の女の子たちがヤツを見る目線は他の意図もあるように見える。恋慕でも思慕でもない、憧れでもない、他の意図。それはわからない。
俺はこのシーンを知っている。
思い出した。
これは二話だ。
二話で、コイツが弾くピアノに女の子たちがうっとりする。まさに今みたいに。その中には「私」もいた。
そのシーンは、なぜか頭上からのスポットライトが当たる、という馬鹿げた演出だった。
彼の凄さやかっこよさ、視線を独占していることを表現する、誇張した表現だと思っていた。
それだ。それが今、目の前で行われていた。
今日のクラスでの出来事もそうだ。
コイツが、マイハマがなにかすると、女子がキャーキャー騒ぎ出す。
登校するだけで周りの女の子たちが騒ぎ出す。
体育のバレーでスパイクを決めれば歓声が飛ぶ。
彼が廊下を歩くだけで色めき立つ。
そうだ、そうだ。俺は知っている。
そしてその世界での「私」は、不遇で、報われない。
嘘だ。ありえない。その言葉しか頭に浮かんでこない。血の気が引いていく。
これは現実じゃなかったのか?
だとしたら、ここはなんなんだ?
俺はいま、どうなっているんだ?
天井のガラスを覆っていた金属が自動的に収納されていく。次第に室内は明かりを取り戻した。日は少し落ち始めているが、壁面に取り付けられたライトが柔らかいオレンジ色の明かりを維持している。
室内は最初の静けさと賑やかさの中心ぐらいの、穏やかな空気を取り戻している。
俺はいまだに呆然自失としている。目の前の景色が見えているようで見えていない感覚。
今、考えるべきことが山程あるはずなのに何も頭が回らない。
いつの間にか、マイハマは戻ってきていた。
いま、目の前に座っている。
ウミノとなにか話している。俺にもなにか話しかけている。だが、今の俺にはなにも届いていない。鼓膜を震わせていることはわかっている。その音を頭が処理できていない。
自分の頭に浮かんできた、ある疑念。
これが勘違いであることを、明確にしたかった。
なんとしてでも、この身体の震えを止めたかった。恐怖が体を突き動かした。
だから、ある質問をマイハマにぶつけた。
俺が知るはずのない、質問を。
「マ、マイハマくんの下の名前って、”光圀”、じゃないですよね?」
「はあ? ……光圀だけど」
違うと、答えてほしかった。
視界が揺れる。たまらずソファにもたれ掛かる。
ショックを受けるとは、こういうことなのか。
ああ。そうだ。俺は知っていた。
覚えている。
四話ぐらいだったか、ヒロインが袖ケ浦のことを下の名前で呼んでいることに気がついたコイツは、嫉妬して「俺のこと、光圀って呼べよ」って言うんだ。
俺はそのとき、徳川将軍みたいな名前だな、って思ったんだ。
だから、覚えていた。コイツの名前を。マイハマを。
いや、舞浜を。
舞浜 光圀を。
すべてがつながっていく。
謎のスポットライト
ダリア
英華学園
兄の制服
そして、「緑園寺 エリカ」
緑園寺さん、顔、真っ青だよ、とウミノが言っている音が聞こえる。
いや、違う。海野。「海野 珠弦」だ。
お前はなんでメガネなんて掛けているんだ。
悪い冗談だと思いたい。
気がついてしまった。
この世界が。
『恋のジェットコースター』の世界と一緒だということに。
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