14.『恋のジェットコースター』
あの後、体調が悪化したと言ってすぐ帰ることにした。いち早く、この場を離れて、考えたかった。
迎えの車は誰かが呼んでくれたようだ。
帰りの車の中でこの世界について考える。
『恋のジェットコースター』
俺が昔見たアニメ。
あらすじはこうだ。
英華学園という日本有数の元貴族やお金持ち、素封家の子どもたちが集まる高校に特待生として入学した一般人「~~(名字忘れた) 杏」は最初の中間テストで一位を取ってしまう。これが原因で有名財閥グループの御曹司「舞浜 光圀」に目を付けられる。
気がついたら二人は惹かれ合い、それに嫉妬した「舞浜 光圀」の婚約者「緑園寺 エリカ」はヒロインに嫌がらせを取り巻き率いて行う。そのあともなんやかんやありながら、「緑園寺 エリカ」は卒業パーティーで「舞浜 光圀」の反感を買ってしまい、なんやかんやで婚約破棄をされる。そして二人は一緒になる、みたいなシナリオだ。
ところどころうろ覚えだ。ヒロインに至っては名字が思い出せない。作中で名前ばかり呼ばれるので印象がないのだ。他にもいろいろ抜けている部分はあると思う。
ただ、それでも結構覚えている方だと思う。なんせこの作品が放送されたのは十年も前なのだから。
そんな昔のものをなぜ覚えているのか。それはこのアニメが、俺が見てきた恋愛アニメの中でもかなり胸糞悪いものだったからだ。
一番気に食わなかったのは、舞浜は緑園寺という婚約者がいるのにも関わらず、ヒロインと学校でイチャコラしながら関係を深めていくところだ。
最初は、緑園寺も口頭で注意をしていた。だが二人はまったく止まらない。まるで落下を続けるジェットコースターみたいに。
まぁつまり、緑園寺からすると学校内で堂々と婚約者が浮気している状態だ。人目も気にせず。そんな緑園寺の役割はいわゆる悪役。
ヒロインに舞浜との関係について釘を刺したけど全然止まらなかったから、嫉妬で攻撃的になる、というお話だったはずだ。
だが、俺は緑園寺がそんなに悪いとは思っていない。
確かにちょっと高飛車で高圧的な言い方ではあった気がするが、そもそも事の発端は、婚約者がいるのに他の相手と関係を深めている舞浜が悪いし、婚約者がいると知っているのに全然身を引こうとしなかったヒロインもクソだった。
確かに、そのあとのいじめに関しては許されないとは思うが、情状酌量の余地はあると思う。
あのいじめですら、愛のための障害! みたいにポジティブシンキングで頑張るワタシ! みたいに描かれていたヒロインには虫唾が走った。お前が今やってるのはほとんど略奪愛だぞ、と言ってやりたかった。
そして卒業パーティーで緑園寺がなにをしたのかは忘れてしまったが、舞浜から婚約を破棄される。
それで、確か没落させられる。そう、没落だ。
緑園寺家はお家取り潰しになった、みたいなことを舞浜のセリフ一言だけで説明される、俺にとっては衝撃的な展開だった。
俺の印象は、あまりにも報われないエリカ様、といった感じだった。
当時の匿名掲示板はヒロイン叩きで溢れていた。そこから転じてなぜか女叩きにまで発展していたのも覚えている。
とにかく、俺は納得しなかった。脚本を書いたヤツはエリカ様になにか恨みでもあったのだろうか。少なくとも、俺はエリカ様の見た目が大好きだった。あの、金髪縦ロールとお嬢様言葉という、コッテコテのお嬢様。
そうだ、俺が名前を聞いても今まで思い出せもしなかったのはそこだ。
「私」の見た目が、『恋のジェットコースター』に登場するエリカ様と全然違う。
今の「緑園寺 恵莉夏」は黒髪のロング。まさか地毛が金色……ってことはないだろう。髪質がなんとなく染めている感じがしない純な黒に見える。
あの金髪縦ロールは作品内だからってことなのだろうか。それとも、将来的に金髪縦ロールに変身でもするのだろうか。
それを言えば、舞浜も海野もそうだ。
舞浜は金髪だったし、海野に至ってはピンクみたいな髪色だった。
そうだ、海野はめちゃくちゃチャラい男だった。いかにも女性慣れしています、といった感じのキャラクター。それが今はメガネだ。
そして、作品はヒロインが入学してくる、高校生からスタート。それ以前についての情報はない。
つまり、俺は小学生の彼らなんて知らないのだ。
ましてや、エリカ様の家族も知らない。作品に出てこないのだから。
◆ ◆ ◆
家についた。
すぐに部屋に戻ってこのことについて考えたかったが、ママ上が出迎えてくれた。
「エリカさん、学校から連絡が来ました。お加減はいかがですの?」
「大丈夫です。少し寒かっただけです」
適当な嘘だ。この世界がアニメの世界だと気がついたから倒れそうになりました、なんて言えるわけがない。
ママ上は膝をつき、「私」を抱きしめた。
「ああ、わたくしが学校なんて勧めてしまったから、無理をさせてしまいました」
膝が汚れることなんて、微塵も気にしていないようだ。
「ごめんなさい、エリカさん」
「いえ、もう大丈夫ですから。気にしないでください」
抱きしめられる力が緩み、目が合う。
「本当ですか?」
「は、はい」
しばしの沈黙。瞳の奥を覗かれているような感覚。目が泳ぐ。
ママ上はふっと息を吐き、「お夕食までは安静にしていてくださいね」と言いながら頭を撫でられた。
◆ ◆ ◆
自室に戻り、手帳を取り出し、今の状況をまとめる。
アニメの世界、アニメのあらすじ、アニメに登場する人物たち。もろもろ知っている情報を俺の汚い字で書き出す。
ふと思えば、エリカ様の名前はカタカナだった気がする。「恵莉夏」という漢字は知らない。金髪縦ロールだったし、名前がカタカナでも不自然に思わなかった。舞台は日本だけどそういうキャラなんだろう、としか思っていなかった。
色々と微妙に違う。髪色はアニメなので黒だと映えないし、キャラの書き分けのために色をつけています、と言われればそうなのかも知れないが、名前が違うのは明確な差異だろう。
舞浜も海野も多分、アニメの性格と今の性格は違う気がする。ただ、それは高校生になったらアニメと同じ性格へと変わるのかもしれない。
今のところ確実に違う、と言えるのはエリカさんの名前。あと中身が俺ということ。俺が中身ならアニメでのエリカ様みたいな手段は取らないだろう。いじめなんてしないでもっと賢いやり方をすると思うし、そもそも舞浜と結婚したくない。俺はそっちの気は無い。
あらかた書き出し終わった情報を見つめながら、考えを巡らせる。
机に両肘を着け、指先を組んで眉間に親指を当てる。両肘の間にある手帳を俯瞰してみる。
ダリア。あの謎の部屋のメンバーは学内でも特権階級となる、だったか。詳しく覚えていない。
そもそもアニメだとあまり話題にならない。覚えているのは、気に入らないヤツを退学に追い込むことができるぐらいには力がある、ということぐらい。どういうシステムだよ、とは思ったものだ。
そういう関わると面倒なメンツだったので、生徒のほとんどは胸にダリアの記章を付けた生徒を避ける、というのが物語の中で説明されていたはず。
その記章はまさに朝、兄が着ていた制服の左胸にぶら下がっていたヤツだ。そしてあの制服もアニメで舞浜たちが着ていた男子の制服だったはず。中高と一緒なのかもしれない。
ダリアに関する情報はこれぐらい。あとは覚えていない。そもそもあのアニメではダリアだから何やってもいい、学校でイチャイチャしてもいい、みたいな理由付けにしか使われていなかった気もする。
いや、まだあった。確か、ダリアはその証を持っている生徒以外はどんな理由でも立ち入ることができない。だが、舞浜はヒロインを中に入れてイチャコラしてしまう。そこをエリカ様に見られてしまい、あーだーこーだあったはずだ。
このシーン、エリカ様は正論しか言ってなかったけどなぜか悪いやつみたいな描かれ方だったのを覚えている。
あの豪華絢爛な室内。多少の違いはあるが大体同じだった気がする。ただ、アニメの舞台は高等部、つまり高校だった。あの場には小学生しかいなかったが、高校生はまた別の部屋があるのだろうか。
今、俺がいる世界でもダリアが同じ権力を持っている……のかはわからない。
舞浜の扱われ方を見るに、そこまで恐怖されている感じはしない。そもそも生徒の分際で勝手に生徒を退学にできるとか不自然な話だ。あれはアニメにおける舞台装置、というか設定付けのためという感じがする。あまり現実的とは思えない。
「ふぅ」と一息入れて背もたれに体を預ける。
両肘を肘置きに置き、右肘を立てて顎と頬の境目に拳を当てて支える。
机の下で右足首を左膝の上に持っていく。
手帳を見下げながら書かれている文字を見る。
アニメの世界。
手帳にそう大きく書かれた自分の文字を見て、先ほどからちらついていた疑問を引っ張り出す。
――この世界がアニメの世界なら、俺は、頑張る必要があるのだろうか。
虚構の世界じゃないか。
だったら、何を頑張る必要があるのだろうか。まともに小学生のフリをする必要があるのだろうか。
アニメのシナリオ通りに進むのであれば。そうだとすれば、この子にとって、報われない終わり方だ。
逆に俺に体を奪われて良かったとすら思える。
目の前で好きな人を奪われるのをまざまざと見せつけられるんだ。中々クるものがあるだろう。その上、自分のせいで一家は没落させられる。
理不尽も理不尽だ。
だったら俺もやりたいようにやってもいいんじゃないだろうか。
だって、もうどうしようもないじゃないか。
どうせアニメの世界なんだから。未来は変わらないだろう。
高校卒業までの間。あと余命十二年近くってところか。
今日一日だけでも、エリカさんのフリをするのにも限界があることを感じている。
考えることだらけ。いちいちとエリカさんならどうするか、と考えて。その上、後ろめたい気持ちまで抱えて。めんどくさいことが多すぎる。
だったらもう夢の世界だ、と思い込んで自由にできる金で好き放題すればいいんじゃないか。
だって、全部虚構なんだろ? どうせ結末も決まっている。そういう世界なんだから。
という気持ちが心の中に湧いてきている。それを自覚した。
要するに、俺は逃げたいのだ。
俺はもう、結構疲れてる。エリカさんのフリをするのも、考えることにも。
日常に緊張感がありすぎる。常に気を張り詰めて、常に正解を引き当てる努力を求められる。
なぜここまで自分が苦悩しなければならないのだろうか。
きっかけのあの事故も、俺がエリカさんの体を乗っ取ったことも、そのすべての責任が自分ではない、というのに。
なぜ、俺はこの子の人生を背負わなければならないのだろうか。
なぜ、俺がここまでの責任を押し付けられなければならないのか。
いいじゃないか、お金持ちの女の子の体に乗り移って、好き放題する。そうする権利を偶然得たんだ。そう思えば。
沸々と、そういう、責任から逃れたい気持ちが湧いてくる。
ただ
ただ、もしこれが現実だったら。アニメに似ているだけの、現実だったら。
エリカさんの魂が見つかって、やっと体を返すことができた。だというのに、俺に替わってからのエリカさんは学校にも行ってない、家でぐーたらしてました、と俺はエリカさんに報告できるだろうか。あなたの六歳からの数ヶ月、いや最悪数年を無為に消費してました、と。
それが一番可哀想だ。
見知らぬ男に体を奪われて、世間体は最悪。自分の体で何やってたかもわからない状態で返される。気持ちが悪すぎるだろう。俺だったら発狂してしまう。
そしてなにより、この世界が本当に「アニメの世界」なのか、その確証がまだない。
確かに、英華学園、舞浜、海野、緑園寺、ダリアとまったく同じ名称だ。
だが、今年、偶然にも舞浜と海野、緑園寺が同時に入学したのかもしれない。実際に英華学園という名前の学校も、ダリアとかいうふざけた特権階級も存在した、という可能性もまだ拭い去れない。
……だろうか? さすがに奇跡すぎないか?
ということは、やはりアニメの世界なのだろうか。
わからないが、今のところは「現実である」という可能性を捨てきれないのでこのままフリを続けるのが安牌ではあることは確かだ。
結局、最初と変わらない。
これだけ考えても、わからん。
もう頭がいっぱいいっぱいだ。
ベッドに倒れ込む。
この数日で何度も味わった跳ね返りを全身で味わう。
「私」になってから、本当に頭をいくら回しても解決しないことばかりだ。
無限の可能性。そればかりが目の前に広がる。
その中で、最善と思われるものを選ぶしかない。
選択しているようで、選択せざるを得ないだけなのが現状だ。
エリカさんのフリをして、学校に行きながら、女の子であることにも慣れないといけない。
そこに来て、アニメの中の世界。
意味がわからない。
息苦しいったらありゃしない。
「はぁ……」
ため息も出てくるよ。
ただ、この生活にも、少しだけ楽なところもある。
それは、「緑園寺 恵莉夏」という、他人を軸にして生きられること。
俺は全力を尽くして「緑園寺 恵莉夏」を演じればいい。「緑園寺 恵莉夏」のために、生きればいいのだから。
「緑園寺 恵莉夏」が将来的にメリットを享受できるように。「緑園寺 恵莉夏」のために。
それだけ、考えればいい。そのために、頭を悩ませればいい。
「俺」はここにいらない。
そう考えれば少しだけ楽だった。
もう今日は疲れた。
ちょっと寝よう。
起きたらまた、やることを考えよう。
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