35.母との雑談

 日々の過ごし方にも慣れてきた。


 学校から帰って、子リスさんに服を脱がされ、着せられて、自由な時間が数時間あって、それから夕食を食べて、ママ上とお風呂に入って、明日の準備をして就寝。

 仕事というものから解放され、簡単な問題を解くだけの授業に参加して、めちゃくちゃ旨いメシが与えられ、家事の一切もしないで、清潔な服を着てふかふかのベッドで眠れる。

 これだけ聞くと誰もが羨むような素敵なルーチンワークを繰り返しているように聞こえる。

 いや、実際かなり素敵だ。そこに「まったく知らない他人の娘のフリをしながら」という言葉が無ければ。


 今日もいつもの手帳に出来事をまとめ終わった後、少しだけ出ている簡単な課題を終わらせて、旨い夕食に舌鼓を打っている。


 ちなみに夕食は中華だった。

 天津飯やチャーハンみたいなご飯物から、エビチリ、フカヒレのスープ、いろんな種類の点心に、なんか一口で食べられるようにレンゲの上にスープと小籠包を最初から乗せてるヤツもあった。

 全部美味かったけど、小籠包のヤツはヤバかった。噛んだ瞬間、口の中で美味なスープと肉汁が溶け合って、脳みそまで溶けるかと思った。


 なんとなく、こういう家って中華とか出ないイメージだったから意外に感じた。

 俺が町中華レベルしか食べたことないからだろうか。中華って油でテカテカしてるイメージしかない。まあそれが美味いんだけど。

 でも冷静に考えれば高級中華もあるし、今日出てきたのもそういうタイプだ。


 そもそも、夕食を家族で取るって、なんとなくしてなさそうなイメージすらあった。

 アニメや漫画だと、お金持ちの家に生まれた子ってだいたい親に愛されてない、みたいなキャラが多い気がする。

「みんなでご飯食べるの、久しぶり……」みたいなこと言い出すイメージがめちゃくちゃある。

 それか、発言力の強いパパかママが子どもたちに圧かけてピリピリしながらメシ食う、みたいな気まずいヤツ。


 あれ、これも俺の偏見だろうか。


 とにかく、俺はこういう階級の人と関わることが無かったので、まったく知らない。

 ということで、今日は夕食後、しばらく居間でゆっくりしてみることにした。

 もちろんこの家の情報を集めておいたほうが今後「私」として過ごす上で役立つだろう、という打算ありきだ。





 食後、リビングのソファに座りながら紅茶を飲む。

 三十代ぐらいの女性の使用人の方が淹れてくれた紅茶だ。


 この家には使用人、いわゆるメイド的な人が三人いる。

 朝、「私」を起こしに来たり着替えを担当している若い女性。本名は聞けないのでいつも子リスさんと心の中で呼んでいる。

 おそらく「私」の世話を担当しているのだろう。見た目は顔が小さく、目が大きく、茶髪でまさに子リスっぽい感じ。年齢は二十歳前半……いや、下手すると十代後半かもしれない。それぐらい若く見える。


 もう一人が四十代ぐらいの女性の使用人の方。

 この方は家のどこでも見かける。何をしているのかまではわからない。


 そして最後に、三十代ぐらいの女性の使用人の方。

 この方は母の世話担当に当たる感じがする。普段母の近くにいることが多いからだ。


 世話担当、とは言っても別に家の中でべったり付き添っているわけではない。

 子リスさんとも朝と帰ってきたとき、それぐらいしか会うことがない。母の担当も多分そんな感じ。

 現に食事の後のリビングには「私」と母しかいない。


 四十代ぐらいの女性の使用人の方と食事専門の使用人の方が食器を洗っているのが見えるが、ほか二人が何をしているのかはさっぱりだ。

 ちなみにダンディは仕事があるとかで自室に戻ったみたいだ。


 今しがた飲んでいた紅茶が入ったカップを、左手に持ったソーサーへ置く。食器のこすれる小さな音。

 我ながら上品な振る舞いだと思う。目の前のママ上の見様見真似だ。

 なんの気無しに飲んだ紅茶が、口の中で広がる味わいに疑問を感じ、もう一度口元までカップを持っていく。

 そしてもう一度、紅茶を口に含んで、味わい、嚥下する。



 うまい。

 いや、うまい……


 うまい……?

 うまいのか?


 なんか、わからんけどめっちゃうまい"感じ"がする。


 なにがうまいのかわからないけど、うまい、気がする。

 ちなみに今、何の茶葉を飲んでるのかすらわからない。

 でも、とにかくうまいと感じる。


「これ、すごい美味しいですね」

 すごい美味しいかはわからないが、とりあえずそう口にしておいた。

「あら、わかります? リカが淹れたマルコポーロですわ」

 いや、わからん。全然わからん。

 なんだ、マルコポーロって。東方見聞録の人? え? 紅茶の人でもあるの?

 てかあの人、リカって言うんだ。


「おいし~」

 我ながらバカみたいに素直な感想を口に出している。

「ありがとうございます、お嬢様」

 気がついたら後ろに淹れた本人が居た。三十代ぐらいの女性の使用人の方、改めリカさん。下の名前だろうか。

 見た目や声色は冷たそうな印象を受ける。長い髪を後ろでくくった、できるキャリアウーマンって感じだ。


「おかわりもございますので、お気軽にお申し付けください」

「はい、ありがとうございます」

 また一口、口に含む。

 これ、味がうまいんじゃなくて、香りが好きなのかもしれない。ちょっとだけ紅茶がわかった。気がする。

 いや、マルコポーロって紅茶なの? てか結局なんなんだ、マルコポーロ。


「エリカさん、今日の学校はいかがでした?」

 うーん……と唸りながら今日の出来事を振り返る。が、日記をつけているおかげで思いの外すぐに出てくる。

「今日は早乙女さんと横見瀬さんの二人とたくさん話しました」

「あら、それは素敵ですわね」

 ママ上はだいたいなんでも褒めてくれる。褒めて伸ばすタイプなのだろうか。


「早乙女さんは聞き及んでいますけど、横見瀬さんというのは?」

 早乙女さんにジャージを貸した話やお返しを貰った話は以前、食事の時間に少し話していた。それを覚えてくれているみたいだ。

「横見瀬さんは……最初、私を避けている方でしたね」

 ママ上はあらまぁ、と驚きながら口元に手を当てている。本当にこんな身振りする人がいるとは。

 意外と上品で可愛らしい。「私」にもやらせたほうがいいかもしれない。


「わたくしはそういった方々と仲良くなるの、随分と苦労しましたのに。エリカさんはさすがですわね」

 こんな美しいママ上を避ける輩がいるのか。ふてぇ野郎だ。……いや、逆に美人すぎて近寄りがたいのか?

 というか、「私」はさすがなのだろうか? そもそも避けられている理由が「私」の身から出た錆の可能性もあるし……

「いえ、横見瀬さんの方から声をかけてくれたので……私はなにもしてないですよ」


 ふふ、と相好を崩しながらママ上は続ける。

「でもエリカさんだから、その方もお声をかけてくれたのですわ」

「そう……ですかね?」

「こんなに可愛いんですもの。声掛けないで我慢できる人はそう居ませんわ」

 バカ親みたいなこと言ってるけど、客観的に見ても容姿に関してはその通りな気もする。「私」はマジで美人だ。いや、美人になる。

 しかし、その話が本当ならみんな声をかけるのを我慢していることになるな。

 実際はめちゃくちゃ避けられているんだけど。


「あ、それでどんなお話をしたんですの?」

「ええっと……早乙女さんが素敵な髪飾りをしていて、それを選んでくれたのがお母様だって嬉しそうに話していました」

「へぇ、それは素敵なお話ですわね」

 ニコニコしながら「私」の話を聞いている。

「ええ。それで早乙女さんと横見瀬さんはファッションの話を始めて……」

 そこでふと、思った。

 この話、自分が話について行けなかった話だった。

 そんな悲しい話、ママ上に事実をそのまま話していいのだろうか?


「あら、それは楽しそうですわ」

「ええ、楽しそうでした」

「それでしたらエリカさんもさすがに興味が出てきたのではないですか?」

「え? 何にですか?」

「ファッションに、ですわ」


 おっ? おお?

 エリカさん、もしかしてあんまりファッションに興味が無かったのだろうか。

 それは好都合。俺もエリカさんと同じスタートライン。齟齬は出なさそうだ。


「はい、興味出てきました」

 まあ! と嬉しそうにしているママ上。

「ならまたお洋服を買いに行くのもいいかもしれませんわね」

「そうですね、そのとき色々教えてください」

「あ、前の誕生日に贈ったネックレスのブランドは覚えてらっしゃる?」


 

 ネックレス?

 部屋では見てないけど、どこかにあるのだろうか。

 ブランドどころか形状すら知らないんだが……これ、逃れようが無いし正直に言うしかない。

 

「……すみません、忘れてしまいました」

 あら、と残念そうな顔をしていた。それを見ると心が痛む。

「カルティエですわ。少しずつでいいから、ブランドと代表作ぐらいは覚えていくとお話にもついていきやすいですわよ」

 はえー、なるほど。確かにそれは一理どころかニ理ぐらいありそうだ。

 ……ん? 

「……なんで私が話についていけなかったってわかるんですか?」

「お顔を見てなんとなく。どことなくしょんぼりしてましたし」

 しょんぼりしてたか? 嘘だろ、そんなに俺って顔に出るタイプじゃなかったぞ?


「私」の頬を触ってみるが、むにむにしているだけで、なにもわからない。


 すると、ママ上は立ち上がって「私」の隣に座った。

 そして「私」のほっぺをむにむにと触りだした。


「エリカさんは表情に出やすいのですから。気をつけないとダメですわよ?」

「わかひまひた、気をつけまふ」

 そう俺が言うと、ママ上はニコニコしていた。



 そんな感じで、学校のことを話しながら、時は流れていく。

 ゆったりとした時間。ときたま、自分の知らない情報がポツポツとやってきては緊張することもある。

 だけど、すごく、暖かな時間に感じた。

 体の奥底がぼんやり暖かく感じる。

 地に足が付かないような、ふわふわしたような感覚。


 それを俺が味わうべきではないとわかっているけど。


 わかっているけど、避けることも難しそうだ。

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