34.ダリア

「緑園寺様たちはなにを話してたんですか?」

 給食終わりの昼休みの時間、とことこと音がなりそうな歩き方をして近づいてきた早乙女さんはメシ時間の話を聞きに来た。

「うーん、嫌いなものの話ですかね?」

 要約するとそんな感じだった気がする。


「へぇ! 緑園寺様はなにが嫌いなんですか?」

「私は生の貝類が……」

 あれ、これ言いふらしていいのか? 「俺」の嫌いな物なんだが。

「私」が帰ってきたときに齟齬が出そうだし……


 ……いや、もういいや。考えるのもめんどくさくなってきたし。


「生の貝、私もにがて~」

 早乙女さんはえへへ、と照れ笑いを浮かべている。

「そうですか、ならお揃いですね」

「うん、おそろいだね!」

 嬉しそうにしている早乙女さんを見ると、こっちまで釣られて笑顔になってしまう。

 二人してえへへ、と笑ってみた。


 周囲の視線が「私」に向いているのを感じる。

 でも、なんとなく、どうでもいいかな、という気持ちになってきた。



 ◆ ◆ ◆



 ダリアのサロンでいつもの席に座る。

 メンツも変わらず、舞浜と海野だ。

 そういえば、席に座るメンツが変わらないのは不思議だ。他の生徒たちもいるのだが……他の一年生はいないのだろうか。

 辺りを見渡してみてもみんな同じ制服だし、座っていて体格も見えないので誰が一年生なのかいまいちわからない。


「緑園寺さん、誰か探してるの?」

 キョロキョロしていると海野が声をかけてきた。

「いえ、そういうわけじゃないです。ただ……」

 同級生がいるのか探してた。と言いかけたが「私」は同級生を把握しているはず。すんでのところで止まれた。


「ただ、なんだよ」

 舞浜はこういうとき、追求してくるタイプらしい。

「ただ、キョロキョロしてただけですよ」

 そう答えた「私」に興味を失ったかのように、ふーん、と言いながら舞浜もキョロキョロしだした。なんで真似してるんだろうか。

「それで、なにか面白いものが見つかったか?」

 舞浜は何も見つけられなかったみたいだ。


「あー……この部屋は美しいな、と思っていました」

 純粋な気持ちだ。最初にこのサロンへ足を踏み入れたときから思っていた。この部屋は本当に美しい。

 壁紙から天井、床の絨毯まで。すべてが素敵だ。

「ああ、それは僕も思う。緑園寺さんもわかってくれる? 光圀は全然わかってくれなくて」

 明るい声色で海野は同意してくれた。海野は幼いながらに良さがわかるみたいだ。むしろ舞浜には理解できないのが意外だ。

「いや、俺だってわかる。ほら、あの……シャンデリアとか凄い」


「凄いってなんですか」

 激浅い感想すぎてあはは、と笑ってしまった。

「私」に笑われた舞浜はぐぬぬ、と悔しそうな顔を見せている。

「凄いは凄いだろ」

「まあ確かに凄いですけど……舞浜くんは建物が綺麗だとか思ったことないんですか?」

「あるに決まってるだろ。モン・サン=ミシェルを見たときなんて感動した」

「へぇ、どう思ったんですか?」

「……凄いなって」

 舞浜の語彙力の無さが年相応だったのが正直、可愛かった。だからつい、口がすべった。

「可愛いところもあるんですね」


「……うるさい」

 すねちゃった。


 なんかこうやってみると、可愛い弟分みたいだな……なんて思ってしまう。

 が、さすがに言い過ぎたかもしれない。

 謝ろうかと思ったとき、海野が口を挟んできた。


「ところで緑園寺さん、いつの間に光圀のこと、くん呼びになっちゃったの?」



 え?



「そ、そう呼んでましたっけ?」

 あれ、ヤバイな。全然気がついてなかった。え? いつから?

 いや、だって普通、友達のこと様って付けて呼ばないから……



 あ、あれ。これマズいヤツか?

 高校生に上がるまでもなく没落フラグ立っちまうヤツか?

 やっべぇ、どうしよう、なんて謝れば……

「いいだろ、別に」

 戦々恐々としていたところに、まさかの舞浜本人から助け舟が来た。なぜか許された。


「他のヤツなら一言言うだろうが……緑園寺ならいいだろう」

 おお? なぜ?

「どうしてですか?」

「……言わなくてもわかるだろ」

 わかんねーんだけど。マジでどういうことだよ。


 いや、でもいいのか? 本人がそれで良いって言うなら。

「なら、これからも舞浜くんって呼んでいいですか?」

「むしろそっちの方がいい」

 舞浜は無表情だが、なんとなく嬉しそうに見える。


 普段から様付けで堅苦しい人間ばかりに囲まれてるから、偶にはそういう呼ばれ方するのもアリだ、みたいな感覚なのだろうか。

 ふっ、俺様をくん呼びだなんて……おもしれー女。

 ってことか?

 これ、エリカさんが「おもしれー女」枠に入ってしまったのだろうか。不安だ。


 いや、というかこれ、マズくないか?

 舞浜と距離、どんどん近づいてるぞ。

 

 いやでも……まだ小学一年生だし、そんな気にしなくてもいいんじゃね?



 ◆ ◆ ◆



 自室に戻り、いつものように手帳を開く。


 今日のことをまとめ終え、昨日のページを見直す。

 俺は昨日のこと……「俺」の実家がどっかに消えたことがわかったので、エリカさんの魂探しについて、方針転換が必要だと感じた。


 エリカさんの魂の居場所に関してはもう手詰まりだ。

 これ以上、どこを探せばいいのか、何をすればいいのか。

 本当に、まったく思いつかない。


 俺はこの生活が「終われる」と本気で思っていた。

 遅かれ早かれ、いつかは終わりが来てくれる。それでいいと思っていたし、むしろ早いほうが望ましいと思っている。例え「俺」に戻る場所が無くても。


 知りもしない女の子の体に憑依するなんて、荒唐無稽で意味不明だ。

 正直に言えば、まだどこかで夢なんじゃないか、という気持ちになる。

 いや、むしろ夢であってほしい、とすら思っている。


 でも、「俺の存在」を綺麗に消してきた世界を見ていると、ここを現実にしよう、という意志を感じた。

 そんなこと俺にはわからないから、勝手な想像だけど。



 とりあえず、エリカさんの魂を探すのは一旦置いておくしかなさそうだ。

 あまりにも当てがなさすぎる。


 元々、魂が見つかるまでエリカさんのフリをして生活する予定だったけど、その期限がいつまでになるのか予想できなくなった。

 超長期戦を覚悟しなければならない。


 これからはエリカさんと入れ替わった後のことを考えて行動するのは継続しながら、俺が長期的にフリをしやすいように周囲の関係性を維持していく。

 今まで、エリカさんが戻ってきたときのことを考えて、友達の数をいたずらに増やさないように……とか考えていたけどそういうのはもう無しだ。

 エリカさんはいつ戻ってくるかもわからないし、仲良くなりたいと思ったら仲良くなっておく。

 俺にとってメリットがあるなら関係を作っておく。


 ただ、没落に繋がる可能性がある舞浜との婚約、それとなんちゃら杏。それだけは絶対避ける。

 この方針で行く。



 手帳に書き込んだ今日のことを振り返る。

 ペラペラとページをめくる音が心地良い。


「私」のフリをしながら生活する上で、今まではかなり意識して「私」として振る舞っていた。

 だが、今日は「俺」が漏れていたように思う。


 油断していた、というか、この非日常に慣れてしまったのかもしれない。


 最初の数日はこの家も、あの学校も、学校の子どもたちも。

 全部が見知らぬ存在だった。


 でも、もう見慣れた存在になりつつある。



 気をつけないと。


 気をつけないといけない。


 そう思いながら、背もたれに体重を預けて天井を仰ぐ。

 見慣れ始めた天井を見つめながら思う。





 正直、もう面倒くさいな、と。





 なんで自分が、とか。

 なんでこんなことを、とか。

 もっと楽にやらせてくれよ、とか。

 どうしても考えてしまう。





 でも自分が今、奪っている物を考えると、どうしても楽にはなれない。

 楽になっていい、と素直に思えなかった。

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