成人男性でしたが、気付いたらお金持ちお嬢様になってました。誰にもバレずに令嬢として生活してますが正直辛いです。誰か助けてください。
ニクズレ
序章
1.目覚め
知らない天井。ここがどこかわからない。
視界の端には知らない女性が泣きそうな顔でこっちを見ている。
目線だけで彼女の顔を追うと、三十代前半ぐらいの綺麗な女性だった。
俺を見てその顔が次第に驚きに変わっていった。なにか大きな声を出して飛び出していく。
そこで意識が切れた。
◆ ◆ ◆
次に目覚めたとき、また知らない天井が見えた。
目だけであたりを見回すと、月明かりがぼんやりと室内を照らしているのがわかった。
大きな点滴スタンドから伸びた針が幼い左腕に刺さっている。
かすかに漂う消毒液の匂い。
おそらく病院。自分はベッドの上にいるのだろう。それがなんとなくわかった。
ぼんやりした頭でおぼろげな記憶を掘り返す。
事故にあった。
運転中、反対車線から黒塗りのイカつい車が飛び出してきた。
そう、思い出した。目の前に思いっきり突っ込んで来て正面衝突。
それでこの病院に運び込まれたんだろう。
それなら辻褄は合う。
上体を起こして部屋を見渡すと、正面に大きな窓があった。そのカーテンの隙間から月明かりが部屋の中心に落ちている。
明かりのない室内だが、それなりに見えるほど、今日の月は明るかった。
おかげで一つ疑問が生まれた。ここは本当に病室なのだろうか、と。
広すぎる上に、天井が高い。全体的にデカい。それに、テーブルと椅子が三脚もあって、ソファまで置いてある。
視線を右に動かせば花瓶があり、花が生けられている。
左に動かせばカーテンが壁一面を覆っている。おそらく壁一面がガラス張りなのだろう。
床もよく見ると絨毯が敷かれてあり、奥の壁にも「いい感じで水彩絵の具を散らしました」みたいな、なんなのかよくわからない絵も飾ってある。
まるで高級ホテルみたいな光景が目の前に広がっていた。
だが、自分の後方に振り返り、上へと目を向けると白いバーの上にコンセントプラグとかライトとか名前もわからん謎プラグとか、病室によくあるヤツが壁に取り付いている。
やはり病室だと思う。しかしちょっと位置が高すぎる。手を伸ばしても届かなさそうだ。
なんというか、部屋全体の調和が取れている。全体的に上品だ。
こうなってくると花瓶にいけられた名も知らぬ花々すらも、なんだか心なしか品が良く見える。
病室というより、ホテルと表現したほうが近い。そう感じた。
頭上の名前も知らない白いバーと左手の点滴スタンドと、かすかな消毒液の匂いがなければ病室と気が付かなかったかもしれない。
……間違って金持ち専用の病院にでも運ばれてしまったのだろうか。
それは困る。
こんなところ、一泊いくらするのか想像もつかない。せっかく命拾いしたのに内蔵を売る羽目になるのは避けたい。
思い返せばあの黒塗りのイカつい車はおそらく高級車だ。突っ込んでくるときの一瞬、ボンネットに女神のエンブレムが付いているのが見えた。
もしかすると、彼らがこの病院に俺を搬送してくれたのかもしれない。
それなら金を払う義理もないな。あれは俺に過失はない。対向車線に突っ込んできた相手が悪い。普通に運転していただけで回避不可能だった……はずだ。
しかし相手は無事なのだろうか。まぁ俺が無事なら大丈夫だろう。
そう思うことにした。
壁に掛けられている、落ち着いたデザインでこれまた上品な時計を見ると今は夜の九時。事故は朝の八時ぐらいだったと思うから結構眠っていたようだ。
会社に連絡するのも明日でいいだろう。出勤中の事故だったが、こういうときは病院から会社に連絡してくれているはずだ。
無断欠勤になっていなければいいが。
まだ体力が戻っていないのか、もう疲れた感じがする。
手足も動くし、体も変な感じはしない。脳震盪ぐらいだったのだろう。
大したことなかったんだ。もう考えるのもめんどうだ。寝よう。
そう考え、体を後ろに倒す。
ぽすん、と軽い感覚が帰ってくる。一回り大きく感じるベッドは寝心地が最高だった。
こんなベッド、今日ぐらいしか使えないだろう。
体の力を抜いてリラックスする。
柔らかくも軽く体を押し返すような心地よさを感じながら、うつらうつらと事故のことを思い出す。
そういえば、あのとき、視界の右のほうに一瞬、子どもが見えた気がした。
それを避けるためにあの車はこっちに突っ込んできたのか?
あー、そういうことかぁ……それならしかたがない……
……
…………
目の前から車が突っ込んできて脳震盪で済むか?
記憶では俺の目の前に車が突っ込んできていた。
そう、目の前だ。
俺は低速でもなんでもない、普通の速度。
相手もそれなりの速度で急ハンドルを切ってきた。
エアバッグが作動した記憶もある。
相手が乗っていたのはイカつい高級車。
だが、俺が乗っていたのは軽自動車。
そう、軽自動車。
それが正面衝突すれば軽自動車の運転席なんてぺしゃんこだ。
背筋が冷える。
なにかおかしい。
――あの事故で、俺が”無事”なわけがない。
ましてやこのデカい点滴一つで済むわけがない。
手足どころか体がなくなっていても別におかしくないはずだ。
もう一度上体を起こして左腕を見る。
そこにあるのは点滴が刺さった”子どものような”腕。
子どもの腕……?
なんだこれ?
ぐっと左手を動かすように力を込めると”その腕”が自分の想像通りに動いた。
「は?」とかすれた声が出た。
思考が止まった。
自分の体になにがあったのかわからない。
ただ、左腕が筋肉の存在を感じさせない、小さな腕になっていた。
上半身を起こし、右手も確認してみると、同じような腕だった。
「えぇ……」
口から漏れた苦し紛れの困惑も思ったより音が高かった。
なんだこれは。と思っていると頬にさらりとなにかが触れる感覚があった。
髪が抜け落ちたかと思い、顔に張り付いたそれを指で摘んで取り除くため引っ張ると、頭皮に痛みが走った。
なんだこれ? と思い、その細い糸状の根本を探るように手を上へと持っていくと、もみあげがある辺りからさらりとした指通りを感じた。
ありえない感触。
ぞっとする、気味の悪さを覚えながら、その束を前に持ってきて見るとそれは綺麗な黒髪だった。
月明かりしかなくてわかりづらいが、手触りはさらりとしていて、傷んでいる感じがまったくしない。よく手入れされていることがすぐわかった。
時間が止まった。
また思考が止まっている。
そうか、ここまで髪が伸びるほど寝ていたのか……
つまり寝ている間に誰かが縮毛矯正をかけて、髪の手入れをしてくれていたってことだ。
「そんなことするぐらいなら切ってくれよ……」
咄嗟にあたりを見渡す。誰もいない。
急にどこからか子どもの声がした。しかも俺の思っていたことを。
俺が喋ろうとしていた言葉を話しやがった。
思考を読んでるのか?
いやわかっている。
今の声は俺の喉からだ。
恐る恐る、ゆっくりと
自分にかかっている毛布をめくり上げた。
そこにあったのは、ピンク色の検診衣を着た、小さな体だった。
心臓が止まった。
と思った矢先に、心臓が激しく脈打つ音が聞こえてくる。
冷や汗が止まらない。
焦ってベッドの右から降りようとしたら点滴が腕を引っ張った。
引っこ抜こうと思ったが途中で止めたらヤバいヤツかもと思ったら怖くて抜けなかった。
落ち着いてなんていないけど、嫌に冷えた頭のまま、ベッドの左から降りた。
点滴スタンドを引きずり、ベッドの左手にある壁一面のバカでかいカーテンに近づいた。
怖かった。
これを開けてしまったら、もう戻れないんじゃないか。
でも、俺が
俺が、何になってしまったのか。
確かめないわけにはいかない。
ゆっくりとカーテンに手をかけ、力を込める。
ぐいっとカーテンを右に引っ張った。
が、思ったより固くてまったく動かない。
壊れるかもしれないという恐怖もあったが、それよりも自分自身のことでいっぱいいっぱいだったので、両手で力いっぱい右にスライドさせた。
そこには、綺羅びやかで騒々しい「都会」を絵に描いたような美しい夜景が眼下に広がっていた。
だがそんなものには目が行かなかった。
その手前
ガラスに薄っすらと反射した自分の姿
間違いなく
女の子だった。
都会の生み出す人工的な光と月明かりに照らされた、肩甲骨当たりまで伸びた黒髪は艶やかで、切れ長の大きな瞳は「俺」の視線を吸い込んだ。
驚愕の眼差しを向けるガラスの中の少女に手を伸ばすと、少女も手を伸ばした。
「俺」は、「私」になっていた。
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