2.家族

 自分の姿を確認したあと、俺は何をするでもなく寝た。

 単純に疲れていたというのもあるが、とりあえず寝れば元に戻るだろという楽観主義から来るものと、どうせ夢かなにかだと思い込む現実逃避からだ。

 常識的な成人男性なら「目覚めたら自分が少女になっていた」ということを簡単に受け入れられない。俺は常識的な成人男性のつもりだ。


 だが、次に目覚めたときも俺は同じ病室にいた。姿もそのままだった。

 自分の気持ちにまったく整理がつかないまま、ただ呆然と目の前にいる人達を見ていた。

 一人は三十代前半ぐらいのシュッとしたダンディな男性、そしてもう一人は同じぐらいの年齢の綺麗な女性がいた。


 いや、正確に言うと「私」の父と母がいた。

 もちろん、最初は誰かわからなかった。

 だが俺の方を見て「エリカ」と親しみを込めて呼び、心配そうな顔を見せていればなんとなく察しが付く。

 

 ああ、この人たちが「私」の両親なんだ、と。

 呆然と、ただ呆然とそう感じた。

 不思議と心音は落ち着いていた。


「エリカ、大丈夫かい?」

 ダンディが話しかけてきた。口ひげとあごひげを少しだけ貯え、髪は全体的にパーマがかっている。男の俺から見ても色気が凄い。

 俺が一番好きなタイプのダンディだ。


 反射的に、社会人の社交辞令「大丈夫です」が飛び出そうになったが、ぐっとこらえた。

 そもそも大丈夫じゃない。どうこの事態を伝えるべきか考える。

 少しの逡巡の後、素直に「なんか娘さんの体に入っちゃったみたいっす」と言うしかないと結論が出た。


 両親を改めて見直し、よし言うぞと意気込んで見たもののぎょっとしてしまった。

 二人の目が、本気で心配そうに「私」をまっすぐ見つめていた。

 言葉に詰まってしまった。


 この二人に今から「車の事故に巻き込まれて目覚めたらここにいました。実は二十七歳の男が中に入ってます。すんません」と言った後が簡単に想像できた。

 悲しそうな顔をしながらまずは脳の病気を疑われるのだろう。


「エリカ、どうした? まだ調子がよくないかい?」


 ……いや、むしろちゃんと診てもらったほうがいいのでは?

 そうだ、冷静に考えれば別に俺は悪くない。この二人が悲しそうな顔をしたとしても、俺には関係ない。

 一回診てもらおう。


「あ、あの……」


 起きてすぐ声を出したせいか、うまく声が出せなかった。

 それに、こんなわけのわからない状況をこれからどう説明すればいいのか考えていると、言葉が詰まってしまった。


 すると目の前の二人はの表情がみるみる苦しそうな顔になっていく。


 あれ、やばい、どうしよう。


 自分に子どもはいなかったがその顔の意味はわかる。

 心配、不安。

 そんな感情が読み取れてしまった。


 胸のあたりに強い痛みを感じる。

 二人にこの顔をさせているのは自分だ。


 胸をぐっと抑える。


 だからなんだ。俺には知ったこっちゃない。

 そもそも知らない人なんだし。

 そう思って言葉を続けようとすると、頬を何かが伝うのを感じた。


 手の甲でそれを拭って始めてわかった。

 涙だった。





 ん?

 えっ?


 どういうこと?


 なんで俺、泣いてるの?

 ヤバイ、全然止まらない。

 あれ! なんか目の前のダンディも泣きそうになってる!


 なんかダンディに抱きしめられた。

 エリカ、怖かったねぇ! とか言ってるけどいや全然そんなことない。

 ちょっと待ってくれ。泣くつもりなんて一切なかった。

 体が勝手に泣き出しやがった。


 体が、勝手に。そう、そうだ。俺の考えとは違った。

 この小さな体が泣き出した。なぜかはまったくわからない。


 とりあえず俺より泣いてる父をなだめるために

「大丈夫です」

 とだけ答えておいた。



 ◆ ◆ ◆



 俺が泣き出したことで大丈夫だと思えたのか知らんが両親は安心したようだ。

 なんか普通に話を始めている。

 安心できたようでよかったよかった。





 いや、よくない。

 俺は本当のことを話してしまおうと思っていたのだが、そのタイミングを完全に逃してしまった。

 見ろ、あの安心しきってにこやかに会話をしている二人の顔を。

 今ここで「いや~、この体の中身、二十七歳が入ってるんスよwマジウケますよねw」などと言ってみろ。

 真顔で「さっきの涙なんだったの?」って言われるだろ。

 

 そりゃそうだ! 俺だってそう思うよ!

 しかし、それでも、恥を偲んでも言い出すべきなんだろう。

「さっきの涙はあのォ~、アッ、ヵ、体が勝手にとォw、アッッwwイィww、ィイますかァ~wンフッww」と正直に言ったほうがいい。



 無理だった。

 二十七年間こじらせた、しょうもなく、キショいプライドがそれを許せなかった。

「さっきの涙なんだったの?」と聞かれたら答える勇気がなかった。

 もう一つ、言い出せない言い訳をするなら、あんな涙を見せたあとに中身は二十七歳です。とか言っても信じられない気もしている。


 自分でも良くない選択だとわかっているが、この子の中身が俺であることを告白する件については後回しにした。

 どうであれ”この子の体に俺がいること”はおかしい。これは揺るぎない事実だ。

 俺がおかしいのかこの子がおかしいのかはわからないが、一応頭の検査はしてほしい。

 夢なら覚めてほしい。


「エリカさん、本当に大丈夫ですの?」

 母と思われる女性が聞いてきた。不安そうな顔をしている。

 しかし美しい女性だ。切れ長で大きな目。顔は少しキツそうな印象を受けるが、女性的なショートヘアで全体的にゆるくパーマがかっており、醸し出される雰囲気は優しげだ。


 チャンスだ。ここで自然に、CTかMRIを要求するんだ。

「少し、頭がくらくらするので念のために頭の検査だけして欲しいです」


 驚いた顔をした二人。

「大変! すぐに先生を呼んで!」

 部屋にいた看護師さんが走り出した。全然気が付かなかったが看護師さんもいたようだ。


 しかし心配するようなこと言ってしまったようだ。

 そりゃそうか。車同士の衝突事故だ。頭がくらくらするならもっと早く言えって話だ。

 全然大丈夫じゃないだろ。



 ……ん? 車の事故は「俺」が巻き込まれたものだ。

「私」はなんでここにいるんだ?


「そ、そういえば、お……わたしはなんの病気なんですか……?」

 俺って言いそうになってとっさにわたしと言い換えた。あまりにもとっさの判断で、言葉に対する自信の無さが語尾から漏れ出しているのが自分でもわかった。


 そんな「私」を見た二人はまたしても驚いた顔をしたが、質問にはダンディな父が答えてくれた。

「学校へ行く途中、事故に遭ったんだ。後ろに乗っていたからね、覚えていないのも無理もない」

 後ろに乗ってた?

 なるほど、送迎車ってことなのか。そして偶然にもこの子も車の事故らしい。


 ドタドタと白衣のハゲ散らかした先生が飛び込んできた。

 今から脳のなんやかんやをするらしい。黙って全部受けることにした。


 ダンディパッパはずっと俺を心配そうに見ている。

「私」の父は心配性なのかもしれない。

 いや、娘のことだ。心配して当たり前か。

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