3.思考の整理

 医者が言うには脳に特に問題は見られないとのこと。

 そもそも、事故の直後にすべての検査は済んでいたらしい。そこに俺が適当ぶっこいたせいで医者は泡を食ったように焦っていた。少し申し訳ない。

 結果を聞いて両親は安心していたが俺は不安になった。問題がないことに問題があることに。


 

 検査は終わったが、今日は一晩、大事を取って病室に泊まることとなった。

 両親は心配そうに色々と声をかけてきたが、全部大丈夫と言っておいた。

 全然安心したような顔はしていなかったが、まぁこんな幼い子どもを一人にするんだ。そんなもんだろう。

 

 なんとなくわかってはいたが「私」はお金持ちの家の生まれのようだ。

 病室のランク、両親の見た目、着ている服。明らかに俺が暮らしていたグレードの人ではない。

 だからだろうか、どうしても出席しないといけないパーティ、とかいう聞き馴染みのない言葉が飛んできた。

 今日は「マイハマ」とかいう人のパーティに参加する予定らしい。

「残念だね、楽しみにしていたのに……」

 ダンディはそう言うが、もちろん記憶にはない。「私」も参加する予定だったのだろうか。そして「私」は楽しみにしていたのだろう。



 ◆ ◆ ◆



 さて、またホテルみたいな病室にひとりきりだ。

 とりあえずソファに座ってみた。あんまり沈み込まない。なんだったら少し跳ね返るぐらいだ。「私」が軽いからか、そういうソファなのかすらもわからない。


 この不思議な状況について考えてみる。


 まずはこの……エリカさんの体に俺の意識がある状態について。

 わかってはいたが、現代医学の範疇ではないだろう。オカルトの方だ。

 状況的には憑依、って言葉が近いか?


 色々疑問がある。

 まず、「俺」はあの後、どうなった?

 あの事故で「俺」はどうなったのだろうか。生きているのだろうか。

 なぜ、「私」に憑依してしまったのか。

 少なくとも俺はエリカさんのことを知らない。まったくの他人だ。

 そしてもうひとつ……


 まぁ、今考えたところでどうしようもない。答えが出ないことばかりだ。


 とりあえず「私」についてわかったこと。

 名前は「エリカ」。名字は「リョクエンジ」だ。さっき両親が名前を呼ばれていたのでわかった。文字で一度も見かけてないので漢字はわからない。

 家族は美人の両親がほぼ確定。兄弟はわからない。いるのかいないのかも。

 年齢は六歳のようだ。両親と医者の会話から聞こえてきた。

 そして、性別はもちろん女の子だ。困ったことに。


 備え付けのテーブルの天板の中に収納されている鏡を展開する。指紋一つない綺麗な鏡面が「私」の顔面を映し出す。

 子どもなのでまだまだだが、美人になるだろうなという予感はひしひしと感じられる。あの父と母の子だし、顔面の将来性が凄い子だ。

 全身を触って確かめてもなんとなく華奢な感じがする。子どもだから当たり前なのかもしれないが。

 それに、下腹部には完全に無い。身体的な性別は女だ。

 俺にわかったことはこれぐらい。一番大事な、この状況に至ってしまった根本的な原因についてはまったくわかっていない。


 そんなことより、喫緊の問題がある。

 

 トイレに行きたいってことだ。


 なんというか、いくら六歳児とはいえ申し訳ない気持ちになる。

 不可抗力とはいえ、許諾なしに女性の放尿を見るどころか体験してしまうのは。

 司法も女性の放尿を無許可で体験した者を罪に問えないだろう。犯罪の超越だ。俺は犯罪の超越者だ。なんかかっこいい。

 いやふざけている場合じゃない。本当に申し訳ないのだが。


 そもそも、この子からすれば知らないおじさんが体の中に入っているだけでもキッッショいだろうに、あまつさえ放尿すら見られるのは……いささかかわいそうだ……

 だが、しないわけにはいかない。むしろ漏らさないだけありがたいと思ってもらわないと困る。


 病室にあるトイレのドアを開ける。清掃の行き届いた綺麗なトイレで、どことなく良い香りすらする。豪華、というより上品さがある。

 もし、壁面に手すりがたくさん付いていなかったらここが病室のトイレだとわからないかもしれない。

 

 シルクのパジャマの下を脱ぎ、パンツも脱ぐ。

 マジで無い。わかってはいたが衝撃を感じざるを得ない。

「本当になくなったのか……」

 思わず声に出してしまった。

 あんまりまじまじと見るのも申し訳ないので、さっさと便座に座って用を済ませる。


 ……


 なるほど、面白い発見があった。

 男性だとブツがあるので、ある程度方向をコントロールできた。便器の端っこに当てたりとか。だが女性の場合、そうはいかなかった。ほぼ真下に向かって放出されている。なのでじょぼじょぼうるさい。というかなんか勢いが強い気すらする。若さ……六歳はさすがにちょっと若すぎると思うので若さではないだろう。構造的な問題なのだろうか?

 そこでなんとなく、なぜ乙姫とかいう音響設備が女子トイレに優先的に配置されるのか、わかった気がした。


 ありがとう、エリカさん。

 君の体を借りたお陰で俺はまたひとつ賢くなってしまったようだ。……いや、正解なのか知らないけど。

 

 ブツがないので振ることもできない。ペーパーで拭いて下着とパジャマの下を履き直す。

 トイレのドアを開け、病室に戻る。

 完璧だ。俺はもう女としてトイレができる。そしてごめん、エリカさん。不可抗力とはいえ……

 申し訳ない。



 気を取り直して本題に戻る。


 今のことでよくわかった。

 やはり、この体は早く彼女に返すべきだ。どう考えてもそれがいい。

 二十七歳の男に全身すべてをコントロールされる齢六歳。

 あんまりだ。俺がロリコンじゃなかったのだけが救いだろう。


 そもそも本来の持ち主は彼女だ。

 俺がどうなるのかは知らないが……とりあえずは返そう。


 問題はどうやったら返せるのか? ということなんだが。




 ……まったくわからない。想像もつかない。

 そもそも、どういう経緯で俺がエリカさんの体に入ったのかすらわかっていない。なにもヒントがない。情報が足りなさすぎる。


 1つ、共通点があるとすれば「俺」も「私」も自動車事故に遭っていることだ。

 それも、今日の日付から察するに恐らく昨日。同じ日だと思われる。

 だとすれば、事故の相手が「俺」と「私」だったんじゃないだろうか。


 おお、なんか繋がってきたな。

 ……だからといって俺がこの子に憑依する理由にはならないが。



 待てよ、なんで俺は「憑依」していると思っているんだ? もしかしたら「入れ替り」なんじゃないのか?

 俺の体にエリカさんが入る。六歳の女の子が……

 中年太りが気になり出した体に……

 ……もうどっちにしろ可哀想だな、エリカさん。


 このまま病室にいてもまったく情報が集まらない。まずは共通点の可能性がある事故の状況について聞きたい。

 なら事故の当事者だ。エリカさんは運転できないだろう。つまり事故の瞬間、運転手がいたはずだ。

 リョクエンジ家の運転手を探そう。まずはそこからだ。

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