4.事故の当事者
事故の状況から考えて、軽自動車相手でも運転手はそれなりの怪我をしている可能性が高い。
ならこの病院内にいるのでは? と調べてみるとリョクエンジ家の運転手はすぐ見つかった。
部屋を抜け出して看護師さんに聞いてみると、それはそれは丁寧に教えてくれた。
ナースステーションのカウンターにまったく背が届いていないような子ども相手に。
そのまま親切な看護師さんに案内され、病室へとたどり着いた。
ちらっと入り口の辺りにネームプレートがないか探してみたが、見つからない。「私」の部屋と同じみたいだ。
看護師さんが扉を開けてくれた。中に進むと、男性がいた。
名前も知らない運転手はきれいな灰色髪の初老で、これまたパッパとは異なるダンディズムを感じる男性だ。
その右足は包帯でぐるぐる巻だ。痛ましい。
彼は「私」を見るなり、頭を下げてきた。
「エリカ様、この度はお怪我をさせてしまい、大変申し訳ございません」
「私の不徳の致すところ。わざわざ足を運んで頂いたことも恐縮でございます。何分、足が不自由になってしまったもので」
今気がついたが、そうか、そりゃそうだ。
この人にとって俺は怪我を負わせてしまったお嬢様だった。
「私」の怪我は大したことなかったっぽいけど。いや、中身は大怪我どころじゃないが。
「大丈夫です。怪我はなんともありません。むしろあなたのほうが大事じゃないですか。足は大丈夫ですか?」
初老ダンディの顔が不自然なものを見る顔になってる。
……
まずい。忘れてた。
俺は今、エリカさんだった。
エリカさんの話し方を意識しないと。
……いや、意識とか言われてもそもそも正解を知らない。俺は以前のエリカさんを知らないんだから。
今、俺はあまりにも無策でここに来てしまったかもしれない。
この動揺を隠すように、いつもの癖で引きつった笑みを浮かべてしまった。
「お嬢様にそのようなお言葉を掛けていただけるとは、恐悦至極に存じます。本日はどのようなご要件でしたか?」
「えっと……あなたの容態も気になったので様子を見に来たのと、あと事故のことを……」
「お嬢様が私の……」
絶句してる。ヤバイ。なんかミスったかも。
「そのようなお言葉をいただけること、この山城、身に余る光栄でございます。もはや今生に憂いはございません。やはり我が主にこの度の事故の責任を取らせていただきたいと談判させていただきます。沙汰は追ってご連絡をお待ち下さい」
待て待て待て待て怖いって。なにこのダンディ死のうとしてないか? 死なないでくれダンディ山城。
「ちょ、ちょっと待ってください。そんなことは求めていないです。私が聞きたいのは事故のことです」
「なるほど、かしこまりました。どのような情報をご所望ですかな?」
「できれば最初からお願いします」
「そうですね……事故当日、お嬢様は七時三十八分に乗車して行きました――」
山城さんの情報は細かく、分単位での行動を記録していた。それもなんか怖い。でも大事なことはわかりそうだ。
「――事故は七時四十分ごろになります。~~通りにて、私の運転する車の前に、子どもがトラックの影から飛び出してきました。これを右に急ハンドルを切って回避しましたが、その先からやってきた軽自動車と正面衝突、というのが事故のあらましとなります」
時間帯、~~通り、軽自動車……
やはり、そうだ。聞くしかあるまい。
「その、軽自動車を運転していた人はどうなったんですか?」
「それが、不自然な事故でして、相手の車の運転手がいなかったのです」
は?
あ、俺の事故とは違う事故か?
「これが事故当時の写真です。実は警察からもなにかわからないか、と聞かれましたがまったくわからなくて」
一枚のA4用紙を手渡される。そこに印刷されていたのは、紛れもなく俺の軽自動車と同じ車種、同じカラーリング。
それがめちゃくちゃになっている。
事故直前の最後の記憶。真正面から突っ込まれたらこうなるだろうな、って壊れ方。
俺には車の趣味はなかったので買ったのもよくある軽自動車で、車体は購入時からまったく変わっていない。だから他にも似た車はたくさんあるはず。それも数え切れないほど。
それでも、これは俺の車、だと思う。状況から考えて、それしか考えられない。
ひとつ気になるのは、この車のナンバープレートが真っ白になっていることだ。
「ああっ、お嬢様にお見せするような写真ではありませんでしたね。大変失礼いたしました」
はっとした。呆然としてしまっていたようだ。
「いえ、大丈夫です。それより、この車、ナンバープレートが真っ白じゃないですか?」
「その通りでございます。相手の車にはナンバープレートがありませんでした。そのため警察も捜査に手間取っているとか……。しかしお嬢様、よくナンバープレートなんてものをご存知でしたね」
そんなわけない。
俺の車は正式にナンバープレートを取得している。じゃないと犯罪だ。
おかしい。
本当に俺の車か?
いや、俺の車だ。そんな気がする。
言い知れぬ不安が体を包む。
頭は考えているようで、なにも考えられないまま、ただぼーっと写真を眺めていた。
「お嬢様? ……顔色があまりよろしくありませんね。申し訳ありません、事故を思い出させるような写真を見せるべきではありませんでした。今看護師を呼びますのでおかけになってお待ち下さい」
「あ、はい。そうさせてもらいます……。教えてくれてありがとうございました」
「とんでもございません。御用がございましたらまたいつでもお声がけください」
山城さんはいい人だ。
すぐに看護師さんが駆けつけて車いすに乗せられた。
医者を呼ぶか、と聞かれたが問題ないと言ってベッドに寝かせてもらった。
◆ ◆ ◆
夕方、ベッドの上で胡座をかきながら山城さんとの話を思い返す。
「それが、不自然な事故でして、相手の車の運転手がいなかったのです」
同じような時間帯、~~通り、見せられた事故当時の写真、同一車種。
ここまで条件が揃っていればなんとなくわかる。不自然な点はあるが、おそらく消えたのは「俺」だ。
「俺」の体はどこかに消えてしまったようだ。
どこに?
どこに俺の体は消えた?
職場はどうなる? あの途中だった仕事は?
父に母、それと兄。
家族は俺のことを探しているのか?
俺の体は見つかるのか?
「あーーーー、まったくわからん」
そう言いながらベッドに体を投げ出した。
程よく硬く、心地良い跳ね返りを背中に感じる。
考えがまとまらない。わからないことが多すぎる。
それより、この子、エリカさんの魂だ。この子の魂だけは元に戻してあげたい。そうじゃないと、おかしいだろう。
俺は肉体ごと消えた。それはまぁ百歩譲っていいとして。なぜその男の精神がこの子の中に入ってしまった?
どう考えても不自然だ。これこそ一番意味がわからないことだ。
とりあえず、当面の目標はこの子の魂を探すことだ。
どこにあるのかまったく見当もついていないが。
ぐっと上に伸びをする。
体はすでに倦怠感に包まれている。情報が多すぎたのだろうか、頭だけではなく体まで疲れてしまった。時刻はまだ六時だが、もう眠たい。
まさに子ども体力だ。
あれ? 子どもってもっと元気じゃなかったか?
そこらへんもよくわからん。もうわからんづくしだ。
わからんづくしだけど、明日は退院。家に戻ればまたなにか情報が得られるだろう。
あと山城さんには生きていてもらいたい。ダンディパッパには一言口添えておこう。
今更だが、山城さんって俺が知らないエリカお嬢様を知っている人だよな?
事故直前、最後まで一緒にいたんだし。
山城さん、もしかして「私」が別人って気がついていたか?
いや、気がついてないだろ。
だってあの両親だって何も言ってこなかったんだし。
意外と丁寧な言葉づかいだけ忘れなければイケるんじゃないか?
お嬢様のフリも意外とちょろいもんだ。
さ、今日は寝よう。
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