18.二度目の登校

「お嬢様、行ってらっしゃいませ」

「行ってきます」

 ドアを開けてくれた運転手に挨拶をする。

 名前も知らないのは失礼なのでは、と思うが、エリカさんが一度聞いているなら不自然になるので聞けない。細々としたところで気を使っている自覚はあるが、そういうところでしか気を使えないのが今の状況だ。

 せめて、エリカさんの記憶ごと引き継げたら楽だったんだが。


 などと考えながら校舎までの道のりを歩く。

 周囲の子どもたちの服装を見る。カーディガンに花の刺繍がない。

 自分の服を見直す。カーディガンの左胸にでかでかとある花の刺繍。つまりこれはダリアの子限定のカーディガンということだろう。


 ダリア。そういえば、アレは任意参加なのだろうか。

 昨日は舞浜に連れて行かれたが、あの感じだと参加しなくてもいいのだろう。

 だったら、今日からは極力参加しない方向で行こう。俺は興味ないし。

 ……参加しないとエリカさんの評判が落ちる、なんてことはないと思いたい。というかそもそも、あれは集まって何をしているのだろうか。昨日はお茶飲みながらお喋りして、ピアノ弾いてもらっただけだ。


 アニメでは気に食わないヤツを退学にできる、学内の特権階級とされていた。あまりにも非現実的なシステム。

 さすがにそんなものは存在しないだろう。あれはアニメだけの設定と思ったほうがいい。いくらなんでも不自然だ。


 そうなると、ダリアとは何のために存在するのかがわからない。

 ……現実的な意義があるとすれば、将来的に仕事をする相手、結婚の相手と先に関係を築いておくための場所、と言ったところか。

 おそらく、あそこにいた子どもたちは、将来日本を動かすような人々になるのだろう。どうせ家柄的に何らかの関係を持つんだから今のうちに仲良くなっておけ、と。そう考えるとダリアの存在も理解できる。


 ただ、そうなると「私」の家の力はどうなのだろうか。

 昨日見たママ上の部屋は比較的質素、に見えた。金が無いとは思えないんだが、無駄遣いしている感じがしない。

 ママ上が倹約家、という可能性はもちろんあるが、実は金はそこまでだけど血筋だけはいいです、みたいな感じなのかもしれない。

 ま、それも想像でしか無いのだが。


「緑園寺様、ご、ごきげんよう」

 不意に挨拶された。昨日は少し狼狽えてキショ笑いを作ってしまった。

 だが今日は違う。イメージトレーニングは済んである。

「ごきげんよう」

 目元を少し和らげ、口角をわずかに上げる。表情は大きく動かさない。わずかに、微笑みを湛えていると分かる程度でいい。可憐で儚い花のような笑顔を作る。


 家を出る直前、鏡の前で笑顔の練習していたときに発見した、最強の笑顔だ。

 エリカさんの顔は美形だ。にっこり笑えばそれはもう愛らしい。それこそ満開の花のように。

 だが、それでは淑女っぽくない。俺の知識ではそうだ。淑女は満面の笑みを見せない。そんな気がする。

 だから上品に。少しばかりの表情の変化で魅せる。ちょっと目元と口元を動かすだけで笑みを作ったほうが、上品ではないだろうか、と試してみたらその通りだった。

 自分の顔じゃないので顔面を思う存分客観視できたと思う。


 決まった。そう感じた。手応えはある。なんせ目の前の女の子が逃げていない。

 よし。これだ。これが淑女の挨拶ってもんだ。

 さぁ、何人でもかかってこい。俺が本当の淑女ってヤツをお前らに叩き込んでやる。



 ……と、意気込んで見たがそれから道中挨拶してくる子は一人もいなかった。

 ま、まぁクラスに行けば挨拶のタイミングはあるから……





 お下駄箱で靴を履き替える。もう場所も覚えた。舞浜様々だ。

 しかし、舞浜には色々教えてもらったのに、何も返せないってのも気が引ける。

 なんかお礼ぐらいはして、それで関係をスパッと切っちゃう、みたいのが理想的だ。その方がなんか区切りはいい感じがする。

 高校生になったらアイツは恋愛脳の大バカ野郎になるが、今のところは悪い子ではない、気がしている。昨日一日しか喋ってないけど。


 あんな煌々とした青いオーラを放っているのに、あれだけ親切なのは意外だ。

 アニメだと女の子たちからキャーキャー言われても無視、話しかけられてもほとんど無視、周りにも冷たい目線。でもヒロインには憎まれ口も叩くけど優しい、みたいな。典型的な俺様系のキャラクターだった。

 だから俺も舞浜の名前を聞いたときにそのキャラクターとあまり紐づいていなかった。

 アニメでの彼に良い印象はあまりない。女性はそういうキャラクターが好きなのかもしれないが、俺は「失礼なヤツだな」と思っていた。


 しかし困った。俺は舞浜を頼みの綱にしようと思っていた。というか俺は舞浜とその友達の海野ぐらいしか会話できそうな相手がいない。

 他は……一応、アヤノコウジさんは知っているが昨日泣かれたばかり。うまく仲良くできる自信がない。


「私」の席は教室の左後ろ。右は舞浜、前の女の子は名前がわからない、左は窓。後ろは空気。

 もう授業中とかで頼れるのは名前もわからない、見た目お淑やかそうな、前の席の女の子になってしまう。もし話しかけるときがあれば、昨日みたいに泣かれないように、気をつけていこう。

 いや、何に気をつければいいのかわからないが。昨日のだって何が悪かったのかイマイチわかっていないのだ。


 教室に静かに入る。和気あいあいとした声が聞こえる。楽しそうだ。

 自分の席の方を見る。こちらから見てその一つ手前の席、すでに舞浜がいた。

 これは練習の成果を見せるチャンスだ。

「舞浜様、ごきげんよう」

 上品でたおやか。そんな挨拶。

「お、おはよう」

 舞浜は驚いたような、こっちから見ると不思議な顔をしている。

 あ、あれ? なんかおかしかったか?

 いや、おかしくないはず。だってさっきの女子は逃げなかった。



 これはまさか~? 「私」の笑顔にドッキンドッキンしちゃってんのカナ~~~?

 うぷぷ、エリカ様の顔面を使えばこんなガキ一人ぐらい、か~んたんに落とせるんですのよ。おほほほ。



「お前、また変わったな」

 違ったみたいだ。ごめんな、舞浜。君の目は正しいよ。おじさん、君のこと尊敬しちゃう。

「それより、昨日は大丈夫だったか」

 さらに心配もしてくれている。だというのに俺というヤツは。完敗だよ。おじさん、年だけ無駄に取っちゃったみたいだ。君の爪の垢でもペロペロさせてもらおうかな……


「はい、大丈夫です。ご心配をおかけしました」

 ぺこりと頭を下げておく。

 よし、変な顔をしていない。会話も終わった。もう大丈夫だな。

 自席に座り、教科書を出していく。


 よし、笑顔は間違いないようだ。

 練習の成果が出ている。エリカさんに憑依してから、初めてうまく行ったような気がする。

 今までは霞やモヤみたいなものを掴もうと必死になっていたけど、やっと、手応えを感じた。一安心と達成感。

 ……小学生の真似事をして達成感というのも変な話だが。


「なにか良いことでもあったか?」

 なに見てんだよコイツ。邪魔するな。俺は今、久々の達成感という喜びに浸っているんだ。

「ちょっと、うまく行ったことがあって」

「一人でニヤニヤしていると変に見えるぞ」

 うるせーなコイツ。俺の喜びに水を差すんじゃねぇ。

 てかなんなんだコイツ、なんで話しかけてくるんだ。このままだと仲良くなっちまうじゃねぇか。


 ハッ! コイツ、まさか本当にエリカさんに惚れてるんじゃ~~~~??

 ぷっぷ~~、あてくしの優雅な笑顔一つで落ちちゃうなんて、舞浜様も結局ガキってことですわねぇ~~~! そこで一生届かないフォーリンラブでも語っていればいいのですわぁ~~~!!



「周りは見ているぞ」



 周囲を見てみると、確かにチラチラとこちらを見ている子たちがいた。

 俺と視線が合うとサッと目線を逸らす。いや、「私」とか。

 確かに見ている人がいた。



 頭が冷える。彼の言う通りだ。

 今、俺は「緑園寺 恵莉夏」を演じなければならない。「緑園寺 恵莉夏」は教室の片隅で一人でニヤニヤするのだろうか。

 そしてなにより ”人が見ている”。ここは家柄の良い子どもたちが集まる学校。

 常に値踏みされている。家柄と、その品格を。


 見られている、という自覚を持たなければならない。

 彼の言うとおりだ。


「その通りですね。ありがとうございます」

 彼は納得するようにうなずいた。


 俺は小学一年生に学校での心構えを教えてもらった。

 本当に爪の垢を飲ませてもらおうか悩んでいるうちに担任の先生が教室に入ってきた。



 しかしコイツの隣にいると男としての自信を失っていく。

 一回りどころか二回りも下の子どもと言っていい男に完全に負けている。


 ただ、今の俺はエリカさんなので男としての自信なんてものはどうでもいいんだが。

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