19.体育
さて、一時間目はさっそく体育だ。
時間割を見たとき、こういう学校でも体育ってあるんだな、と思ってしまった。
なんとなく、汗とか土とか嫌いそうだし。勝手なイメージ、偏見なんだが。
どんな抗議があっても、学校側はさすがに国の定めた学習指導要領には従わないとならないだろうし。
さて、そんなことより喫緊の問題がある。
それは、女子更衣室で、女の子と一緒に着替えなくちゃならないことだ。
実は昨日の夜の時点で気がついていた。どうしようか、と。
トイレで着替える、という手段もあったが、小学一年生が単独行動することは不自然だし、そもそも一人だけトイレで着替えるのもおかしな話だ。
そしてこの学校だ。普通の小学校みたいに更衣室がないので男女一緒に着替える、なんてことはないだろう。ちゃんと女子更衣室が存在するはず。と、なると女子更衣室に行くしかない。
まあ小学一年生だしいいか~ぐらいの感覚で軽く考えていた。
今、女子更衣室を目の前にして、着替えている女児たちがいる中に「女のフリをして」入らなければならない、となるとやましい気持ちが一切なくても少しばかり罪悪感を覚える。
多分、女の子たちは俺に対して一切警戒しないだろう。外見は完全に女。絶対にバレない。それが、なんというか、ズルい気がした。
嘘つき。卑怯者。誰にも言われることはないだろう。誰にも責められないだろう。だからこそ、心苦しい気持ちになる。
朝の舞浜の言葉を思い出す。
「周りは見ているぞ」
俺は「緑園寺 恵莉夏」を演じなければならない。そこに誰かの視線がある限り。
俺は女子更衣室に一歩踏み出した。
気合を入れて入室してみたが、更衣室は意外と普通だった。壁面に四角いボックスが取り付けられており、そこに制服を入れる。あとは広くて綺麗。それぐらい。
ボックスはどこを使ってもいいのだろう。名前もなにも書かれていなかった。
人が少ない所を探して、その周辺のボックスに着替えを入れた。
周囲をあまり見ないようにさっさと着替える。
カーディガンを脱ぐ。プルオーバーなので面倒だ。ガッと一気に脱ごうと思ったが、髪を縛ってもらっていることを思い出す。
パパ上がせっかくやってくれたヤツなので、髪を崩さないように、カーディガンも伸びないよう慎重に脱ぐ。
……髪を崩さないようにするのが面倒だ。パパ上、すまんが体育のときは自分でやることにする。
シャツはボタンなので簡単に脱げる。
ポロシャツをボックスから取り出す。ちなみに上は白のポロシャツで固定。下は季節によって変わり、夏は紺のハーフパンツ、冬は紺のジャージ。すべて指定されているようだ。
ポロシャツを上からかぶる。袖を通した後、髪の毛を外に出す。それから二つあるボタンを一つだけ閉める。
スカートを脱ごう、と思ったが先にハーフパンツを履く。それからスカートを外した。なんとなく、無駄に下着を晒す意味がないと思ったからだ。
ふと、視線を感じて、顔をあげると五人ぐらいがサッと視線を逸らした。
あれ?
俺なんか警戒されてないか?
まさか、俺からオスっぽさを感じ取られた?
逆に何も見ないようにしていたのが胡散臭かったか? いや、でも君たち小学一年生にはさすがに興味ないぞ。
なんの視線なのだろうか。わからない。
とりあえず、着替えは終わった。制服を丁寧にたたむ。
改めて今の自分の姿を見る。
ハーフパンツ。スースー具合が凄い。ここまで太ももを露出していると不安になる。単純に防御力が低い感じがする。というか肌の露出量が増えているので怪我の可能性が増えないだろうか。体育の服装としてあまり合理的には見えない。
顔を上げ、当たりを見回してみるといつの間にか人はまばらになっていた。
着替え終わった子たちが出ていったのだろう。
俺もそうしよう、と出口へと向かう途中に、一人だけ手にポロシャツを持ったまま制服姿で固まっている子がいた。
三つ編みでメガネをかけた子だ。どこかで見たことあるような気がする。同じクラスの子だったか。
その子はなにかオロオロしていた。もしかしてジャージを忘れたのだろうか。
わからないが、困っていそうだったので声を掛けてみることにした。
「どうしたんですか?」
「あっ、えっ……」
「困っていますか?」
「う、うん」
「ジャージを忘れましたか?」
なぜわかった!? と言わんばかりの驚き顔。正解みたいだ。
「家に忘れたんですか?」
「そ、そう、です……」
もう授業は始まる。家の人に持ってきてもらうにしても間に合わないだろう。使用人の方が入れ忘れたのだろうか。不運としか言いようがない。
「私のジャージ、長いのなら貸せますけど」
実は今朝、子リスさんから体育用の服を受け取ったとき、ハーフパンツを見て「寒そう」とつぶやいてしまったら、慌てふためきながら用意してくれた。
今までの人生でここまで太ももを露出させたことがなかった、男の感覚での「寒そう」であって、別に季節的にはまったく寒くない。
せっかく大急ぎで用意してくれたし、俺の不用意な発言のせいというのもあって、要らなかったけど一応受け取ってきていた。
その長い丈のジャージをまじまじと見ながら三つ編みの子は不安そうな顔をしている。
「長かったら、怒られない……?」
潤んだ瞳でこちらを見てくる。うーん、わからん。怒られるかも。
「でも履かないわけにはいかないですよ」
迷ってる。でも、最終的にはうなずいた。
ということでジャージを貸した。
しかしこんなことで怒られるかもしれないっていうのもちょっと可哀想だ。
先生には事情を伝えるだけ伝えておこう。
「失礼ですけど、お名前教えてもらってもいいですか?」
「サオトメ、マユ、です……」
サオトメ……漢字は早乙女だろうか。
「じゃあ私の方から、先生に確認してみますね」
「ま、まって!」
更衣室のドアに向かおうとしたところで袖を引かれた。
「い、一緒にいく……」
女の子が服を脱ぐのを見守る。
こう、まじまじと他人の服を脱ぐ姿を見るのは始めてだ。
三つ編みが邪魔くさそうだ。可哀想に。君も父親に付き合ってあげたのかい? お互い娘をやるのも大変だね。
なんて思ってたらカーディガンは脱ぎ終わった。
シャツのボタン外しにかかっているが、少し遅い。このペースだと授業が始まりかねない。この子には悪いが……
「ボタン、外すの手伝いますね」
「は、はい」
さっさとシャツを脱がせて、ポロシャツを手に取る。先に胸元のボタンを外しておく。
「じゃ、バンザイしてください」
素直に手を上にあげる。可愛い奴め。てかこの子、大きなくりくりした目をしていて結構可愛い顔をしてる。将来性大だ。まぁ俺には関係ないだろう。その頃に俺はここにはいないだろうし。
ポロシャツに袖を通す。頭を通してから、三つ編みを外に出す。
襟を折って、胸元のボタンを一つ留める。
「わぁ……」
なんか感動している。
「下は自分で履けますか?」
「うん!」
とりあえず問題なさそうなのでこの子のシャツとカーディガンを畳みながら見守る。ジャージのサイズは問題なさそうだ。
着替えは終わった。
「じゃ、行きましょうか」
「あ、ありがとうございました!」
うーん、元気いっぱい素直でかわいい。娘がかわいいと言うお父さんの気持ちが少しだけわかる。
ということで、二人一緒に体育の先生と思われる人のところに向かい、事情を説明したら今回は特別に許すとのこと。でも基本はダメらしい。やっぱり服装には厳しい学校なのかもしれない。
◆ ◆ ◆
その後、体育はつつがなく始まり、終わった。
ちなみに内容は二人一組になってストレッチをしたり、座った状態から二人で背中を押し合って立ち上がったり、二人でボールを落とさないように肩とか背中で挟んだり、みたいな感じ。
覚えていないが多分俺も昔やったんだろうなーという内容だった。
ペア相手は早乙女さんがやってくれた。ありがたし。
この体育でひとつ、気がついたことがある。
それは、「私」の体は体力がないということだ。
なんとなく、そんな感じはしていたが確定した。
今日の簡単な運動で、同い年の早乙女さんよりも圧倒的に疲れていた。
比較対象の早乙女さんが圧倒的タフガイだった、というのもないだろう。
つまり、エリカ様のボディは体力がない。非常に疲れやすい体だった。
もしマラソンなんてしたらこの体、疲労で一日動けなくなるかもしれない。
それぐらい、今日の運動でバテた。終盤は早乙女さんに心配されるぐらいだった。
もしかすると、生まれつき病弱なのかもしれない。俺はそういう属性を持って生まれてこなかったので初めての経験だった。
小学生のころ、頻繁に体育の授業を休む子とかいた気がするが、この子もそうなっていくのかもしれない。
これは体育の時間は憂鬱だ。先が思いやられる。
なんて考えながら着替えていると、早乙女さんがやってきた。
「ありがとうございました」
とジャージを返してくれた。うれしそうに照れ笑いをしている。かわいいヤツめ。
やっと、会話できそうな友達ができそうだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます