8.行動の確認
お風呂を上がるとママ上にドライヤーとブラシをかけてもらい、顔になにか塗ってもらった。多分美容液だ。めっちゃいい匂いする。
ママ上はまた別のモノを使っているようだ。ママ上の美貌もこういう日頃の努力によって成り立っているのだろう。
脱衣所には着替えがあった。多分「私」の寝巻きなんだろう。使用人の方が持ってきているのだろうか。
黙ってそれに着替える。
その後、リビングの冷蔵庫から出てきた謎のドリンクも飲まされた。なんだかわからないが、おそらく美容ドリンクだと思う。ママ上がこれで美貌を保っているのであればこれは正解なのだ。
面倒だが毎日飲もう。
「さて、そろそろお休みの時間ですわね」
時刻は午後八時になったぐらい。もう寝るのか、と思ったけど今年六歳になる子どもだった。すぐ忘れてしまう。
「わかりました。おやすみなさい」
頭をぺこりと下げて自室に戻った。
◆ ◆ ◆
自室に戻ってすぐに手帳に向き合う。
先程、ママ上から得た情報をまとめていく。
まずあのダンディパッパの名前はおそらく「ヤスト」だ。
またしても漢字がわからない。
そしてこの子のこと。
まず「家を散歩していた」というとマッマに驚かれた。
あの驚きの意味はわからないが、少なくとも「家の中を歩き回る子」ではなかったのだろう。
「散歩するなら外派の子」だった、という可能性もあるが、自分の体を見下げるとそうとは思えない。
肌の色だ。この子の肌は白い。
あの母は自分にも「私」にも、美容に対して意識を高く持っているように見える。風呂上がりに美容ドリンクを飲ませているぐらいだ。
と、なるとわざわざ紫外線を受けに行くことは極力避けさせているだろう。日傘を使うという可能性もあるが、それでも完璧に日焼けと紫外線は防げない。
だとするとやはり「家の中を歩き回る子」ではないのだ。
今後、家の中を歩く際は明確な目的意識を持ったほうがいい、ということだろうか。
注意しておこう。
そしてもう一つの情報。
ママ上によるとエリカさんは勉強が出来るらしい。
その情報を親フィルターではなく、事実であれば勉強はちゃんとやったほうがいいかもしれない。
と言っても所詮、小学一年生の内容だ。赤子の手をひねるようなものだろう。
あとは友達がいない、可能性がある。
これは俺にとっては好都合だ。以前のエリカさんを詳しく知っている人は極力少ないほうがやりやすい。
……しかし、この子のことを考えると友達の一人や二人ぐらいは作っておいてあげたほうがいいのだろうか。
いや、友達はさすがに自分で選びたいような気がする。
エリカさんがこの体に戻ってきて学校に行ったら、今まで話したこともない知らんヤツが馴れ馴れしく話しかけてきて仲いいですよ、という振る舞いをされるとどうなんだろうか。
……まあ今はそんなこと考えても仕方がない。とりあえずクラスの中で浮かないように、それなりのポジションだけは維持しよう。
一番良いのは、無視もされない、邪険にもされない。そんなポジションだ。
よし、学校生活の方向性は決まった。
勉強は全力で、あとはそこそこで、って感じだ。
さすがに小学生女児と話は合わんだろうからそこだけ注意しよう。
待てよ、別に友達が女の子じゃなくてもいいんじゃないか?
男友達が一人ぐらいいても……
いや、ダメだ。女って生き物は何故かグループから簡単にのけ者を生み出したりする。
男と仲良いってだけで尻軽だとかなんとか言われて村八分にされるとエリカさんに迷惑だ。
下手に目立つことはしないほうがいい。それならぼっちの方がまだ……
いやいや、待て待て、小学一年生だぞ?
さすがにそこまでの知能なんてないだろ。小学一年生なら女の子だってまだアホガキ同然だ。こういうのは高学年になって色恋を覚えたあたりから始まるもんだ。
適当ぶっこいても大丈夫だろう。
そう考えると気が楽になってきた。
大丈夫、大丈夫。適当でもイケるイケる。
俺は今までの人生で、たいていのことはすぐにできた。小学生女児のフリだってできるはずだ。
まあ、大体のことはすぐに他の人に抜かされてきたけど。
最初だけ。最初だけはみんなよりできる。ほんの一瞬だけ。
ま、一瞬だけでもいいだろう。いつかは終わる生活だ。
さっさとエリカさんを見つけてあげよう。
今日のことを日記にまとめておく。
あなたのフリをするためとはいえ、あなたの母と風呂に入ってしまったこと。
めちゃくちゃ綺麗な体だったけど、まったく不純な気持ちがわかなかったこと。
それでもあなたの父に謝りたい気持ちであること。
俺の思いを書き込んでいくと謝罪が半分ぐらいの日記になってしまった。
エリカさん、戻ってきてこれ読んでも理解できないだろうな。六歳だし。
両親に見せちゃうのだろうか。少し恥ずかしいがそれでもいいか。そのとき俺は居ないだろうし。許してくれパパン。
しかしこの日記も危険だ。
もしこれを誰かに見られたら誤魔化しようがない。終わりだ。取り返しがつかない。
かと言って机の引き出しにトラップを仕掛けて、俺以外の誰かが勝手に開けたら発火するような仕掛けも作れない。
だからといって常に持ち歩くのも危険な気がする。物を頻繁に落としたり忘れたりするタイプではないが、一度もしたことがないわけじゃない。いつか、やらかす可能性がある。
それなら安全かつ確実に保管できるこの部屋の中がいいだろう。
この部屋の清掃は使用人の方がやっているのだろうか。机の中の清掃まではさすがにしないか……
「いや、怖いな」
一度、清掃の様子を確認しておこう。
机の引き出しを開けて、その中をあえてごちゃごちゃにしておく。一週間経っても整っていなければ、机の中はいじられていないと思おう。
それまでは、通学カバンの中で管理する。さすがにカバンの中は漁られないだろう。
そういえば筆記用具が入っていたカバン、小学生なのにランドセルではなかった。
私立の学校なのだろうか。
あれ?
この子ってめちゃくちゃ金持ちだよな?
普通の学校になんか通ってないんじゃないか?
あれ?
そういえば学校のこと、全然知らねぇぞ。
あれ?
てか何時に起きればいいの?
出勤時間……じゃない、登校時間は?
あれ?
クラスってなに?
俺の席、どこだろ?
出席番号は?
てか制服とかあんの?
明日の授業って、なに?
何持ってけばいいの?
あああーーーもう考えること多すぎるだろ!!!
もういい!!!!つかれた!!!!
ベッドに体を投げ出す。最高の跳ね返りを楽しむ。
バーーーカ知るか!!!!俺は寝るんだ!!!!!子どもの体は睡眠を求めるんだ!!!!!!!十二時間寝ちゃうもんね!!!!!
あーーーーーーきもちいいなーーーー!!!!!!すやすやしちゃおっかなーーーーー!!!!!!
いや、ダメだ。ちゃんとやらんと。
迷惑をかけたくない。
今、この子の人生を左右しているのは俺だ。
俺にしかできないことだ。
ここでもし、全力を出さないで、大きな失敗でもしてみろ。
絶対に後悔する。
「ふぅ……」
仰向けになったまま天蓋を見つめる。
「いつ、戻ってきてくれるんだろうか」
声に出しても、答えは帰ってこない。
わからないことだらけ。
なにもかもが、初めての体験。
でも、その初めての、すべてに”正解”がある。
手探りで、その”正解”を引き当てないといけない。
静かに、心に積まれていく重み。
自分ではなく、誰かのために、生きることの。
途中で投げ出すことはできない。
彼女を見つけるまで。その”正解”を探し続ける。
そうしなかったら、俺は俺を許すことができない。
そんな気がする。
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