父視点

 娘はあの事故から変わった。


 目覚めて最初の一言目、彼女は反射的に「大丈夫」と言った。いや、言いかけた。その反応速度が娘のものとは思えなかった。

 それは”言い慣れている”反応に見えた。


 ただ、彼女の涙を見たときにその不信感は吹き飛んだ。

 やはり私たちの娘だと。


 だが、その不信感が戻ってくるのは早かった。妻が彼女に声をかけたときの答え方。忘れもしない。

「少し、頭がくらくらするので念のために頭の検査だけして欲しいです」


 娘は、口調が変わっていた。


 以前なら「頭の検査だけして欲しいです”わ”」と言っていただろう。

 妻の淑女教育の賜物だったが、事故の直後からその特徴が消えた。


 妻ももちろん気がついていた。そのことについて相談もした。

 しかし妻は少し楽観的に捉えているのか、受け答えも問題ないし、口調ぐらい今はいいのでは? と気にしていない様子だった。

 母は強いと言うが、父である私はそこまで強くなかった。


 私には、娘が別の存在になってしまったのではないか、という不安が心の奥底に芽生えていた。


 そしてその不安が確信に変わったのは家に帰ってきたときだ。


 後部座席から降りた彼女の手を取り、車から降ろした。

 彼女は、その後も、手を離さなかった。


 いつも彼女は、必ず恥ずかしがって嫌がる。

 車から降りるところまではエスコートを受けるが、その後はすぐに手を離す。


 だが、今回は違った。


 その手を離さなかったのは、彼女が私の手を握っていたかった、久々の父との再会に喜ぶ娘、といったものじゃなかった。

 娘の表情は「この手がなんなのか理解していない」というものにしか見えなかった。


 そして山城に会って話したと言う。

 しかも自分から山城に会いに行ったと。


 おかしな話だ。


 彼女は、山城を嫌っていた。

 それにわざわざ会いに行った? 怪我を心配して?

 我が娘ながら出来すぎている。


 おかしいことだらけだった。


 彼女は、一体、誰なのだろうか。

 不安をかき消すように、ごまかすように額に口づけをしてみた。

 彼女が戻ってきてくれ、と。


 そして今、自室に戻って、考えをまとめている。


 自分の娘を疑うようなことはしたくない。


 だが、誰よりも、私があの子を見てきた。

 あの子を世界で一番、愛しているのは私だ。妻にも負けない。


 私は、私の目を、疑うことができない。


 もし、あの事故で彼女の記憶になにかあったのなら?


 そしてそれを言えない、なにか理由があるのなら?


 考えていてもわからない。


 ……


 娘の部屋のドアノブに手を掛ける。

 開けようと思ったが一応ノックと声掛けをする。


 返事はない。寝ているのかもしれない。


 ゆっくり、ドアを開いた。


 室内の大きな窓にはカーテンが掛かっておらず、ただただ外の闇を映し出している。

 真っ暗な室内に私が開けたドアの隙間から光が飛び込んでいく。


 足元に、なにか転がっている。いや、もっと多い。


 寝ているのかもしれないが、嫌な予感が勝ってしまった。


 電気を付けた。


 そこにあったのは、いつものピンクの多い、整頓された女の子の部屋ではなく



 部屋の中身をぶちまけて、物が散乱した部屋だった。



 不安、不信感は恐怖へと変わった。

 娘はなにか、取り憑かれているのかもしれない。


 その彼女はどこなのか、と見るとベッドの上だった。


 思わず近寄ると、娘は帰ってきた姿のまま、着替えもせず、毛布も掛けずに眠っている。


 恐怖が心を支配していたが、娘の寝顔は天使のように愛らしく、少しホッとしてしまった。

 問題はその中身だというのに。


 まじまじと見るその寝顔には、涙の跡が見て取れた。





 私は、なにもできなかった。


 なぜ、こんなことをしたのか。聞くべきなのだろう。

 癇癪なのだとしたらその理由を聞いてからやり方が間違っていると正すべきだ。

 だが、そうとは思えなかった。

 部屋は散乱しているが、物を意図的に傷つけているわけではないのがわかる。

 それに、よくよく見ると分類で分けられ、一つの塊になっている。決して乱雑に放り投げているわけではない。


 なにか意図がある。


 しかしその意図は?


 まったくわからない。


 なぜ泣いていたのか。


 まったくわからない。


 ただ、彼女の寝顔を見たときに、やっぱり娘だと思ってしまった。

 馬鹿馬鹿しいことだ。問題はその中身なのに、私は寝顔一つで私の愛する娘だと納得してしまった。

 

 さっきまでの自分が間違っていたのだろう。

 自分が相手のすべてを理解していると思うなどおこがましい考えだ。その相手が自らの子どもであっても。

 私の見えていないところで、娘も成長しているのかもしれない。

 息子が、彼女にとっての兄がそうであったように。


 そう思えば、先程の恐怖も消えてきた。


 電気を消して部屋から出た。


 ただ、名状しがたい不安だけは消えていない。それは確かだ。

 もう少し、観察してみよう。

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