37.俺
そんな感じで、一週間が経過した。
言うまでもなく、エリカさんの魂と思えるものには未だに出会えていない。
朝起きて、顔を洗い、家族と話しながら朝食を食べて、車に乗り、学校に行き、授業を受けて、クラスメイトに避けられて、早乙女さんと横見瀬さんとは少し話したりして、学校から帰り、夕飯を食べて、風呂に入って寝る。
だいたいこれの繰り返し。
こうして、俺のエリカさんとしての時間は当たり前のように過ぎていく。
次第に、自分がここにいるのが当たり前になってしまいそうで。
それだけが怖かった。
◆ ◆ ◆
授業も終わり、放課後。今日から習い事が再開される。
朝に確認したところ、今日は習字らしい。
エリカさんの字は書けるし、多分問題ないはずだ。
「緑園寺、今日はダリアに行くのか?」
舞浜は自分の用事が無いときは必ず「私」をダリアに呼んでくれる。
「今日から習い事が始まるので……しばらく行けなくなると思います」
そう伝えると、舞浜は静かに、そうか、と呟いた。
なんか寂しそうだ。
「海野くんがいるじゃないですか」
最近、俺はもう海野もくん付けだ。前に言い間違えたとき、なんにも言われなかったのでいいや、となってる。
「お前もいたほうが楽しいだろ」
そして「私」に対する舞浜の評価は高い。俺のせいでエリカさんがおもしれー女枠になってしまったのだろうか。
「あれ、そういえば海野くんは?」
「今日は弓道」
海野は弓道をやっているらしい。ただ、まだ体が小さいので本格的な弓は持たせてもらえないって話をしていた。
それでもほぼ毎日のように練習しているらしい。
「偉いですね~」
そんな感想がこぼれてしまう。自分よりも年下が頑張っているとどうしてもそう感じる。
「誰もいないし、今日は俺も帰るかな」
「他の子たちと話したりしないんですか?」
純粋な疑問だ。舞浜は「私」と違って避けられたりしていない。ダリア内でもその風潮がある。むしろ大人気だ。
前に「私」がいないとき、ダリアのお姉様方にちやほやされているのを見た。
気まずかったので俺は違う席でお茶を飲みながら眺めていた。
もし「俺」が舞浜の立場だったら、絶対あの上級生の綺麗な子にドキドキしちゃって、成人してもあの子のことが忘れられなくて性癖歪んじゃうだろうな、と思って見ていたのは内緒だ。
実際、俺はそのせいで未だにギャルっぽい子が好きだ。
「興味ないな」
バッサリ。まあ小学一年生だしな、男友達と和気あいあい騒ぎたい年頃だよな。
舞浜は身分上なのか、割りと気を遣われている。避けられている、というより敬われている感じだ。
だが「私」とはお互い、そこまで気を遣わずに話せている。「私」が気に入られているのもそこがデカいと思う。
「じゃあ玄関まで行きますか」
そうして二人で玄関まで一緒に歩く。
階段を降りながら、少しだけ前を歩く舞浜の後頭部を見ながら、なんとなく気になったことを口に出してみた。
「そういえば舞浜くんはなにか習い事やってるんですか?」
海野は弓道をやっているみたいだが、コイツはなにをしているのだろうか。
「ああ、ピアノと英語と絵画を習ってる」
「三つもあるなんて大変ですねぇ」
「いいや、大した事ない」
あると思うぞ。小学生で三つも習い事なんて普通パンクする。それか、どれも身につかないで終わりそうだ。
「そういえばピアノ、上手ですよね」
「ああ、いっぱい練習したから」
いっぱい練習したのか。なんか可愛いな。
「緑園寺だって、ピアノ頑張ってただろ」
え? そうなの?
「えーっと、あはは、そうですね……」
俺は知らないことだ。正直、これ以上触れてほしくない。
そんな俺の気持ちをわかるはずもない舞浜は、不思議そうな顔をしながら続けて聞いてきた。
「緑園寺はまだピアノ続けてるよな?」
「え? あ、どう…… ま、まあ俺の話よりも今は」
「俺?」
あ
あ
まずい。
言い訳を。
「あ、あれです。最近読んでる小説の主人公の一人称が俺だったので、ちょっと真似しちゃいました。あはは」
「嘘をつくな」
あーーーーーーーーーーーーー、まずい。
「なんでそんなに、言い慣れてるんだ」
舞浜はじーっと「私」の目を見つめてくる。
マズイ。
その目から逃れるように、目がせわしなく左右を行ったり来たり。止められない。
「お前まさか」
マズイ、マズイ……
「家では俺って言ってるのか?」
うーーーーん、違うけどそうしておくか……?
いや、待て待て。そうすると家で俺って言ってないと辻褄が合わなくなる。これは否定しておくか?
しかし他にどう誤魔化せばいい?
どうすれば、どうすればこの場を切り抜けられる?
ドクンドクン、と心臓を跳ね上げながら、血液を重力に逆らわせる。
脳みそが熱くなるのと同時に、時間がスローに感じられるほど、思考がクリアになっていく。
頭の奥底から、記憶の海から、この場面を切り抜ける一手を探す。
水底に、何かがある。俺はそれを引きずり出した。
呼吸を一つ入れてから、ゆっくりと言葉を紡いでいく。
「いいえ、家でそう言ってるわけじゃないですよ」
「ならなんでだ?」
腕を組んでどっしりと構えながら、舞浜の目を見据えて、こう言った。
「イメチェンですわ」
呆然とする舞浜の目を射抜くように見つめる。
絶対に引かない。いや、引けない。もうこれ以上ツッコまれたら回避できない。
「イメチェン……」
「はい、イメチェンです」
「そうか……今後はずっと俺って言うのか?」
「いいえ、言ったけど恥ずかしかったのでもう言いません」
「そ、そうか」
勝った。俺の勝ちだ。
激しく鼓動する心臓を落ち着かせる。胸を抑えながら呼吸を整え、整える……
すー……はー……、と小さな体躯を上下させる。
「緑園寺って実は男なのか?」
ドッキーーーン!!
「ちちちがうけど?」
「ふーん……ま、いいか」
心臓が飛び出る、なんて嘘だと思っていたが、さっきは本当に飛び出たと思う。
「本当に、まったく別人みたいだ」
そして、今は爆音を鳴らしている。
冷や汗が体に纏わりついているのがわかる。
冷静を取り繕いながら、聞いてみた。
いや、俺は聞きたくなってしまった。
「そんなに変わりましたか?」
その質問に対して、舞浜はこう答えた。
「ああ、そんな喋るヤツじゃなかったからな」
え?
そうなの?
てか俺ってそんなにお喋りだったっけ……?
「いやいや、舞浜くんが最近いっぱい話しかけてくるからじゃないですか?」
「前も同じぐらい話しかけてたけど、ええ、とかはい、とかで終わりだっただろ」
は?
え? そうなの?
「だから最近は反応が帰ってきて面白い」
おいおい、おもちゃにされてるのか俺。
上履きを履き替え、玄関から出る直前。舞浜が呟いた。
「緑園寺が男だったら、がっかりするな」
血の気の引く感覚だった。
さっきまでうるさかった心臓が、無くなったみたいに静かになった。
当たり前のことのはずなのに、忘れていた。
心のどこかで、舞浜は自分のことを気に入ってくれている。
友人として見てくれているんじゃないか、と。
でも、それは違う。
舞浜が気に入ってるのは「私」だ。
「私」だから気に入っているんだ。
「俺」じゃないんだ。
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