15.今後の行動方針
目が覚めた。
薄暗い室内を夕日が照らしていた。
体を起こして机に向かう。今後の行動の方針について考えようとしたところ、ノックの音が聞こえた。
「どうぞ」
「エリカお嬢様、失礼いたします」
子リスさんだった。
何の用だろうか、とじっと見ていると子リスさんは口を開いた。
「お、お嬢様、よろしければお着替えをお手伝いしても、よろしいでしょうか」
そういえば、制服のまま寝てた。
「お願いします」
と言ったはいいが、よくよく考えれば別に一人で着替えられる。
今朝も思ったが、着替えさせられるはなんだかこそばゆい感じがしてあまり気に入っていない。
やっぱいいや、自分でやりますと言おう、と思って子リスさんを振り返るとエリカさんの部屋着を持って、やる気に満ちた顔だった。
自身の仕事を成し遂げよう、という気合が見て取れる。
……まぁ彼女のために、今回は着替えを手伝ってもらおう。
◆ ◆ ◆
「それではお嬢様、失礼いたします」
ドアが静かに閉められた。
子リスさんは完璧にできたからか、満足げだった。嬉しそうで何より。
しかし、部屋着というのに部屋着っぽくない。普通に可愛らしい小さなドレスみたいだ。
ふりふりしたフリルが付いている。でも生地は柔らかい。これで寝ても良さそう。でもこれで外出ても変でもなさそう。
ダルダルのスウェットとか絶対着せてもらえないだろうな。
ただ、可愛いすぎる。そのせいで今までで着せられた服の中で一番恥ずかしい。
今までは少女っぽい、というか女性っぽいというか、着ている人がいてもおかしくないな、って感じのデザインだった。
だがこの服はどちらかというと子どもっぽい。ここまであからさまに「可愛い」服なのは、正直照れる。
……冷静に考えればなんで照れているのかよくわからないが。
どっちにしろ、二十七歳男が女の体の中に入って女の服を着ているのは変わらないのに。
ただ、やっぱり自分の年齢を考えるとここまで子どもっぽい服は照れるのかもしれない。
……いや、この子の体は自分じゃない。俺じゃないんだ。
そう考えると、姿見の中にいる少女が、別人のように見えてきた。
途端に恥ずかしさも消えていった。
机に座り、手帳を開く。
俺の汚い字で大きく書かれた、「アニメの世界」という文字。
一度、ここを整理していく。
まず、この世界が本当にアニメと同じ世界なのかは確認するすべはない。
ここが「俺」が生きていた現実世界で、偶然にもアニメと一致した登場人物が集まった、という可能性も。
ここが「アニメの中」で完全な虚構世界、何者かが作った世界である可能性も。
作品世界と非常に似ているコピーみたいな世界である可能性も。
すべての可能性を否定できない。
突き詰めてしまえば、そもそも「俺」が生きていた世界は本当に「現実世界」だったのか? そもそも「俺」の方が作られたのでは? というSFじみた問いすら浮かんでくる。
もはやここに関しては考えるだけ無駄だ。
エリカさんの魂が帰ってくる可能性がある以上、この世界がなんであろうと下手なことはできない。
結局、今まで通りだ。
「アニメの世界」だとわかったからと言って、魂の居場所がわかるわけでもない。
作中を思い返しても、エリカさんにスポットライトが当たるのはヒロインをいじめているシーンぐらいだ。なんせ悪役だから仕方がない。
内面に焦点を当てている回とかは記憶にない。思い入れのありそうな品、みたいなモノも思い浮かばない。あるとすれば、それこそ舞浜に執着していたぐらいだ。
「ふぅ……」
ため息も出る。「この世界について」という、わけのわからない可能性が増えてしまった。
まぁこれに関しては正解はどうでもいい。
俺がエリカさんに体を返せれば、それで、終わりだ。後のことは勝手にやってくれればいい。
この世界で、エリカさんが辿る、あの惨めな終わり方は俺だけが知っているのだろうか。
……なんというか、エリカさんは骨の髄まで不幸に染まっているな。
わけわからん男に体を乗っ取られたと思ったら高校生になると婚約者に浮気まがいのことを見せつけられ、理不尽に家族もろとも没落させられる。
なんだこの人生。絶望しかないだろ。
いや、俺に体を乗っ取られたから、高校生までに戻れなかったら婚約者の浮気は体験しないのか。
乗っ取られなければ没落、と。
悪夢の二者択一。
ふと思った。
そもそも、俺は未来を知っている。
なら、没落を回避することも可能なんじゃないか?
――カチリ、と、頭の中のピースがハマったような感じがした。
なぜ俺がエリカさんの体を乗っ取ったのか。
ずっと不思議だった。意味がわからなかった。
何のために、俺はここにいるのかわからなかった。
やっとわかった。
それは、この最悪の終わり方を、エリカさんに伝えてくれってことなんじゃないだろうか。
そうすれば、エリカさんは自分でなんとかする。そうして未来を変えてくれ、ってことなんじゃないだろうか。
「俺は、メッセンジャー役ってことか?」
なるほど、なら急いでまとめよう。
帰ってきてから手帳に書き出しておいた『恋のジェットコースター』のクソシナリオを見返しながら、注意点をまとめていく。
没落する直接の理由はわからない。ただ、回避自体は簡単だ。舞浜とヒロインのなんちゃら杏には近づかなければいい。そうすれば卒業パーティーの一件は起きない。
ただ、エリカさんには舞浜を諦めてもらわなければならない。どうせ何をやったところでどこの馬の骨かわからん庶民の女が掻っ攫っていくことになる。
もしエリカさんがすでに彼に好意を持っているなら酷なことだが……まあ家族もろとも道連れにされるとわかればさすがに手も引っ込むだろう。
それもこれも、この手帳を信じられるかどうかにかかっている。
できる限り、丁寧に、言葉を尽くしていく。一番ありがたいのは父親に見せてくれることだ。
多分あの人ならわかってくれそうだ。なんとなく頭良さそうだし。
そして両親にも向けて、舞浜との婚約を取りやめてほしい、と書こうとしたところではたと手が止まった。
そういえば舞浜との婚約っていつ決まったんだ?
アニメではその点について言及……していたか覚えていない。どうなっているんだろうか。
まさか、もうすでに決まっているのか?
だとしたら……どうすればいい?
もうすでに婚約が決まっているのに、こっちから婚約破棄してほしいって言うのもおかしな話だ。こういう婚姻は親同士が決めたものだろう。それを、なにも問題が起きていないのに一方的に破棄するのは相手に失礼なんじゃないか?
いや、まずはすでにエリカさんに婚約者がいるかどうか、それとなく聞いてみよう。
それからでいい。
ぐぅ、と可愛らしい音がお腹から鳴る。今の時刻は夕方六時になるかならないか、ってところだ。
ずっと座ったままで疲れた。しかしこの体は集中力が凄い。
昔の俺ならそんなに集中できていなかった。絶対に二回も三回も席を立って気晴らしにコーヒーでも飲んでいただろう。
手を上に引っ張って体を伸ばす。
「ンギィ゛ィ゛ィ゛ィ゛」
可愛くない声が出た。こういうの、人前でするとき気をつけないと淑女力を疑われそうだ。
コンコン、とノック音。早速聞かれたかも。
「どうぞ」
そう声をかけると扉が開く。また子リスさんだった。
その顔は少し気まずそうだ。聞かれたのかもしれない。
「お嬢様、お夕食の準備が整いました」
メシの時間だぁ~~~~!
◆ ◆ ◆
「いただきます」
夕食が開始された。ちなみに兄はいなかった。部活だろうか。
今日のはなんかうまそうな肉の上にソースとハーブみたいな草がオシャレに散らされたヤツと、なんか四角い、パテ? みたいなヤツとか、ポタージュっぽいのがある。あとなんか色々あるけどなんにもわからん。
どうせ何食ってもうまいだろう。白身魚のヤツが食いたい。
「エリカ、体調はどうだい?」
そうだった、俺は体調が悪化したと思われているんだった。
「はい、大丈夫です。寝たら良くなりました」
ホッと安心した表情を見せたダンディ。それを聞いたからか、ダンディもやっと食事を開始した。
今日もメシはうまい。うまい魚料理を家で食えるのは幸せだ。涙が出そうだ。
というかなんとなくフランス料理っぽいけど、こういうのって順番に出てくるものじゃないのだろうか。家だから気にしないのかな。
自分で食う順番考えろ、ってことだろうか。
「ミドリ、来週の定例パーティーはどうする?」
「わたくしもご一緒いたしますわ」
カチャカチャと食器とカトラリーがぶつかる音が静かに響く。
……会話が終わった。もしかして夫婦仲が悪いのだろうか。
そういえば、この家に来てから二人が会話しているの、初めて見たかもしれない。お互い、子どもには話しかけるけど。
こういう、上流階級の結婚はやっぱり親同士が決めているのだろうか。そうであれば夫婦仲なんて有って無いようなものだろう。仕方がないのかもしれない。むしろ別居とかしないで最低限取り繕っているのは偉いなとすら思う。
「なら明日は、君の新しいドレスを買いにいかないか?」
「ええ、喜んでご一緒いたしますわ」
……ずいぶんと淡々とした口調だ。もうパーティーのためにドレスを買いに行くのも事務的なことになっているのだろうか。上流階級の夫婦とはそういうものなのか。
なんて二人を見ていると、父が微妙に口角を上げてニヤニヤしている。何だコイツ。必死に笑みを隠そうとしている。気持ち悪いな。
対して母は……あまり変わらない。むしろ普段より静かにすら見える。目を閉じて水を飲んでいる。だが、少し口元から水が溢れている。
二人の間には、なんとも言えない、甘ったるい雰囲気が目に見えるようだった。
なんだコイツら。
結婚して子ども二人いるのに、いまだにこんなラブラブなのか。
てかなんだ、ドレス買いに行くだけでこんな雰囲気になるのか? ドレス買うってなんかの隠語なのか?
しかも、俺にバレていないとでも思っているのだろうか。平気な顔して食事を続けてやがる。あんなの見せられたらこっちはお腹いっぱいだ。胸焼けしそうだ。
特にダンディ、お前だ。薄気味悪いニヤニヤ。勘弁してくれ。お前ダンディやめろ。
ダンディは俺の視線に気がついたのかごほん、と一つ咳払いを入れる。今更誤魔化そうとしても遅いが。
「エリカ、久々の学校はどうだった?」
なんてヤツだ。なにもなかったように会話を始めた。アレを見せられて、会話なんてできる気がしない。
しかもなんとも曖昧な質問だ。なんだ「学校はどうだった?」って。最近調子どう? みたいな質問してきやがって。
こういう質問は何と返せばいいのかわからないから苦手だ。
これをきっかけに会話をスタートさせるためだけであって、特に深い意味なんてない、ってことはわかっているが。
ただ、今日に限ってはありがたい質問だ。
俺はメシを食いながら考えていた。どうやって婚約について聞けばいいのかを。
まずはジャブだ。子どもらしく元気よく。
「今日は舞浜様といっぱいおしゃべりして楽しかったです!」
ダンディの顔が苦虫を噛み潰したような顔になった。なんで?
ジャブのつもりだったんだが。というかこの反応、やはり舞浜のことを知ってるんだな。
「あら、エリカさん、それは良かったですわね」
ママ上は嬉しそうだ。なんだこの反応の違い。
全然わからん。どういうことだ?
もう一発ジャブを入れよう。
「本当に、素敵な方でした」
母はニコニコしてる。父の表情はなんとも言えない顔になっている。
いいやもう、ストレートを入れてみよう。
「ああいうトノガタと結婚できたラ、どんなに幸せでしょうカ」
あまりにも自分の考えと異なる言葉だったせいか、微妙にカタコトになってしまった。
まぁ! と口を抑えて嬉しそうな母に対して、父の表情は……俯いてしまった。
「光圀さんのこと、ずっと気になってらしたものね」
そうだったのか。初耳だ。まあでも考えればあんな男が隣の席にいたら好きになるか。
この母の反応的に、婚約はしてなさそうな気がするな。
ただ、確証は得られない。もう一発必要だろうか。
父は死にそうな魚みたいに口をゆっくりパクパクしている。魚になってもダンディだ。さっきの中学生っぽいニヤニヤよりも似合っている。
魚は手元の肉を見ているのか、皿を見ているのか、それとも見ていないのか、よくわからない胡乱げな目のまま喋りだした。
「じ、実は、舞浜さんと最近、そ、そういう話をしていたんだ」
おお、これで確定した。つまり今の時点では婚約してないってことだ。
父は生まれたての子鹿のように震えている。生まれたてのダンディだ。
「エ、エリカがそう、したいなら、話をしてみようか……?」
あ、マズイ。その流れが一番マズイ。
「あっ、あの! それは結構です!」
「ど、どうしてだい?」
「えーっ、と、私も、恋愛を、してみたいので!」
母はなんか嬉しそうだ。慈愛に満ちた笑みを向けている。
父は安堵と悲しみが入り混じった、複雑な苦い顔になっている。
「エリカ、あ、明日は、私が髪を結ってあげよう。どうだ?」
どういうこと? 今の話と髪を結うことに因果関係あったか?
「あ、はい、お願いします」
まぁ断る理由はない。
というか、この父の反応、もしかして、娘に好きな人ができたことに嫉妬してるのか?
まったく、子煩悩なダンディだ。
エリカさんは愛されているな。
早く、返してやりたいところだ。
◆ ◆ ◆
夕食後、手帳を開き、続きを書く。
両親に向けて「舞浜との婚約は何があっても取り付けないでくれ」と書き込んでおいた。
よし、これで問題ないだろう。
あと注意する点は……ないな。
舞浜とヒロインの杏。この二人に近づかなければいい。そうすれば少なくとも悪者扱いはない。たぶん。
さて、メッセンジャー役は終わった。
よし、これでさよならだ。
思い返せば……中々新鮮で面白い生活だったけど考えることが多すぎて苦しかったな。
だが、これでおさらばだ。俺の役目は終えた。
彼女とバトンタッチだ。
手帳を目の前、机の上に置いた。
目を瞑る。
なにも起きない。
おーい、エリカさ~ん、俺の役目は終えましたよ~
心の中で呼びかけてみる。
返事はない。
全然終わらなかった。
俺の役割は、これじゃなかったみたいだ。
いや、これだけじゃない、のかもしれない。
まだなにか条件があって、それを達成すれば魂が戻ってくる、みたいな。
そういうことだろうか。
……いや、だったら説明してもらえないと一生達成できないぞ。
あと、俺にできそうなことと言えば……特にない。
少なくとも、女子小学生の体でできそうなことはない。
「もーーーー意味わからん」
体を椅子の背もたれに投げ出す。ギィともキィとも取れない曖昧な軋みが聞こえる。
結局、俺はこのままフリを続けなければならないようだ。
エリカさんの魂について、なんの手がかりも得られないまま。
「本当に、意味がわからん……」
俺はいつまで、周囲を欺き続けなければならないのだろうか。
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