40.早乙女さん2
早乙女さんは横見瀬さんを引っ張りながら、そのまままっすぐ進んでリビングから廊下に出て、ある部屋に入っていった。
その部屋にはいくつものトルソー、巻物上になった生地の山、大量のストック棚、ハンガーラックにかけられたいくつもの洋服、ミシンとパソコン。明らかに仕事場だった。
てっきり、早乙女さんの部屋に行くものだと思っていたので驚いた。
「ここ、早乙女さんのお母様の仕事場ですか?」
と、聞いてみると
「そうだよ!」
こともなげにこう返ってきた。
勝手に入ってもいいのだろうか、という疑問もあるが、早乙女さんはずんずん進んでいき、作業用のテーブルに着いた。
しかし、本当に凄い部屋だ。プロの仕事場って感じ……というか、実際そうなのだろう。
なんか普通にお茶出ししていたけど、早乙女ママは世界的なファッションデザイナーらしいし。
そういえば旦那さんは見ていないな。今日は土曜日だけど仕事なのだろうか。
早乙女さんと横見瀬さんの方を見ると、さっそく髪留めの話をしている。
どっちがいい、とかどういう縛り方が、とか話しているみたいだ。
横見瀬さんも元気になったのか楽しそうだ。よかったよかった。
手持ち無沙汰だったので辺りを見渡してみると、ドレスが飾ってあるのが見えた。
上品だけどスカートの広がり方がなんとなくお姫様っぽい、子ども用のドレスだ。
近づいて見てみると、上半身にはたくさん刺繍が入っている。素敵で可愛い。
こういうのってどうやって作ってるんだろうか。
俺には裁縫の経験が全くない。服飾関係の知識も、ファッションデザイナーの仕事も知らない。
デザイナー、という言葉からデザインだけだと思っていたが、部屋を見た限り自分で制作までやっているのだろうか。
というかこのサイズ、早乙女さん用に作ってるのかもしれない。
「緑園寺様、質問があればなんなりと申し付けください」
気がつくと後ろに早乙女ママが立っていた。ちょっとビビった。怒られるかと思った。
「すみません、勝手に見ちゃってて」
「とんでもございません。自由に見てもらって結構です」
硬い。早乙女ママは「私」に対してかなり硬い。
大人は子ども相手でもこういう対応をしないといけないのだろうか。
「えっと、これは早乙女さん……真由さん用ですか?」
「はい、真由の誕生日に合わせて制作したドレスです」
「へぇ、誕生日に! それは素敵ですね」
「もしよろしければ、緑園寺様の分もお作りしましょうか?」
えっ? なんで? どういう理由で?
「い、いえいえ、お気遣いなく」
「ママ~、髪の縛り方教えて~」
早乙女さんの声だ。振り返ってみると、横見瀬さんの髪の毛がぐちゃぐちゃになっていた。
思わずふふっ、と笑ってしまった。
早乙女ママは、手際よくスカーフを使って、カチューシャのようにしつつ、後ろ髪にスカーフを巻き込みながら低めのポニーテールを横見瀬さんの髪で作ってみせた。
まるで手品だ。どうやってやっているのか、見ていても全然わからなかった。
横見瀬さんの普段の雰囲気とは異なるけど、可愛らしい。
横見瀬さんも鏡を見ながら感嘆の声を漏らして嬉しそうにしている。
「あ! 緑園寺様もやってみようよ!」
「私もですか?」
「どういうのがいいかな? あ、私がやってあげたい!」
ぐちゃぐちゃにされそうだ。でもいいや、楽しそうだし。
「あはは、いいですよ。じゃあ好きにやっちゃってください」
「どれにしようかな~、横見瀬さん、どれがいいかな?」
二人して雑誌を見ながらあれこれ考えて唸っている。
「緑園寺様、本当によろしいのでしょうか。その、髪を娘に……」
「え?」
「よろしければ、私がやりましょうか? 娘がやると髪を痛めてしまうかもしれません」
うーん、確かに。「私」のことを考えたら早乙女さんにやらせないほうがいいのかもしれない。
でも……こういうのってその場のノリも大事だし、ここで早乙女さんにやらせないのは白けちゃう感じするし。
ま、ぐちゃぐちゃになっても面白ければいいだろ。
「いえ、早乙女さんがやってくれるみたいですし、おまかせしますよ」
「緑園寺様! これ! フィッシュボーンにしよ!」
えっ、なんで魚の骨? 怖いんだけど。
雑誌を見せてもらうと、そういう種類の編み方らしい。三つ編みと何が違うのかわからない。
じゃあそれで、と言うと早乙女さんがえっちおっちら「私」の髪を編み始めた。
ちなみに早乙女ママはハラハラしながら見守ってる。
鏡越しで眺める二人は、親子なんだな、としみじみ思う。
見た目が似ている、とかじゃなくて、母が子を心配する。その姿が、血の繋がりよりも深いものを感じさせる。
どこの世界も、親という生き物はこういうものなのだろうか。
「できた!」
完成したフィッシュボーンは……編み込み具合がめちゃくちゃで、そんないい出来だったとは思えない。
けど、早乙女さんがやってくれた、と思うと嬉しい気持ちが溢れてくる。
「ありがとうございます、早乙女さん」
そう言って早乙女さんの方を振り返った。
早乙女さんはちょっとびっくりした顔をしていたけど、えへへ、といつものように笑った。
「緑園寺様、とても素敵です」
「ありがとう、横見瀬さんも素敵ですよ」
そう言って、お互いを褒めあった。横見瀬さんはへへ……と照れ笑いしている。早乙女さんとは違う可愛さだ。
「緑園寺様、もしよろしければ、こちらも着てみませんか?」
早乙女ママが手に持っているのは一着のドレス。
全身が黒で、襟元が白色で刺繍がびっちり、というか刺繍だけ? みたいなヤツだ。
ひと目でわかる、高そうな生地と装飾。
着たいか着たくないか、で言われると正直着たくはない。というか興味ない。
が、「私」ならどう答えるのが正解なのだろうか。
「横見瀬さんのドレスもあります」
もう一着、別のドレスも取り出した。凄いな、何着持ってるんだろうか。
「皆さんで写真を撮りませんか?」
うーん……正直撮りたくない。それは「私」がどう、とかじゃなくて俺が撮りたくない。
着替えるのも面倒くさいし、高級品だろうから汚したくないし、写真撮られるのも別に好きじゃないし……
「わー! 撮ろうよ、みんなで!」
早乙女さんはノリノリだった。
横見瀬さんはなにも言ってないけど、顔が嬉しそう。多分ノリノリだ。
嫌だけど、ここは乗るしかないかな……なんて消極的に考えていると、手を掴まれた。
顔を上げてみると、早乙女さんが上目遣いで「私」の目を見つめていた。
「緑園寺様にもこのドレス着て欲しい……だめ?」
「だめじゃないです」
俺は即答してしまった。
◆ ◆ ◆
「ああ、緑園寺様をひと目お見かけしてから、ずっとこれが似合うだろうなって思っていたんです」
早乙女ママは念願叶ったかのような恍惚とした表情をしている。職業病みたいなものだろうか。
鏡に映る「私」を見る。
髪色と共に黒で統一された服。首元のつけ襟と肌の色だけが白い。
まだ小さな体躯のおかげで、お人形さんみたいだ。
自分で自分のことをお人形さんって言うの、イタい女感がするけど、マジでそうにしか見えない。
まあ、いくら見ても自分だとは思えないんだが。
「緑園寺様、こちらで撮りましょうか」
と案内されたのは仕事場の一角にある撮影ブースだ。
ちゃんと背景が真っ白のヤツと緑一色のヤツまで用意されてるし、ちゃんとした照明もある。
「撮影までご自分でしているのですか?」
「いえ、これは趣味です」
趣味でここまで本格的なモノを用意してるのか、なんて庶民的考えをしてしまうが、早乙女家は富裕層。これぐらいする余裕もあるか。
喋ってると意外とそういうのは忘れてしまう。
「俺」とは違う、雲の上の存在。だけど「私」からすれば雲の下、とまでは言わないだろうけど格下の存在。
自分の中の感覚がおかしくなりそうだ。
そんなことを考えながら椅子に座って待っていると、早乙女さんと横見瀬さんが戻ってきた。
「わぁ~! 緑園寺様、綺麗!」
二人共も着替えが終わったようだ。
「ありがとうございます。二人共素敵ですね」
早乙女さんも横見瀬さんも、素敵なドレスで彩られていて可愛かった。
三人の写真を撮る、ということでソファに三人座る。
「私」が真ん中、右に早乙女さん、左に横見瀬さんが座った。
「じゃあ撮りますね~」
早乙女ママの合図で撮影会は始まった。
「最初は笑顔で撮りましょうか!」
とりあえず薄っすら笑っておく。練習通り、お嬢様っぽい気品ある笑顔になったはずだ。
作業場にシャッター音が何度も響く。何枚撮ってるのだろうか。
「はぁ、可愛い……よだれ出そう……」
早乙女ママの独り言が聞こえてくる。ちょっと怖い。
興が乗ったのだろうか、次は「私」ひとりがけの椅子に座って、左右に二人立って、椅子の背もたれに手をおいて……とかだんだん注文が多くなってきた。
憂いを帯びた感じで……とか、表情にまで注文が飛んでくる。
撮影に入った早乙女ママのテンションは高かった。
「その目! 最高! もっとこっち見て!」
「あぁ~! 可愛い! 世界一可愛い!」
「横見瀬さん! もっと私を見下して! そう! イイ!」
「真由! 上目遣いで……そう! ああっ、可愛い……」
「緑園寺様の美しさで私の寿命が伸びる……」
終いには「私」の単体、横見瀬さんの単体写真まで撮り始めていたが、撮影を確認している二人がキャッキャと喜んでいたので良かった。
「あっ、もうこんな時間……そろそろお迎えが来ますね」
先程の興奮の熱が冷めたのか、早乙女ママは冷静だった。
時計を見るともう時間は17時を超えていた。
「楽しかった~! 緑園寺様、横見瀬さん! ありがと!」
「こちらこそ楽しかったです!」
早乙女さんと横見瀬さんの二人は楽しそうに話し、笑っていた。
俺も正直、楽しかった。
「私」のこととは言え、ここまで楽しそうに撮影されれば悪い気はしない。
それに、二人も楽しんでいたみたいだし、良かった。
◆ ◆ ◆
「私」も帰る時間となり、迎えが来た。
横見瀬さんとの別れの挨拶を済ませ、早乙女さんの家から出ていく。
ちなみに帰るときの順番とか緑園寺家独自の作法はないらしい。
「あ、あの、緑園寺様……」
帰りの挨拶を早乙女ママにしているとき、早乙女さんはおずおずと切り出してきた。
「し、下のお名前で呼んでもいい? エ、エリカさんって」
瞬間、俺は頭を悩ませた。 いいですよ、と答えていいものなのだろうかと。
「俺」にとっては別にどうでもいい。だが、「私」にとってはどうなのだろうか。下の名前呼びを許可していいのだろうか。
「えっと……」
そう言い淀む「私」に早乙女さんはうつむいてしまう。
「やっぱりだめかな……?」
上目遣いでこちらを見る眼差しは、少しばかり潤みを帯び、夕暮れを反射させていた。
今、この瞬間、世界中の”可愛い”が早乙女さんの目元に凝縮している。
そう錯覚するほど、美しく、可愛かった。
「だめじゃないです」
口が勝手にそう答えていた。
送迎車の後部座席を開けてもらい、そこに乗り込む直前。
エリカさん! と元気に呼ばれ振り返る。
「お友達になってくれてありがとう!」
嬉しい気持ちが湧き上がる。
理由はわからないが、彼女の信頼を得ることができた、友人を作ることができた、と。
そして同時に、腹の奥底に沈んでいた黒い砂がふわりと舞い上がった。
俺が友達でいいのだろうか。
いや、違う。
「私」は君の友達なのだろうか。
いや、それも違う。
「俺」は最初から「俺」の都合のために、彼女たちとの関係性を維持していただけだ。
「私」にとっては友達ですらない。
ここに本物の「私」は存在しないのだから。
ただ「俺」が君たちを利用しているだけ。
「私」を偽る「俺」のために。
それだけだ。
そんなこと、言えるわけもなく、ただ貼り付けた笑顔で手を振ることしかできなかった。
成人男性でしたが、気付いたらお金持ちお嬢様になってました。誰にもバレずに令嬢として生活してますが正直辛いです。誰か助けてください。 ニクズレ @nikuzure_
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