22.最悪を想定した行動

 家に到着してすぐに自室に駆け込む。

 カバンから手帳を引っこ抜き、先ほどの推論を紙の上でまとめながらもう一度考える。


 もちろん、可能性でしかないので決まったわけではない。

 ただ、他の可能性について思い浮かばない以上、エリカさんがいじめっ子だった前提で行動したほうが無難かもしれない。


 エリカさんがいじめっ子だった場合、不自然な点もある。

 例えば早乙女さん。彼女は最初、確かに怖がっていたような気もするが、すぐに気を許してくれたように見える。相手がいじめっ子だったらもっと警戒するだろう。

 例えば舞浜。彼はいじめを見過ごすタイプなのだろうか。綾小路さんが泣き出したとき、「私」が怒って泣かせたと思って仲裁に入るようなタイプだ。いじめを知っていればそれを許すとは思えない。


 それもすべて、彼らが「知らなかった」という可能性も捨てきれない。いじめは影で起きるのだから。早乙女さんに至ってはいじめを理解していない可能性もありそうだし。

 とりあえず、今日起きたことを手帳に記載していく。


「はぁ……」

 書きながらため息が出てきた。

 まさかのいじめの可能性。面倒なことになってきた。

 もし、四月以前のエリカさんの行為が学校にバレたりすれば、俺もやり辛くなる。更に周囲が「私」から距離を取り始めるだろう。早乙女さんにすら距離を置かれるだろうし、舞浜には軽蔑されるだろう。

 舞浜はいいか。むしろ好都合まである。


 ……いや、むしろ軽蔑されることによって、婚約したときに悪影響を与えるのではないだろうか。それが親同士の取り決めで子どもには回避不可能な婚約で、舞浜にとっては「いじめをするようなゴミと結婚させられる」という思いになってしまうのかもしれない。

 そう考えると、アニメでの舞浜の振る舞いもよくわかる。相手の性質を理解していたから恋心の一つも湧かなかったのかもしれない。

 実際、エリカ様は高校生になってもヒロインをいじめるわけだし。舞浜からしてみれば印象は変わらなかったのかもしれない。



 ただ、少しだけ、俺の気持ちが軽くなった。

 俺が殺したかもしれない六歳の女の子は、他人をいじめるようなヤツだった、と思えたから。

 なんの罪もない、無垢な子どもを殺したわけじゃなかったのなら、逆に救われた子もいるかもしれない。


 俺の罪悪感が少しだけ、ほんの少しだけ、薄れたのを感じる。



 ◆ ◆ ◆



 今日の出来事の記載が終わった。

 見慣れた小汚い字でまとめられた情報。

 右手の親指と人差し指で顎を触り、左手を右の二の腕と脇腹で挟みながら、それを見下ろす。


 書きながら、不安に思うところがいくつか湧いて出てきた。

 エリカさんの魂を見つけたら絶対に戻す。俺がどこかに消えたとしても。これは絶対だ。

 ただ、もし学内でいじめを行っていることが確定した場合、その事実を親にも何らかの形で伝えたほうがいい、気がする。あの二人から言って聞かせてもらえればさすがのエリカさんでもいじめなんて辞めるだろう。

 この手帳だと、先に発見したエリカさんが該当ページだけ破り捨てる可能性もある。手帳以外で親だけに伝える方法を考えておこう。これが一つ目。


 もう一つ不安なのは、この子、エリカさんの魂が戻せた場合。

 せっかく注意点をまとめたが、いじめなんてしちゃうお嬢様がこの忠告を素直に守るとは思えない。そうなれば巡り巡って没落コースもありうる。

 エリカさんだけならまだ自業自得だが、あの両親と兄も巻き込まれるのは少々可哀想だ。

 なので、この手帳を親にも見せられるようにしておかなければならない。


 もう一つ、不安に思っていることがある。

 それは、「舞浜を極力避ける」「舞浜と婚約しない」「高校から入学するヒロインを避ける」のうち、「舞浜を極力避ける」が相当難しい、という点だ。


 今日一日、なんとか舞浜を避けようとしていたが、普通に難しい。相手の家の方が上っぽいので話しかけられれば、こちらは無視することもできない。無下にもできない。

 あからさまな無視をすれば確実に機嫌を損ねるだろうし、俺もわかっていて人を傷付けたくない。


 一番簡単に回避できる方法は、自分が転校して違う高校に行くことだろう。これが一番安心できる。

 だが、この学校よりも格式の高いところがあるのかわからない。明らかに庶民じゃない家柄の「私」が他校に編入することを親が納得できるだろうか。納得できる合理的な理由を用意することも難しい。


 そもそも高校から転校で間に合うのだろうか。現状、なにがトリガーになるのかすら不確定だ。

「舞浜を極力避ける」「舞浜と婚約しない」「高校から入学するヒロインを避ける」の三つ挙げてみたものの、これだって俺がアニメの状況から予測したものでしかない。

 もっと言えば、そもそも回避できるのか、という問題すらある。

 なんか謎の「世界の因果のなんちゃらパワー」によって強引にアニメの通りに物語が進んでしまう、という可能性だって捨てきれない。


 ……考えれば考えるほど頭が痛くなってくる問題だが、とにかく今は何もわからないのが現状だ。



 なので、「没落」という最悪を想定した準備もしておいた方がいいのではないだろうか、と考えている。


 我ながら、ここまでしてあげる必要はあるのか、と疑問だ。

 疑問だが、気がついてしまったからには、やらざるを得ない。

 どんな子だったとしても、俺が現在進行系でそのすべてを奪っているのは事実だ。

 そしてなにより、この先に起きる可能性がある特大の不幸を知っていて無視はできない。俺の良心の問題だ。



 没落を想定した準備。一番は金だ。

 お金を貯蓄して、増やす。

 現在、お小遣いは貰えていない感じがする。金に関わるモノがこの部屋には一切無かったからだ。

 が、これからはお小遣いを要求してそれを貯蓄する。

 月々いくら貰えるかわからんが、この家の規模なら五百円とかではないだろう。金銭感覚が庶民ではないだろうし、子どものお小遣いに百万ぐらいぽんっとくれそうだ。


 一定まで溜まったら投資をする。あの父に「投資の勉強をしたいの、お父様(キュルン」と涙目で言えば喜んで指導者も付けてくれそうだ。

 増やした金は口座凍結されて全財産没収された場合を想定して、日本円か金塊に替えておいてタンスにしまう。いや、もっとうまく隠す方法もあるはずだ。金を隠す方法に詳しい人を紹介してもらえばいい。それぐらいのツテはあるだろう。

 その金をエリカさんの大学入学費と今後の生活費にする。


 高校卒業後、没落するので大学に入るには金の力も、権力も、コネも使えない。

 なので、自力で大学に合格しなければならない。そのための学力が必要だ。

 ただ、今の俺が勉強したところで、戻ってきたエリカさんに学力が残るとは思えない。知識が引き継がれるのであれば、俺もエリカさんの知識を知っていないと不自然だ。

 だが、一つだけ、勉強の成果を残すことが可能な方法を知っている。


 それは”体に覚え込ませる”こと。

 体に叩き込んだことはおそらく、引き継げる。普段の板書も彼女が体に覚え込ませた筆跡で書いている。メモなんかのどうでもいい部分は俺の字だが。

 どっちの字で書くのか、意識すれば切り替えられる。


 これが彼女の魂が戻ったとしても共通すると信じて、勉強を体に覚え込ませる。

 暗記科目は頭と手に叩き込み、考えなくても出てくるようにしておく。

 数学とか計算するものはどこまで通用するかわからないが、公式を体に覚え込ませれば勝手に出てくるかもしれない。それを信じるしかない。あとは頑張れ、ってことで。


 そしてもう一つ。一応、料理を学んでおく。

 庶民に落ちるなら使用人を雇う余裕はないだろう。それに、母はおそらく料理ができないと思う。というか、使用人を雇うような余裕のある家の母親がわざわざ料理できる必要はないし。

 つまり、一家の中でメシを作れる人がいない。そうなれば食費で家計を圧迫する。

 あと、エリカさんが誰かと結婚するとなった場合も、料理できるほうが評価も高まる。もしかしたらエリカさんが外で働いて夫が家事パターンかもしれないが、どっちにしろ料理はできたほうがいい。


 これも体に叩き込む。一般的な家庭料理を何も見ずに、作れるように。

 ただ、これは努力目標ぐらいだ。料理を体に叩き込むのは相当な時間がかかるだろうし。

 そもそも、俺もそこまでできない。誰かに教わらないとならないので先生が必要だ。

 なので余裕があればだ。できた方がいい、ぐらいのものだし。


 あとは体作りだ。

 今日一日でわかったが、エリカさんの体は弱い。フィジカルがザコだ。

 頭の回転は凄まじいが。この体力で庶民として生活は厳しいどころか、普通に学校生活を送るのも結構大変だ。

 あと、疲れやすいっていうのは普段のパフォーマンスが落ちる。集中力も落ちやすい……はずだ。あと多分病気にもなりやすい……とかあると思う。


 とにかく、体力はあったほうがいい。

 ということで軽く筋トレとランニングぐらいはしておこうと思う。

 ママ上の部屋にヨガマットとバランスボールがあったから、言えば貸してくれるだろう。いや、買ってくれるかもしれん。


 これぐらいか。

 あとあるとしたら、このわけのわからない憑依の日記を「奇想天外!六歳女児に憑依した男の話(実話)」みたいな形で売るぐらいか。

 いや、意味わからんし売れないか。

 それならロリコンが六歳女児になりました、みたいな犯罪スレスレの際どい内容でライトノベル調に整えるか。それをネットにアップして、なにかの間違いで書籍化できてお金が手元に入ったらラッキーだ。

 まぁこれも暇があったらやってみよう。


 手帳に最悪を想定したプランを書き込みながら、ふと思う。

 我ながら随分と長期的なプランを考えているな、と。

 こんなに色々考えて、明日するっと元に戻ったら? いや、それはそれでオッケーか。

 

 このわけのわからない状況じゃいつ元に戻るのかわからないし、考えないよりはいいだろう。

 それに、これはエリカさんが戻ってきたときの「やっておくと良いことリスト」でもあるわけだ。

 あなたは没落して路頭に迷う予定です、このメモを参考に頑張ってこれからの人生を切り開いてください、ってことだ。

 ……そう考えると、本当に可愛そうだ。ま、とりあえずやっておいて損はないものばかりだし、これを信じるか信じないかはエリカさん次第だな。





 よし、こんなもんだな。

 まずは夕食の時間、パパ上にお小遣いの要求しよう。

 あと体育がある日は自分で髪を縛るから縛り方を教えてくれって話をしておこう。


 カバンを開き、手帳を仕舞おうとしたところ、綺麗で上品なラッピングを施したパッケージがカバンの中に見えた。

 綾小路さんがくれたお菓子だ。

 今は夕食前。だが中身がどんなものなのか見てみたい欲求に負けて封を解いてみた。


 中身はオシャレなチョコレート。いや、ショコラかもしれない。ショコラということにしよう。

 一口食べてみようか、と思ったがふと、貰ったことをママ上に報告するべきか? と頭をよぎった。

 一応しといたほうがいいのかもしれない。上流階級同士の家のやり取りもあるかもしれんし。


 ということでリビングに向かった。

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