25.舞浜と海野

 一時間目の授業が終わった。次の授業までの合間にある休み時間中、早乙女さんの周りには女の子が数人固まっていた。


 俺の被害妄想だろうか。チラチラとこっちを見ながら、なにか話しているようだ。

 正直、居心地が悪い。


 彼女たちが話しているのはさっきのお菓子の件だろうか。

 だが、なぜ早乙女さんの周りに集まるのだろうか。それがわからない。


 ……もしかしたら、早乙女さんもいじめられていないか、と心配して集まっているのかもしれない。

 こちらをチラチラ見ているのも、警戒しているとも取れる。

 もちろん、そんな事実はないし、早乙女さんも否定してくれる……と思う。

 彼女がとんでもない悪女で「私」を陥れよう、なんて思っていなければ、だが。


 いや、早乙女さんを疑っても仕方がない。

 子どもの視線とはいえ、見られるというのはかなり居心地が悪い。



 ◆ ◆ ◆



 土曜日は午前授業なので給食は無い。が、食堂自体は開いているみたいで、好きなものを注文できる学食システムになるようだ。普段より少ない数ではあるが子どもたちが集まっている。なんとも柔軟な対応だが、誰のためにわざわざ開いているのか謎だ。みんなまっすぐ家に帰ればいいのでは?

 そんなこと思いつつも食堂にいるのは、帰りのホームルームが終わった後、給食が無いのを知らずにメシを求めて来てしまったからだ。

 注文窓口には十人前後が並んで待っていたのでその列に並んだ。


 今日はなににしようかなとまだ見ぬごちそうに胸をときめかせていると、前に並んでいる上級生の男の子が先を譲る、と提案してきた。

 これが本場のレディファーストなのか。なるほど、上流階級ともなると年下の女性にココまで優しくするように教育されるのだな、と関心したが、丁重に断らせてもらった。

 ……断ったあと、男の子はなんだか気まずそうにしている。もしかしたらこういう申し出を断るのは失礼だったのかもしれない。素直に受け入れておけばよかった。


 なんて考えていると自分の番だったので、さっきからいい匂いがするシチューのセットにしてみた。



 いつも通り料理に舌鼓を打つ。柔らかい鶏肉から、噛めば噛むほど旨味が溢れ出ている。

 シチュー自体も濃厚でありながらクリーミーな優しさがある。絶品だ。毎日食べたい。


 ほぉぁ、と一息つく。

 うまい。


「うまそうに食うな」

 舞浜だ。コイツも学食に来ていたみたいだ。しかもなぜか眼の前にいる。

 周りを見ると空いてるところはそれなりにあるし、自由席っぽいのにわざわざ「私」の前に来るなんて。

 俺の一番大切な時間を邪魔しないでいただきたいのだが。

「美味しくないですか?」

 問いかけながらバゲットをかじる。これも美味い。このバゲット持って帰って夜食にしたいぐらい美味い。

「いや、そういうわけじゃない」

 どういうことだろう、と思っていると舞浜は続けた。

「ずいぶん、顔に出るようになったな」


 ああ、また忘れていた。

 俺は「緑園寺 恵莉夏」だった。エリカさんは、お嬢様は美味そうにメシなんて食わないだろうに。


 周囲を見渡す。やはりチラチラと視線を感じる。

 またやってしまったようだ。すまん、エリカさん。俺、エリカさんの真似、マジで下手かもしれない。


 思えば、前も舞浜に言われた気がする。「見られているぞ」と。

 俺はまったく反省できていなかったらしい。


「やっぱり変でしたか……」

 思わず言葉が溢れてしまった。

「いや、今のほうがいい」


 いいんかい。

 いやでも、お前この前見られてることを意識しろ、みたいなこと言ってたけど……

 ああ、あれは俺がキモい笑顔でニヤニヤしていたからか。舞浜基準ではうまそうに食うのはOKなのだろうか。


 んん? なんだ、このままでもいいのか? でもそれは舞浜基準か?

 てかなんで俺、無表情でメシ食えないんだ?

 おかしいぞ。俺は普段からそこまで表情豊かな方ではなかった。どんだけうまいメシを食っても一人で笑顔になったりしていなかったはずだ。

 今だって意識して顔を動かしていない。体が勝手に動いているだけだ。


「そうだ、今日はダリアに顔を出せよ」

 ダリアって土曜日でも開いてるんだな。年中無休なのか。なにかあるのだろうか、と視線を舞浜に合わせると「あと、菓子も忘れないでくれ」と舞浜は続けた。

 菓子とは今朝、早乙女さんから貰ったもののことか。

「お菓子食べたいだけですか?」

「そんなわけないだろう」

 本当だろうか、なんて考えていると舞浜は続けた。

「緑園寺、あれから顔を出していないだろ。皆心配している」

 確かに。

 そういえばわざわざピアノ弾いてくれたりしていたのに、感謝を伝えてすらいない。

 ……あれ、そういえば舞浜も弾いてくれてなかったっけ。俺、感謝とか伝えてないよな。


 今更言うのも気まずいが、言わないのも気まずいので言っておこう。

「あの、今更なんですけど、ピアノ、ありがとうございました」

「……いくらなんでも遅すぎないか?」

 ぐうの音も出ない。

「ご、ごめんなさい」

 舞浜はふんっと鼻を鳴らした。機嫌を損ねてしまったかもしれない。



 今更気がついてしまった。

 婚約者とか杏とか、そんなの関係なく俺が失礼ぶっこいて没落させられる、という道も全然あることに。

 舞浜が思った以上にいいヤツそうだったので気楽に接していたが、そもそもそういう危険性もあったのだ。


 俺は上流階級の「当たり前」を知らない。今から学びたいところだが、その前に没落させられる可能性もある。

 元々、舞浜とは距離を取る予定ではあったが、これは早く動き出して距離を取らないとマズイことになる。

 初等部すら卒業できない、という最悪のその向こう側に墜落するかもしれない。


 マズイ、マズイぞ。なんとかコイツの機嫌を取らないと……

「あ、あの、舞浜様……」

「なんだ?」

「お菓子、持っていきますから……ね?」

 苦し紛れの笑顔を添えてみた。


「なにが”ね?”だ。菓子ごときで機嫌を取ろうとするな」

 くっ、バレてた。くそ、本当に賢い子どもだ。子どもと思って舐めてかかると負けそうだ。


「そもそも、怒っていない」

「あ、そうなんですか?」

「こんなことでいちいち怒っていられるか」

「ああ、よかった。じゃあお菓子は私一人で食べられますね」

「おい、それとコレとは話が別だ」


 互いに見合ってから、ふっと笑った。


 その軽妙なコミュニケーションは心地良かったし、とても大人びたものだったと思う。

 だが、彼の笑顔は年相応の子どもらしく、彼がまだまだ幼いことを思い出させてくれた。


 舞浜はやっぱり良いヤツだと思う。

 身に纏うオーラの割になぜか気安く接しやすい。

 精神的には同性だから、というのもあるかもしれないが。


 ……これが十六歳から恋愛バカになると思うと、本当に残念な気持ちになる。

 一生このままでいてくれ、と神に願い続けよう。


 いや、そんな願いを聞く前にエリカさんを元に戻してやってくれ。



 ◆ ◆ ◆



「最近、緑園寺さんと仲いいよね」

「そうか?」


 ダリア専用ルーム、サロンと呼ばれている一室で早乙女さんからいただいたフィ……なんちゃらを俺と舞浜、そして海野の三人で食べている。

 三人。気がついたら一人増えていた。


 海野 珠弦うみの ゆづる。彼は俺が知っているアニメ『恋のジェットコースター』では女性慣れしたチャラ男みたいなヤツ。舞浜の恋のアシストをする親友ポジション。実質共犯者だ。あと裸眼でピンクみたいな髪色だった。

 今の海野はメガネで見た目は真面目そうなで、チャラ男っぽさはない。ただどことなく、わんぱくそうな雰囲気を感じる。将来的にはチャラ男になるのだろうか。



「緑園寺が変になったからな」

「たしかにそうだね」

 二人は小さく笑い合っていた。

 仲が良いんだろうな、というのがこの会話だけでよくわかった。二人共、楽しそうだ。

 海野が舞浜の親友ポジション、というのはアニメ通りなのかもしれない。

 まぁ言われている俺は事実なので苦笑いしかできないが。


「緑園寺さん、本当にどうしちゃったの?」

 レンズの向こう側には海野の純粋そうな目があった。

「どうしちゃった、と言われても……」

 俺は答えに窮する。本当のことを言えるわけがない。

「口調も変わっちゃったし、どうして?」

 それでも海野は聞いてきた。彼の純朴な瞳には、ただただ好奇心が渦巻いているように見える。


「イメチェン、なんだと」

 代わりに舞浜が答えてくれた。

「イメチェン?」

「ああ、イメチェンらしい」

 その言葉を聞いた海野はぽかんとした顔をしながら、じっと舞浜の目を見る。

 舞浜はそれを気にもせずお茶を一口。そして静かにカップをソーサーに戻す。


 二人は少し間を空けてからどっと笑い出した。



 笑いを堪えながら海野は口を開いた。

「りょ、緑園寺さんって、意外と、変な人なんだね」

 口から漏れ出すぷぷぷっという音までは隠せていなかった。


「あ、ははは……」と二人に合わせて笑うことしかできなかった。

 俺の顔を見て、海野は変なものを見るような目で続けた。

「やっぱり緑園寺さん、前とは全然別人みたい」

 ギクリ、としたが俺もこう言われるのは少し覚悟していた。四月のエリカさんを知っている人にとってはやはり別人に見えるみたいだ。

 当たり前だ。別人なのだから。


「最初は緊張してるのかな、なんて思っていたけど今のほうがいいね」

「緑園寺が何に緊張するんだ?」

「うーん……光圀?」

「なんで俺なんだ」

「だって光圀、怖いじゃん」

「怖くない」

「あっ! このフィナンシェおいしいね!」

 海野は舞浜の言葉を無視してお菓子の感想を述べている。結構自由な感じの子なのだろうか。


 それより、聞き捨てならない言葉だ。海野から見ると、本来のエリカさんは緊張しているように見えていたようだ。

 まあ今のほうがいい、と言われているので一応、このままでも問題はなさそうだ。多分。


「これは早乙女が買ってきたんだ」

 舞浜、お前に買ってきてくれたわけじゃないぞ

「朝、見てたよ。みんなびっくりしてたね」

 軽い調子で笑いながら海野は言う。いや、俺にとってはあまり笑えなかったのだが。

「やっぱり、教室でお菓子を食べるのはマズかったですかね……」

「えっ? まぁそうかもね」

 今後は気をつけよう……


 しかし海野も気の良いヤツっぽいな。今の時点では。

 コイツもチャラ男になってしまうのか、と思うと少し悲しいものがある。

 なんとか高校生にならないでくれ、と神に願い続けよう。


 ……いや、そんな願いを聞く前にエリカさんを元に戻してやってくれ。

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