32.前の席

 早乙女さんにキモがられたかもしれない、と今朝の言動を後悔しながら授業をぼーっと眺めていた。

 板書だけはちゃんと取ってるが、改めて見ると小学生の授業はすごい。

 児童が考える時間を作ったり、周囲と話し合いをする時間、質問とレスポンス、児童と一体になって授業を進めていくって感じだ。教師が一方的に喋るだけの中学生以降の授業と比べると面白さの質が違う。

 板書の書き方も見やすいように、ノートを見直したときの読みやすさも考えているのだろう。

 授業一コマごとに楽しい授業を提供しようと努力してきたのがわかる。

 教えてもらってる内容が全て既知のものだとしても、授業の様子を見ているだけでそれなりに楽しい。結構凄いことだと思う。もしかしたらあの先生が凄いのかもしれない。


 手元のタブレットをピンチインして『はなの みち』の挿絵のクマをじっくり覗き込む。不思議そうな顔で手元からこぼれ落ちる花の種をなんとも言えない顔で見つめている。彼にはこぼれ落ちているものがなんなのかわかっていない。


 俺の時代と違ってデジタル教材も当たり前に用いられている。しかも最新のiPadだ。最初、持ち物欄を見てビビった。急いで端末を充電したのも懐かしい記憶だ。

 ちなみにインターネットには繋がらない仕様なのも確認済みだ。



 そんなことを考えていると二時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴った。

 いやー、今日も先生の手腕は凄かったな。問題の提起から児童の誘導が完璧だった。なんて思っていると。


「りょ、緑園寺様!」

「は、はい」

 前の席の子こと横見瀬さんが緊張した面持ちで話しかけてきた。

 驚いた。今まで避けられていたから向こうから話しかけられるとは思っていなかった、というのもあるが、彼女のお淑やかそうな見た目に反して結構勢いがあったからだ。


「緑園寺様は、好きなお菓子って、あり、ありますか!?」

「えっ……?」

 なんだろう、急に。なんでお菓子?

「えーっと……」

 全然思いつかない。頭に浮かんでくるのはポテチとかなんだが、このレベルの家の子がそんなジャンクなお菓子を食べているとは思えない。こんな回答してしまうとエリカさんの品格を疑われそうだ。

 ヤバイ、さっぱり正解がわからない……

「あっ、あ、あの、お話になりたくないなら、だ、大丈夫、です……」

 しゅん……と縮こまっていく横見瀬さん。

 マズイ、逃げられる。せっかく勇気を出して話しかけてくれたんだ。関係を改善する絶好の機会。絶対に逃してなるものか。


「えーっと、ああ、そういえば、この前綾小路さんからいただいたチョコレートは美味しかったです」

 視界の端で綾小路さんがビクついたのが見えた。

「そうなんですか! チョコレートがお好きなんですか?」

「ああ、はい。甘いものは嫌いじゃないです」

「そうですか!」

 ぱぁと明るい顔になる。なんとか持ち直せたかもしれない。

 しかし急にどうしたのだろうか。本当にわからない。

 ただ、このままだと会話が終わりそうなので無理やり続けるために話題を探す。


「あー、よ、横見瀬さんは何が好きなんですか?」

「へっ!? あ、あの、わ、私は、甘いものはだいたい好きです!」

「へ、へー、そ、そうなんですね」


 お互いにガチガチの会話。

 なんだこれ。「エリカさんに話しかける」罰ゲームでもやらされているのだろうか。


「あ、あの私の名前、覚えてくれてたんですね」

 横見瀬さんはおずおずといった感じで切り出してきた。

「前の席だし、覚えていますよ」

 俺は努めて冷静にそう答えた。本当は教科書を盗み見たのだが。内心はかなりドキドキしている。


 横見瀬さんは拳にぐっと力を入れていた。まるでなにかを決心したかのように。

 彼女は、何か言おうとしている。なにか伝えようとしている。そう見て取れた。

 その姿を見て、俺も身構えた。


 意を決したように、横見瀬さんは口を開いた。


「あ、あの! もしよかったら、今後も、私とも、お話していただけませんか……?」

「えっ! ああ、もちろん!」


 なぜ、どうして。

 色々疑問は湧いてくる。が、断る理由はもちろんない。

 というか、俺は素直に嬉しかった。


「よろしくお願いします、横見瀬さん」

 そう答えておいた。

 横見瀬さんは真っ赤な顔を嬉しそうに歪ませた。



 


 三時間目の授業が始まった。

 しかしさっきのはなんだったのだろうか。本当に、急だった。

 横見瀬さんは土曜日まで「私」に対してビビり散らかしていた。それはもう、クマに怯えるシカのように。

 それが一転して、あちらから話しかけてくれた。


 なにがきっかけだったのだろうか。というより、彼女は「私」にいじめられていたわけではないのだろうか。

 本当に謎だ。

 だが、悪くはない。この調子でどんどん友達が増えてくれるなら俺としては助かる。

 

 なんだったら仲良しグループみたいのができたら良いよな。とりあえず集まれる友達、みたいな感じで。

 早乙女さんと横見瀬さんが仲良くなってくれたらそこに「私」が入って三人仲良しグループ結成だ。もっと増やしたっていいしな。

 

 ……あれ、エリカさんが戻ってきたときのことを考えると勝手に友達増やしすぎてもよくないのか?

 ……もういいや、そういうのは。あとで考えよう。



 ◆ ◆ ◆



 四時間目の授業が終わり、本日の給食に心躍らせていると、ちょこちょこと早乙女さんがやってきて「緑園寺様、一緒に行きませんか?」と誘ってくれた。

「はい、行きましょう」と努めて冷静な顔で答えると早乙女さんはへにゃっと笑った。


 ま~~~~~~~じで嬉しい。嫌われてなかったみたいだ。

 我慢しないとニヤニヤが漏れそうだ。口角に力を入れて耐える。


 その話が聞こえていたのか、横見瀬さんはちらちらとこちらを伺っていた。

 誘ってくれ、という目線とは思えないけど、どうせ同じところに行くんだし誘ってみよう。

 そう思って「横見瀬さんもご一緒にどうですか?」と声をかけてみると「は、はい!」と返ってきた。これは行幸。仲良しグループ作戦決行だ。

 ということで仲良く三人、食堂へ向かうことになった。


「……」

「……」

「……」


 いや、仲良くではないのかもしれない。

 あ、てか早乙女さんと横見瀬さんは初対面……って言い方は同じクラスだからおかしいけど、紹介が必要なのか。

「そういえば紹介がまだでしたね。早乙女さん、こちら横見瀬 有喜子さんです」

「へっ? あっ、は、初めまして、横見瀬です」

「横見瀬さん、こちらは早乙女 真由さんです」

「初めまして、早乙女です……」


「……」

「……」


 えっ、あれ、なんか全然会話が始まらないんだけど。

 これもしかして二人共、人見知りなのか?

 早乙女さんの方を向いてみると、あまり喋ったことがない横見瀬さんに緊張しているのだろうか。どうしていいのかわからない、という表情。

 横見瀬さんは……下を向いて真っ赤な顔してる。なんで?

 とりあえず俺が話を進めるしかなさそうだ。

「きょ、今日の給食、楽しみですね!」

「え? はい……」

「うん……」


「……」


 あ、あれ? 全然盛り上がらないんだけど……

 もしかして給食楽しみにしてるのって俺だけなの? いや、そんなはずは……だってあんなに美味しいのに……


「……」

「……」

「……」


 いや、気まず!!!

 なにか話題を……と思ったけど彼女たちが喜びそうな話題がまったくわからない。


「あれ、緑園寺さんが誰かと一緒なんて珍しいね」

 後ろから男の子の声が聞こえた。振り向くとそこに居たのは海野だった。

 しかし、失礼な言葉だ。まるでエリカさんがぼっちだったみたいに……いや、ぼっちだったのか?


「う、海野様……」

 ビビった声を出してるのは横見瀬さんだ。

 この子、誰にでも最初はビビるように教育をされてるのだろうか。


 海野は「私」達を眺めて、早乙女さんの三つ編みで目線を止めた。

「早乙女さんの髪飾り、素敵だね。それどこのブランドなの?」

 早乙女さんの三つ編みの先には確かに可愛らしい髪飾りがあった。


 確かに素敵だ。てか髪飾りなんて今気がついた。

 さすが海野、チャラ男の片鱗を感じる。


「あ、ありがとうございます! これ、アレクサンドル ドゥ パリの新作でママが選んでくれたんです!」

 へぇー、知らんけどパリに本店がありそうな名前だ。

「へぇ、通りで。確か早乙女さんのお母様は有名なファッションデザイナーだったよね」

 へぇー、そうなんだ。なんかかっこいいな。

「そうです! ママはおしゃれでカッコよくて凄いんです! えへへ」

 へぇー、ママのこと好きなんだな。可愛い。

「ママは、パリコレとかにもお洋服出してて、有名で……」

 へぇー、マジで凄い人じゃん。有名ってかもう世界的な人じゃん。

 てかママの話になるとめっちゃ饒舌じゃん。

 なんて思いながら早乙女さんを見ていたら、急に「私」の顔を見て、あう……みたいな顔をしだした。可愛い。

「りょ、緑園寺様、つまらない話をしてごめんなさい……」


 えっ?


「えっ!?」

 マジで驚いて声が出た。俺そんなつまらなさそうな顔してたか?

「い、いえ! 面白い話ですよ! もっと聞かせてください。早乙女さんのお母様の話。どんな方なんですか?」

 ぱぁと顔が明るくなった。


「そ、それで、こういう髪留めとかもママがいっつも選んでくれるんです!」

「へぇ、それは素敵ですね」

 へぇー、いい母親だなぁ、なんて考えていると

「素敵な髪留めですね。私も前にシャネルのバレッタを買ってもらったんです」

 横で見ていた横見瀬さんも話に加わった。

「えっ、どんなの?」

「リボンのやつです」

「あー! あれ可愛いよね!」

 早乙女さんはナチュラルにタメ口になっている。多分テンション上がって気がついてないのだろう。可愛い。


 しかし急に盛り上がり始めた。

 早乙女さんと横見瀬さんは、どこそこのジュエリーだとか、髪飾りだとか服だとかの話をしている。が、俺にはなんの話をしているのかわからない。

 普通に、ちゃんと、ついて行けてない。

 てか横見瀬さん、めちゃくちゃ普通に喋れるじゃん。


 俺も成人男性物ならある程度知ってるつもりだけど、女性物は本当に大手のブランド名ぐらいしかわからない。

 そもそもバレッタってなんだ? あの髪をパチンって止めるタイプの髪留めのことだろうか。推測しかできない。


 これは話を振られたらマズい。今の俺にはなにも答えを用意できない。

 一発でエリカさんの評価が地に落ちる可能性が出てくる。ちょっと影の方に移動しよう……

 なんて思っていたら横見瀬さんが口を開いた。

「りょ、緑園寺様はどのようなものがお好みですか?」

「ひょ! あ、そうですね……私個人としては特に好みがないんですけど、お母様とお父様が喜んでいると嬉しい、です、かね?」


 ひょ! ってなんだよ!!! びっくりしすぎて変な声出ちまった。けど誰も気にしてなさそうなのでセーフだろう。


 くくっと笑う声が後ろから聞こえた。誰かと思ったら舞浜だった。

「ひょってなんだよ……ふふっ……」


 畜生、めちゃくちゃ聞かれてた。ごめん、エリカさん……

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