第10話 新年度

 始業式を終え、夏目は部室へと向かった。


 外で、鳥のさえずりが聞こえる。

 春だなぁ、としみじみ思いながら鍵を開けようとポケットに手を入れたそのとき、


「うす。」


 と声が近くでした。声の方を振り向くと、二葉がポケットに手を突っ込んで立っていた。


「こんにちは。」


 と夏目も返事をする。

 部室に入り、バッグを机の上に置くと、夏目は窓を目一杯開けた。


 心地の良い風と共に、いくつもの桜の花びらが吹き込んでくる。


「きれい……」


 夏目がそれに見惚れていると、


「先輩、髪に桜の花びらついてる。」


 と二葉が言った。


「え、どこにですか?」


 夏目が髪の毛を無造作に触ると、


「あー、そんなんしたら髪の毛崩れるぞ。」


 そう言って二葉は夏目に近づき、彼女の頭に手を伸ばす。


 頭の上で少しくすぐったい感覚がしたかと思うと、二葉はほら、と指に花びらをつまんで見せた。


 夏目は自分の頭を軽く抑え、少しきょとんとした顔をしてから、すぐに微笑んで言った。


「ありがとう、ございます。」


 二葉は顔を赤らめ、顔をそむける。

 そして、口を開こうとしたそのとき、


「やってるー?」


 そんな大声と共に、雨宮が部室に入って来た。

 二葉は慌てて夏目から距離を取る。


「雨宮先生!どうしたんですか?」


 夏目がそう言うと、雨宮は近くの椅子に座って、言った。


「いや、忘れてるだろうと思ってさ……新歓のこと。」


「うぐっ」


 夏目が呻き声を上げる。


「中1の勧誘をしなくちゃいけないでしょ?」


 夏目の通う学校は中高一貫校。今年度で夏目が高二、二葉が高一になったわけだが、本来なら部活には中学生もいるべきなのだ。


 そして、1番部員が入ってくる時期といえばもちろん、この4月、入学式直後だ。


「このままだと後2年で廃部だよ?」


 夏目はぎゅっと唇を噛む。そんなこと、夏目自身が1番よくわかっていた。

 自分の代でこの部活を終わらせるのは嫌だ。それよりも……


 二葉を一人にしてしまうのが、夏目にはたまらなく嫌だった。


「……なんとかします。」


「最低でも3人は部員が欲しいところだね。」


 雨宮がそう言って微笑む。


「ま、夏目さんなら大丈夫でしょう。頑張ってね!」


 そう言って、雨宮は去って行った。


「あれでも顧問かよ……」


「まぁ、裏で手を色々回してくださっているようですし……」


 そして、夏目は一息ついてから言った。


「二葉くん。」


 夏目はそう言って、二葉をまっすぐ見つめる。


「文芸部は今年、部誌を発行します。」


「……え?」


「文芸部としても、文化祭以外で部誌を出すのは異例のことで……」


「ちょっと待った!」


 二葉は夏目の言葉を遮るように叫んだ。


「俺、小説とか書けないけど⁉︎」


「あなたは漫画を描けばいいじゃないですか。」


「それはっ……」


 二葉は、思い出していた。小学生の頃、自分の漫画をバカにされた、あの苦い経験を。


 胸が押さえつけられたように苦しくなる。


「それは……無理だ。どうせ、馬鹿にされるに決まってるから。」


「二葉くん。」


 夏目は、そう言って二葉の手を取る。


「あなたがどうしても嫌だと言うのなら、無理強いはしません。でも、絶対に、あなたの作品を馬鹿にはさせませんから。」


 夏目は、まっすぐ二葉を見つめる。


 二葉の真っ黒な瞳が、少し揺れ動く。

 そして、顔を背けると、二葉は一言、


「わかった」


 と言って、夏目から手を離した。


「嬉しいです。」


 夏目はそう微笑みながら言うと、「じゃあ、私は部誌のために作品を仕上げるので。」と言って、パソコンを立ち上げ始めた。


 二葉は、自分の両手を見つめる。

 そして、本当に小さな声で、呟いた。


「……軽々しく手、握るなよ。」


「何か言いましたか?」


「……いや、別に。」


 暖かい風が、部室を通り抜けていく。

 新たな一年……文芸部にとって激動の一年が、始まった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る