最終話 桜色の栞紐

 時は流れ、3月。


「先輩、」


「「「今までお疲れ様でした!」」」


 今日は3月最後の部活の日。夏目の2つ上の先輩は、夏目が一人になってしまっては可愛そうだからと三年生の夏まで部活に来てくれたが、基本、部活は二年生で引退となっている。つまり、夏目はこの日をもって文芸部を卒業だ。


「寂しくなりますねぇ……」


 悲しげにいうのは、もちろん中原。


「いつでも顔を出してくださいね!!」


 中原の言葉に、夏目は曖昧に微笑む。


 夏目は、引退したらもう来ないと決めていた。

 これからは、自分より下の世代の子たちの時代。そこにいつまでも居座り続けるのは、老害でしかない。

 自分だって本当はずっと文芸部にいたいけど、同じ思いを抱えていたはずの夏目の先輩たちだって、その気持ちをぐっと堪えていたに違いないのだ。


 ……受験もあるしね。


「おい、いつまでもしんみりしてんじゃねえよ、あと一年は同じ学校にいるんだし」


「ま、二葉先輩はいつでも夏目先輩に会えますもんね、彼氏なんだから」


「なっ……」


 中島のからかいに、二葉はわかりやすく赤面する。


「いいですねぇ楽しそうで」


 中島はにやにやと笑う。


 結局、中原と中島は付き合っていない。


 中原が振られた直後だったのと、中1に恋愛は早いのでは、という中島の考えもあり、しかるべきときにまた考えようということになった……と中島が、相談に乗ってもらった種田に伝えたのだった。


 まあ二人とも仲良さそうだし、と種田はあまり心配もせず見守っている。


「んなことはいいんだよ!始めるぞ、引退パーティ」


 二葉は照れを隠すようにぶっきらぼうな口調で言ってから、バッグから次々とお菓子を取り出した。


「校則違反ですよ?」


「ばれなきゃ問題じゃねーよ」


「そうですね、問題ではありませんよね」


 突然後ろから聞こえた声にギョッとして、全員後ろに振り向く。


「雨宮先生……」


「今日は見逃すけど、今度からはばれないようにしなよ」


 『ばれないようにしなよ』って、と夏目は苦笑する。この人、先生のくせに緩すぎる。


「すみません、ありがとうございます」


「はい、これ賄賂」


 中島が一掴みのお菓子を雨宮に渡す。雨宮はそれを一つ食べ、「おいしい」と顔を綻ばせた。


「みんなも食べていいぞ」


 二葉が言うと、部員たちは袋に手を伸ばした。

 お菓子を食べながら、思い出話に花を咲かせる。


 夏目が一人だったときのこと。二葉が入ってからのこと。そして、一年生が入ってからのこと。


 特に一番の爆笑をさらったのは……伝説のG事件であった。(第5話参照)


「二葉先輩、ゴキ苦手なんですね」


「悪かったな」


 中島のからかいに、またも二葉はすねる。なんだかんだ二葉はいじられキャラに落ち着いたのが、夏目には面白かった。最初はあんなに怖かったのに、と。


「先輩、あの……」


 種田がおずおずと手を上げた。


「そのあとって、部屋の掃除したんですか?」


「してないですよ?」


 その言葉に、全員の表情が凍りつく。


「完全に忘れてました。ていうか、掃除して残党を見つけてしまったら嫌ですし」


「……退部しようかしら」


 中島が呟く。さっき二葉のことをからかっていたくせに、中島もどうやらGは苦手なようだ。


「まあ、大丈夫ですよ。いざとなったら雨宮先生を呼べば」


「僕のこと殺虫剤かなんかだと思ってる?」


「はい」


 あのとき扉の前にいたGを、雨宮は扉を開けた瞬間に叩きのめした。その速さは、まるで光のごとく。なんなら殺虫剤よりも効き目があるかもしれない。


「夏目さんも、ずいぶん僕をからかうようになったね?」


「そうですか?」


「うん。それに、みんなが部活に入ってきてから、表情が明るくなったよ」


「……そうかもしれませんね」


 先輩が卒業してから、ずっと一人で活動していた。それでもいい、とその頃は思っていたが、案外寂しかったのかもしれない。


「本当に、みなさんのおかげでこの一年間楽しく過ごさせていただきました」


 夏目は頭を深々と下げる。


「これからの文芸部を、どうかよろしくお願いします」


「……任せとけ」


 そうぼそっと言ったのは、二葉―――文芸部の次期部長だ。


「この人に任せるの不安じゃありません?」


「しゃあねえだろ、俺が一番年上なんだから」


「まあ、私がいる限りは安泰でしょうけどね」


 そう皮肉っぽく言う中島は、中学生にして次期副部長である。


「ほんと、頼みましたよ。……廃部にだけは決してなさらないように」


「ああ」


 別に、これから二度と会わなくなるわけではないのに、なんだか今日が会える最後の日のような会話をしてしまうのは、『引退』という言葉の響きのせいだろうか。


「みなさん、そろそろ時間ですよ」


 雨宮が、しんとした空気に合わせ、静かな声で言う。


 すると、二葉がパン、と手を叩いて立ち上がった。


「じゃあ最後に……中島、あれ、持ってきてるか?」


「バカにしないでください。ちゃんとありますよ」


 そして、中島がバッグから一冊の本を出す。


「どうぞ。これ、先輩へのプレゼントです」


 夏目は、その表紙をじっと見つめた。


 題名は―――


「『桜』……」


「みんなで、先輩のためだけに書き下ろした部誌です。『桜』を共通テーマにして」


 夏目はそれを受け取り、パラパラとめくる。


 最初は、種田の俳句や短歌。そのあとに中原と中島の小説があり、そして二葉の少女漫画へと続く。


「え、先生も書いたんですか?」


「うん、せっかくだしね」


 最後には、雨宮の小説が載っていた。雨宮が小説を書いているなんて知らなかったので、夏目はびっくりする。


「裏も見てみてください」


 言われるがままに裏返すと、そこには


『夏目先輩、お疲れ様でした!』


 そう真ん中に書かれた、寄せ書きがあった。


 じんわりと、夏目の視界がぼやける。


「ありがとうございます……大切に読みます」


***


 そして、片付けを終え。


「最後は、夏目さんが締めたら?」


 みんなが外に出たあと雨宮にそう言われ、夏目は鍵を受け取る。


 鍵には、桜色の栞紐が結びつけてある。やっぱり、文芸部の鍵にはこれがなくちゃね、と雨宮がまた結び直したのだ。


 夏目は静かに鍵をさす。そして、みんなの顔を見る。


 二葉、中原、中島、種田。


 この一年間、大変なことだってたくさんあったけど、楽しく過ごせたのは、彼らのおかげだ。


 そして、大好きな部室。


 たくさんの本と、本の匂いにつつまれた、大好きな場所。もう来られないのは寂しいけれど、これからもずっと、部室は夏目の大切な場所だ。


 たくさんの、文芸部での思い出が溢れてくる。それにまた泣きそうになって、でもぐっとこらえて。


『ありがとうございました』


 心のなかでそっと言って、夏目は鍵をゆっくりと回した。

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桜色の栞紐 きなこもち @kinakokusamoti

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