桜色の栞紐

第31話 雨と桜

 校舎裏で、二葉と話したあと。

 夏目は、職員室へと向かった。文化祭成功を雨宮に報告するためだ。

 職員室の前まで行くと、ちょうど雨宮はその入口のところにいた。しかし、誰かと話している。

 お取り込み中か。そう思って来た道を戻ろうとすると、


「夏目さん」


 と雨宮に呼び止められた。


「なにか用?」


「あ、いえ……急ぎではないので、また出直します」


「あ、いや、お願いなんだけど」


 お願い? 夏目は首をかしげる。


「話、聞いてくれない?」


 ***


 夏目が職員室についたとき、雨宮はちょうど客人との話を終えたところだったらしい。

 夏目は、すぐに進路相談室へと通された。


「ごめんね、疲れてるのに」


「いえ、どうかされたんですか?」


「いや、これは僕個人の話なんだけどさ。ちょっと、聞いてほしいことがあって」


 そう言って、雨宮は話し始めた。


 十年前、雨宮が文芸部にいた頃のことを。


***


 文芸部に人がたくさんいる、ということは滅多にないもので。


 雨宮がこの学校の文芸部にいたときも、部員は雨宮ともう一人――― 一ノいちのせサクラ、という雨宮と同い年の少女しかいなかった。


 彼女は明るい性格で、当時はぶっきらぼうで、人と関わることが苦手な雨宮とは正反対な性格だった。

 そんな彼にも、サクラは何度も何度も話しかけてきたという。


「まあ、他の部員が僕しかいないんだもんね。僕は最初、面倒くさいと思ってたけど」


 そう雨宮は笑う。


 そんな風に話しかけられるうちに、雨宮も次第に、サクラと話すようになっていった。

 そんなある日のこと。


「あいつに言われたんだ。『宝探しゲームしよ』って」


 行うのは十年後。舞台はこの学校。十年後、ゲームが始まる直前になったら、ルールを書いた紙を渡すから。そうサクラは言ったのだという。


「それでね……夏目さん、部室の鍵、持ってる?」


「……?持ってますけど」


 夏目がポケットからそれを取り出し、雨宮に渡すと、雨宮は鍵につけられた桃色の紐をするするとほどいた。


「サクラは、これを僕に渡したんだ……渡したっていうのは、ちょっと語弊があるけど」


「これって?」


「『桜色の栞紐』って、あいつは言ってた」


 雨宮は、それを自分の手のひらにそっと乗せる。


「これも、ゲームに必要なんだって」


 彼は、困ったように笑った。


 ―――――――――


「桜色の栞紐?……まあ、きれいなピンク色だな」


「そこ、ピンクって言わない!これは桜色なの」


「なんでこだわるんだよ」


「私の名前にかけてるんです」


「ああ……」


 妙に納得して、雨宮は口をつぐむ。サクラが勝ち誇ったような顔をしたので、雨宮はむっとした。


「これ、この前言った宝探しゲームに必要だから。なくさないでね」


 そう言うと、サクラはその紐を雨宮の手からひょい、ととりあげる。


「おい、なんで取るんだよ」


「これを、こうするのです」


 そういいながら、サクラはそれを部室の鍵にくくりつけた。


「これは、鍵と一緒に部長たちに引き継いでいきます」


「途中で廃部になって、その栞紐捨てられるかもしれないだろ」


「そうならないように、雨宮が頑張ったら?」


「……僕に教師になれって?」


「そんなことは言ってない」


 そう言いつつも、サクラはいひひ、といたずらっ子ぽく笑った。


 ―――――――――


「サクラは、知ってたのかも。僕が、教師になりたいって思ってることも、それをためらってることも」


 でもそのときは、ゲームがだめになったって知ったこっちゃない、って思ってたんだ。そう雨宮は言う。


「でもね、その年の夏、サクラが学校をやめるって急に言い出して」


 何度聞いても、サクラは「転校する」とだけ言ってきて、それ以上のことは何も教えてくれなかった。どこに転校するのか、どうして転校するのかを聞いても、のらりくらり。


 そして、夏休みがあけると、彼女は本当に学校からいなくなっていた。


 雨宮は、とても寂しかった。友達といえる人は彼女しかいなかったし、サクラは、雨宮にとって、友達以上に大切な存在だった。恋愛感情ではないけれど。


 でも、なんとかその寂しさも乗り越えて、いつか、同窓会で会えたらなんて思っていた。だが。


「その年の冬にね、顧問に言われたんだ……サクラが、死んだって」


 思いもよらなかった言葉に、夏目は、言葉を失う。


「もともと、病気だったんだって。知らなかった。元気そうに見えたし。でも……気づかなかった自分が、どうしても許せなかった」


「だから……先生は教師に?」


「そう。あいつとの約束、守らなきゃって。まあ、呪いみたいなもんだよね、これ」


 雨宮は、寂しそうに微笑む。


 夏目は、すとん、といろいろなことが腑に落ちたような感覚がした。だから雨宮は、こんなにも必死に文芸部を守ってくれているのだ。


「それで、今年であのときから十年が経って、そろそろかなって思ってたんだけど……さっき、サクラのお母さんが見えてね」


「あ、さっきの女性って、」


「そう、サクラのお母さん。サクラの遺言で、今日になったら、これを僕に渡してほしいって言われたらしい。どうせあいつはあそこで教師をやってるから、って」


 そういいながら、雨宮は一通の封筒を差し出す。それはもうすでに封が切られていて、雨宮は中身を丁寧に取り出した。


「中に入ってたのは、この二枚の手紙だけ」


 雨宮は、そのうちの一つを開く。

 そこには、丸っこい字で、文字が綴られていた。


「サクラの字。なんか、これ見るだけで、泣けてくるんだけどさ」


 声が震えた雨宮の顔を、夏目は見ない。「読んでみて」と言われ、夏目はその手紙に目を通した。


 ―――――――――――――――――


 雨宮へ


 元気??私はたぶん……元気にしてます。

 雨宮は先生になったのかな?ふっふっふ、この名探偵サクラには、未来もお見通しなんだぞ!


 まあ、そんなことはさておき、本題に入りましょう。


 大変長らくお待たせいたしました、宝探しゲーム、開幕です!


 開催日は9月17日。お母さんがちゃんと約束守ってくれたんだったら、これを読んでる次の日だね。この日を過ぎると宝はゲットできなくなるので、お気をつけて。


 宝の場所は、もう一通の手紙に書かれた暗号に示す。今文芸部のために頑張ってくれてる子たちと協力して、謎を解いてみてね!


 グッドラック!


 一ノ瀬サクラより


 ―――――――――――――――――


 一通り読み終わり、「なるほど」と夏目が言うと、雨宮は「それで、これが暗号」ともう一通の手紙を差し出した。


 ―――――――――――――――――


 わたしたちのすみかの


 時間をしおりにし


 昼間の夜に


 雨と桜がであうところ


 そこに宝はねむる


 ―――――――――――――――――


「なんというか……簡潔な暗号ですね」


「そう。考えてみたんだけど、僕だけじゃわからなくって」


 明日部活だよね?という雨宮の問いかけに夏目が頷くと、


「夏目さん」


と、雨宮が真剣なまなざしで夏目を見据えた。


「はい」


「宝探し、手伝って欲しい」


「……え?」


「もちろん、これは僕の事情だし、他の人を巻き込むものじゃないって、わかってる。でも、」


 雨宮は一通目の手紙を手に取り、そこに書かれた文字を、人差し指でなぞる。


「あいつが、のこしてくれたもの。ちゃんと、見つけてあげたいんだ」


 そう言った雨宮の、サクラへの思いに溢れた声に、夏目は息をのむ。


「……だめって言うと思います?」


「正直思ってない」


 あっけらかんとした雨宮の言葉に、夏目は吹き出す。


「ほんと、なんなんですか……もちろん手伝いますよ」


「ありがとう、夏目さん」


「ただ、一つだけこちらからもいいですか?」


 きょとんとした雨宮に、夏目はまた、ふふ、と笑った。


 

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