桜色の栞紐

きなこもち

第1話 新年

 ただ先生の話を聞くだけの始業式が終わり、夏目文なつめふみは、凍てつくような寒さに震えつつ、部室棟へと向かった。


『文芸部』


 そう筆で書かれた古びた木の札は、一体いつ作られたものなのだろうと、夏目はいつも考える。そして、いつも10秒したらそのことを忘れる。


 鍵をポケットから出し、鍵穴へと挿す。

 ガチャリ、と鈍い音がしたのを聞いてから、夏目は扉を開けた。

 誰もいない部室。そして、夏目の後に来る者がいないこともわかっている。


 去年の夏、夏目の一つ上の先輩(1人)が卒業してから、文芸部員は夏目のみとなった。

 文芸部は現在部員一名。超がつくほどの限界部活なのだ。


***


 夏目は、部長席に座って、ふぅ、と一息ついた。そして、机の上を見て、「あ。」と声を漏らした。

 今日中に顧問に提出すべきプリントが、机の上に置かれていた。


 そうだった。冬休み前、職員室に寄っていくのが面倒だったので、来年の自分に提出を託したのだった。


 ……恨むぞ、去年の自分。


 夏目は、プリントを手によっこらしょと立ち上がった。


 外に出ると、殺人級の寒風が顔に吹きつけてくる。夏目は、半泣きであった。


 やっと職員室に着いた時、夏目の顔は真っ赤になっていた。「酔ってる?」と通りすがりの体育教師に言われたが、夏目はスルーする。


夏目は、コンコン、職員室の叩いた。


「失礼しまーす。……雨宮先生、すみません。」


 職員室の扉の1番近くの席、それが、文芸部顧問、雨宮鴎外の席だ。

 母が鴎外好きだということで『鴎外』という名前になったそうだが、本人も結局立派な鴎外好きに育ち、本人としてもその名前を気に入っているらしい。


「あぁ、夏目さん。どうした?」


 ちなみに、彼は持ち前の甘いマスクで女子生徒に人気がある。じゃあなんでこの人が顧問の文芸部に人が入らないのかと思うのだが、文芸部自体マイナーすぎてそのことに気づいていないのだろう。理由はなんでもいいから文芸部に来てくれ、と夏目は思う。


「これを提出しにきました。」


「ああ、今年の部活の活動計画ね。……部員、1人、か。」


 う、と夏目はうめいた。


「本当は、部員1人だと廃部なんだよ。」


「……知ってます。」


 そんな文芸部がなぜまだ活動できているかというと、教員会議で雨宮が必死に廃部から守ってくれているからである。


「雨宮先生には頭が上がりません。」


「僕のことはいいけど、頑張ってねほんとに。4月の人事異動で、僕が顧問じゃなくなる可能性もあるんだから。」


 雨宮は、銀縁のメガネを外し、机の上に置く。


「……はい。」


 夏目は、職員室を出た。

 心なしか、外がさらに寒く感じる。


「……頑張らないとな。」


 今年の目標は、部員の獲得。

 高一の冬、夏目は、そう決意した。

 ……大学受験のことは、とりあえず忘れることにして。

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