第7話 願い・前編

 夏目は、いつも通り部室へと向かった。

 ポケットから鍵を出し、扉を開ける。


 奥の、部長机のところまで行ってカバンを置いてから、夏目は、じっと自分の手のひらを見つめた。


 先週、踏み台から落ちて作ってしまった傷は、もうすっかり治っていた。

 彼女の脳裏に、二葉の顔がよぎる。


『使えよ。』


 ……今日会ったら、お礼を言わなきゃな。

 そう、夏目が思ったとき。

 夏目の背後のドアが、ガチャ、と音を立てて、空いた。


 二葉が来たと、夏目は背後を振り返る。

 

 そこには、嫌な笑いを浮かべた、男子たちが立っていた。


***


「あぁ、つまんねぇ。」


 そう呟きながら足元の缶を蹴る、一人の男子。


 彼は、学校の不良グループのボス的存在である。


 つるんでいた二葉のノリが、最近悪いのだ。

 どうやら、文芸部に入ったかららしい。


 部活の日は誘いを断ってくるし、遊んでいてもいつも心ここに在らず。


 順従な犬だった二葉が急激に離れていって、彼は面白くなかった。


「……調子に乗りやがって」


***


 夏目の思考は、一瞬停止していた。


 あの人たちは確か、二葉が最初にこの部活に来たとき、一緒に来ていた人だ。

 でも、なぜここにいるのかはわからなかった。

 夏目は、恐る恐る声を出す。


「二葉くんは、まだ来ていませんけど。」


 すると、一人がニヤリと笑って、言った。


「今日は、文芸部さんに用事があるんでね。」


 は?、と夏目は言う。そして、ここにいてはいけないと咄嗟に思った。


 ぱっと彼らの横をすり抜け、夏目は外に出て行こうとしたが、その前に手首を掴まれた。


「離してください!」


 夏目はそう言って腕を振るが、その手が離されることはなかった。


 夏目の手を掴む男子が、部室のドアを閉める。それを合図に、他の男子たちが一斉に部室の中へと進んでいった。

 そして。


 ガシャーン


 男子たちが、手当たり次第に部室の中を荒らし始めた。


 本棚の本を床にぶちまける。


 机の上のものをなぎはらって落とす。


 原稿用紙をビリビリに破く。


 夏目は、掴まれていない方の手で口元を押さえた。胸に重い塊がこみあげてきたような感覚に襲われる。


 すると、一人が机の下から段ボール箱を引っ張り出して、ひっくり返した。


 中から出てきたのは、文字がびっしり書かれた原稿用紙。


 過去の先輩たちの作品だった。


「やめて!」


 夏目は思わず叫ぶ。


 すると、その男子は原稿用紙を一部手に取り、ニヤニヤしながらそれに手をかける。


 夏目は、ぎゅっと目をつぶった。見ていられなかった。


 ごめんなさい。


 そのときだった。


 バン、と大きな音がして、扉が開いた。


 びっくりして目を開けると、二葉が飛び込んできて、その男子の手から原稿用紙を奪い取ったところだった。


「二葉くん…!」


 夏目は、泣きそうな声でそう言った。


***


「だーかーら、やってねぇって!」


 二葉は、職員室で声を荒げていた。


 どうやら、二葉と同じクラスの生徒の財布が盗まれたらしいのだが、二葉が財布を盗んでいるのを見たという生徒がいたというのだ。


「そいつが嘘ついてんじゃねぇの⁉︎」


「早く認めなさい。嘘をついているのはあなたでしょう。」


 担任は面倒そうに言う。

 二葉はクラス1の問題児。担任はまったく二葉の言い分を聞こうとしない。


「誰がそんなこと言ってんだよ!なんでそいつの言うことは信じるんだよ⁉︎」


 二葉がそう食ってかかると、担任は少し顔をしかめて、


「だって、言ったのは花村くんなのよ。盗まれたのも、彼の財布なの。」


 と言った。

 花村は、クラスの学級委員であり、担任のお気に入りである。


 そこで、二葉は思い出した。

 自分がつるんでいるグループが、花村の不正を知り、いいようにこき使っていたことを……二葉はそれに参加していないが。


 ……あいつらの仕業か。


 二葉は少しため息をつく。


 さて、どうやって自分の無実を証明したものか。


 二葉がそう思い、何気なく外を見たそのとき、二葉は、目を大きく見開いた。


 職員室から見える、部室棟。その一階、文芸部の部室のところで、複数の影が動いていた。

 顧問である雨宮は、職員室にいる。ということは、今部室にいるのは多くて夏目一人だ。


 ……まさか。


 二葉は、何も言わずに職員室を飛び出す。


「待ちなさい!」


 絶叫する担任の声を無視して、二葉は廊下を全力で走った。


 夏目が無事であることを、祈りながら。



 

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