第22話 仮面

「参加届が出されていない」


 そんなショッキングなことを言われたあと、夏目はゆらり、と文芸部の部室の前にたった。

 中から、楽しそうな声が聞こえてくる。

 夏目は、ぐっと唇を噛んだ。


 彼らに、このことがバレてはいけない。


 きっと、雨宮先生がなんとかしてくれる。だから、部員たちに余計な心配をかけさせたくない。


 だから、いつも通りの顔で。人付き合いが苦手です、っていう無表情で。


 夏目は、すう、と深呼吸をする。

 そして、がちゃり、と部室の扉を開けた。

 みんなの話し声がすっと止んで、全員の視線が夏目に集中する。


「すみません、遅れました」


「部長が遅れるなんて、どうなの?」


 そんな嫌味を言ってくるのは、中島杏珠である。


「すみません、用事があったもので」


「いや、来てくれて良かったすよ。なんかあったんじゃないかって心配してたので!」


 中原空が、笑顔で言う。

 それに、夏目はほほ笑み返した。ぎこちなくは、なっていないはず、たぶん。


「さて、今日も文化祭の準備をしましょうか。前回どこまで決まってましたっけ」


 そう言いながら、夏目はホワイトボードをひっくり返す。

 前回の終わり、夏目は決まったことを自分のメモ帳からホワイトボードに写しておいたのだ。


『事件→殺人事件(刺殺)

 現場→教室内

 状況→刺されて床に倒れている(倒れていた場所は白線で縁取り)』


 それを見て、夏目は胸をつまらせた。もしかしたら、これは実現しないかもしれない。……自分のせいで。


「先輩……?」


 何も話さない夏目を不審に思ったのか、種田が声をかけてくる。


「あ、すみません。さて、内容を詰めていきましょうか!」


 夏目がそう言うと、中原が「僕一つ考えてきたんですけど!」と手を挙げる。

 それを皮切りに、いろいろな意見が部室内を飛び交い始めた。

 中原が突拍子もない意見を出して、中島がそれにつっこむ。種田がそれをもとに意見を出して、夏目がそれを補強する。

 そんなやりとりが楽しくて、夏目は少しだけ現実を忘れられたけれど、ずっと、心の奥では重い塊がひっかかっていて。


 そして、そんな夏目を、二葉は無言で見つめていた。


***


 そして、部活が終わる頃に、雨宮が部室に現れた。


「夏目さん、ちょっといい?」


 はい、と緊張した面持ちで夏目はうなずく。


「先輩、それじゃあまた夏部(夏休みの部活)で!」


 元気よく中原は手を振る。そして、部員たちは部室を出ていった。


「……どうでしたか?」


 誰もいなくなってから、夏目はそう聞いた。


「わからない。もう、文芸がいない状態の団体一覧が教員会議のほうに送られてて、それの審議が明日あるみたい。そこで、僕も掛け合ってみるけど……うーん」


 そう言いながら、雨宮はホワイトボードを見た。たくさんの言葉が書き込まれている。


「絶対、参加させてあげたい。だって、こんなに頑張ってるんだもんね」


 雨宮はほほえむ。


「夏目さんは、何も心配せずに待ってて」


 はい、と夏目がうなずくと、雨宮は少し硬い表情のまま、部室を出ていった。


***


 夏目は、校門を出る。

 もう、みんな帰ったかなと思って少し右の方を見てから、はたと立ち止まった。


 そこには、二葉の姿があった。

 校門に寄りかかって、夕暮れの空を見上げている。


「二葉くん」


 思わず夏目が言うと、二葉は夏目に気づいて、ゆっくりと彼女に近づく。

 そして、真剣な表情で、言った。


「なあ……寄り道しねえ?」


「え?」


「その、暑いから、アイスでもどうかなって」


 二葉にまっすぐ見つめられて、夏目は思わず目をそらす。


「でも、寄り道は、校則で、」


「たまにはいいじゃん」


 俺めっちゃ校則破ってるけど、怒られたことないよ?と二葉は笑う。


 夏目は少し悩んでから、言った。


「はい……たまには、いいかもしれません」


***


 二葉と夏目は学校から少し離れたコンビニに行った。

 そこでアイスを買うと、近くの公園に行き、ベンチに並んで座る。

 無言でお互いアイスを食べ、もうすぐなくなるかという頃、


「なんかあった?」


 と二葉が急に切り出した。


「……別に」


 突然のことにびっくりして、声が少し震えてしまう。

 それをごまかすように、夏目は残りのアイスを一気に食べた。すこしだけ、頭が痛くなる。


「急にどうしたんですか」


「今日、元気なかったから」


 二葉は、空を見上げたまま続ける。


「いつも通りの先輩だったけど、なんか……仮面、被ってるみたいな」


 夏目はうつむく。やっぱり、態度に出てしまっていたか。


「文芸のこと?」


 優しい声で聞かれて、思わずうなずいてしまう。


「でも、これは部長の私の問題なので。別に、二葉くんは心配しなくても、」


「俺、副部長なんだけど?」


 その言葉に、弾かれるように夏目は顔を上げる。

 そして、そこには、二葉の優しい顔があった。


 思わず泣きそうになってしまって、夏目はまたうつむく。


「俺には、ちゃんと言えよ。先輩、しんどそうだから……心配」


 その言葉に、夏目はもう耐えきれなかった。

 わぁっ、と堰を切ったように涙が溢れ出す。


 別に、世間一般的に見たら大したことではないことくらいわかっていた。でも。

 あんなにみんな頑張ってるのに、楽しみにしているのに。

 自分の不注意のせいでそれが潰されてしまうかもしれないのが、情けなくて。人の悪意を真正面から受けたのが、苦しくて。

 夏目は、しんどくなってしまっていた。


 泣きじゃくりながら、夏目は事の顛末を二葉に話す。二葉は、それをただ黙って聞いていた。

 すべて話し終わると、二葉は一言、


「許せねえ」


 と言った。とても、静かな声で。


「ほんとっ……すみません、私が、こうなることをちゃんとっ、気づいておけば、」


「先輩のせいじゃねえ」


「でも」


 そう夏目が言うと、二葉は、んっ、と怒ったような声を出して、夏目の前にしゃがみこんだ。


「先輩のせいじゃ、絶対ねえ。次そんなこと言ったら……許さねえから」


 そんな、乱雑な言葉に、なぜだか夏目の心が、すっと軽くなった。

 夏目は、こくりと頷く。


「わかりました」


 夏目が袖で涙を拭うと、二葉が、ん、とハンカチを差し出した。

 夏目はそれを受け取って、少し笑う。


「女子力高いですね」


「悪いかよ」


「褒めてます」


 むう、と二葉はむくれ面をして、また夏目の隣に座る。


 ひぐらしが、どこかで鳴いていた。

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