第44話 水面下の動き(一)

 ダフニスの奢りで会計を済ませ、全員で揃って酒場を出る。外は目を凝らす必要が無いくらいに月の恩恵を享受していた。


 だが、この月明かりも所詮は一時のもの。朝が来れば当然の如く太陽に空を譲り、自ら退場する定め。


 まるで今の自分のようだ、とアカシオは身勝手にも月に親近感を覚えてしまった。彼は自然と緩んでしまった口を平坦にし、


「……少し酔いを覚ましたい。皆は先に戻るといい」


 そう告げて、アカシオは一人異なる方向へと歩き始める。そんな彼を怪しむ者は誰もいない。一同、他愛もない世間話をしながら帰路に着く。


 ──擬態は完璧。あとはこのまま『本物』との合流を。


 酒気を感じさせない足取りで彼が向かったのは何の変哲もないただの路地裏。ここで待っていれば、そのうち『あちらの方』からやって来るだろう。


 その予想は的中し、どこからともなく一匹の蝙蝠こうもりが飛んできた。活動時間帯ということがあってか、どこか生き生きとした様子で羽をばたつかせている。


 ──いや、この蝙蝠に限っては違う。力強い羽ばたきの訳は別にあることを彼は知っていた。


 蝙蝠はアカシオの目の前まで来ると、彼と同じ姿に変身した。傍から見れば蝙蝠がアカシオの姿を真似たようにも見える。しかし、事実はその真逆を行くのだ。


「変装ご苦労、【多貌たぼう】の。ここへ来たということは、計画を実行する時が来たのだな?」


 蝙蝠から変身した本物のアカシオの言葉に偽物はこくりと無言で頷いた。


 彼──【多貌】の役目は魔女をほだし、吸血鬼族から引き離すこと。しかし、みずからザーバラを離れるのであればそれもまたよし。掛ける手間が減ったと思えばむしろ得をしたというものだ。


「では、手筈てはず通り魔女の足止めは【多貌】、貴公に任せる。排除しても構わん」


「心得ている。貴公こそ油断せぬようにな」


 同じ顔、同じ声、同じ背格好の吸血男爵が二人、悪辣な笑みを向け合う。そうしてお互いの健闘を祈ると、何事も無かったかのように入れ替わった。


 本物は城に戻った同族の元へ。偽物は猛禽もうきんに姿を変え、町の外へ。それぞれが目的を果たすために。


 ──これが、二人の最初で最後の逢瀬おうせであった。



 同時刻 前マウロ聖皇国近海


 雲に覆われた夜空と同じ色の海を、白の衣に身を包んだ少女が空から見下ろしている。まるで天界より降臨せし天女てんにょのようであり、その比喩は中心を外れつつも確かに的を射ていた。


 軌道を中心から逸らした誤りはただ一つのみ。少女は清らかさなどというものをとうに捨てているという、些細なようで決定的な差。


 その小さな手は既に一つの国と魔女の命をこの世から奪い、血に濡れている。彼女の所業は言い逃れ不可能な罪人のそれだ。しかし、何者であっても彼女を裁くことはない。否、できない。


何故なぜなら私は裁く側ですから」


 まるで己の存在を誇示するかのように両手を広げる。その背に顕現するは罪の重さを測る神々しい天秤。この少女──リコが目的を果たすために必要不可欠な神器の一つ。


 海に浮かび、信号灯で意思の疎通を行う幾隻もの舟をリコは見据えた。自分達の国が滅んだとも知らず、今も懸命に魔族の拠点を見つけ出そうとしている。


「馬鹿馬鹿しい」


 しかし、リコはそれが無意味な努力だということを知っている。


 魔族が拠点とする島の全体に、部外者からの認識をはばむ魔術が施してあるのだ。魔術を失った現代の人間では足を踏み入れることはおろか、見ることすら叶わないだろう。


 何日続けたところで成果はどうせ上がらない。それどころか、上陸しても帰るべき国に王や魔女すら不在では路頭に迷うに違いない。


 無駄な努力をやめさせるのも、苦痛無き裁きを与えるのも全て優しさのうち。そんな自己陶酔を自覚しないままリコは天秤を起動させる。


 判定の対象は島を捜す全てのマウロ水軍。基準は光神ミルニルを崇めているか否か。今、対象者全ての魂を右の秤に、信仰心を左の秤にかけた。


 結果は──左傾。


 リコは我が意を得たりといった面持ちで剣を掲げ、詠唱を開始する。


「今度こそ、終わりにしましょう。第四階位・【サバキ……おや?」


 詠唱が完了する直前、ある異変に気付いて詠唱を中断する。魔法が発動する時特有の、魔力が全身に回る感覚が無い。


「まさか……」


 リコがはっとして振り返ると案の定、異変の正体は天秤だった。まるでつるのようなものが左の秤に絡まり、傾きを無理やり元に戻そうとしている。


 このままではビオの時のように破壊され、一時的にではあるが剣も召喚できなくなってしまう。目的の達成は不可能になるわけではないが、やや面倒になる。


 そこでリコは壊れてしまう前に天秤を光に還元し、全てを無かったことにした。これで蔓による拘束も、残念ながら罪の判定も帳消しだ。


 すぐにもう一度やり直しと洒落込みたいリコだったが、世の中そう上手くはいかないもの。水軍の裁きより先に片付けなければならない事項が生まれてしまった。


 天秤を消したことで明らかになる向こう側。そこにいたのは、リコと同じように空中で静止した長身の女性。


 魔女帽のつばから垂れた黒いベールで顔全体が覆われているため、表情は読み取れない。緑色の髪はベールよりも更に長く、膝の辺りまで伸びている。


「第一階位・【穿光センコウ】!」


 リコはその存在を認めた瞬間、先手必勝と言わんばかりに攻撃を仕掛ける。


 彼女の正体は間違いなく魔女だ。その証拠として、手に持っている木の杖から微かに魔力が滲み出ていた。きっと、先程の蔓を操っていた名残りだろう。


 目的の邪魔をされ、怒り心頭のリコ。なんとしてでも報いを受けさせなければ気が収まらない。


「無駄よ」


 威勢よく放たれた無数の光。それに対し、緑の魔女はたった一言だけ言って杖を横に振る。


 すると、その動きに応じて魔法陣が展開、飛び出た樹木が複雑に絡み合い、一つの壁を形成した。


穿光センコウ】はいずれもその木壁に阻まれ、打ち消されてしまう。着弾の際、僅かに損傷を与えるも表面を幾らか削る程度で貫通とまではいかない。


「無詠唱とは厄介な……!」


 リコは苦虫を噛み潰したような表情で苛立ちをあらわにし、〈疾風の魔女〉のことを思い出す。彼女といい目の前の魔女といい、何故魔法を使う際の詠唱を破棄できるのか。


「一体、どうやって……」


「気になる? それはね──愛のおかげよ」


「はぁ? あなたは何を……」


 木壁を隔てた向こう側から聞こえてきた回答に、リコは思わず眉をひそめる。


 言っていることが理解できない。ふざけているのか、と声を荒げたくなるくらい馬鹿馬鹿しい答えだった。それとも、リコの神経をあえて逆撫でするための発言なのか。


「なんか勘繰りしてるみたいだから言わせてもらうけど、私嘘は吐いてないから」


「ふっ、では何です? あなたは何かを愛しているから、魔法を無詠唱で使えるようになったとでも?」


「そういうことよ。本物の愛というものを知り、心が人間に近付いたことで、魔女として一つ上の段階に進んだの」


「馬鹿馬鹿しいことを! 第一階位・【穿光センコウ】!」


 これ以上は時間の無駄遣いだ。そう結論づけ、戯れ言をほざく魔女に光の槍をぶつける。


 今度は一つの方向からではなく、〈雷鳴の魔女〉の【千赫蛮雷センキャクバンライ】にならって全方位から囲うように。しかし──、


「そんな……!?」


「だから無駄だって、さっきも言ったでしょう?」


 呆れたような口調で言う緑の魔女は、球形に編まれた樹木の中にこもってしまった。これではますます攻撃が通らなくなってしまう。


 そう攻めあぐねるリコ目がけて素早く迫るのは、樹球を形成する樹木の一つ。鋭利な先端に太さも相まって、胴体を貫通すれば致命傷は不可避。


「第三階位・【拒光キョコウ】!」


 初めて使う魔法で光の障壁を自身の前方に展開し、どうにか一撃を防ぐリコ。しかし、その攻撃を受けて【拒光キョコウ】は崩壊し、早々に消え去ってしまう。


「ちぃ……!」


 矢継ぎ早に二撃目、三撃目と際限なく飛んでくる。このまま防戦一方になってしまうのは極めて危険だ。


 リコは天秤と剣を再び召喚し、樹を正面から迎え撃つ。主力は天秤を用いた【サバキノヒカリ】ではなく、剣の方。


 未だ近接戦闘には慣れていないが、それでもやるしかない。


「ここで──!」


 迫り来る枝の軌道を見極め、紙一重で脇に逸れて回避。樹球との距離を少しずつ詰めながら、のちに追撃の布石になる可能性を秘めたそれらの枝を剣で断ち切り、災いを芽から摘む。


 この枝がどのような動きをするか分からない以上、避けたものにも一つ一つ気を配らなければならない。しかし、それはあまりにも非効率的な進め方だ。


 何より、その方法だとリコの集中力が切れてしまう。


 なにせマウロを壊滅に追い込んだ日にビオやネル、イスカと交戦したのだ。屍繰術で蘇らせたイスカに供給した魔力もまだ全快していない。加えて、慢性的な頭痛も続いている。


 思考がまともに働くのが不思議なくらいで、いつ倒れてもおかしくない。


「それでも、私は──くっ!」


 死ねない理由がある。全てを無に帰し、理想の世界を創るという目的が。


 そのために足を止めることは許されない。それは夢を掲げる己への裏切りだ。


 リコは剣の柄を握り直し、枝の波状攻撃をものともせず一気に樹球との距離を詰める。【千赫蛮雷センキャクバンライ】と比べて穴が多くて助かった。


 間合いに入る。樹球に、剣を突き立てる。


「……手応え、あり」


 確認するように呟いて、更に深く剣を突き刺す。硬い感触があった。


 ──何かが、おかしい。あまりにも硬すぎではないか。


 イスカの太腿を刺したリコには分かる。今のが、おおよそ人型のものを刺した時の感触とはかけ離れているということが。


 あえて喩えるならば、そう。先程のは、まるで木に剣を刺したかのような──


「ふっ!」


 樹球に剣を刺したまま切り下ろし、一切の抵抗もなく露わになった内部を覗き込む。


 結論から先に述べると、そこに鎮座していたのは緑の魔女ではなかった。見つかったのは、真っ二つに割れた球体関節の木偶人形。要は身代わりである。


 本物はリコが枝と戯れているうちに退却したのだろう。既に遠くまで逃げおおせたのか、魔力も感知できない。


 とはいえ、彼女との交戦は予定外のものであるため、悔いる程のことでもない。邪魔立てする者がいなくなった今、マウロ水軍が最優先事項に切り替わる。


 剣と天秤はそのままに、樹球から抜け出したリコは海面を見下ろす。しかし、船影は見つからない。


「どう、して……」


 わなわなと震える唇に手を当て、広範囲を見渡す。やはりと言うべきか、何度見ても水軍の舟はどこにも見当たらなかった。


 海上にも、最寄りの船着場にも。まるで初めから無かったかのように、忽然と姿を消してしまった。


何故なぜ……まさかあの魔女が……?」


 例えば初めて姿を目にした時の、杖から滲み出ていた魔力。あれが残滓ざんしなどではなく、舟を安全な所まで逃がすための魔法を用いていたのだとしたら。


『愛』云々うんぬんという発言が、リコの気を引くための戯言だとしたら。


 これらはただの憶測でしかないが、リコは考えれば考える程、納得してしまう。


 身代わりを用意して逃げるような者なら、それくらいはやりかねないという先入観。行動に起こせる人物が、その場に彼女しかいなかったという状況証拠。


 二つが合わさって、リコに確信を与える。無論、妨害を受けて何も思わない訳もなく。


「あの、糞女……ッ!」


 リコは親指の爪を強く噛みながら、産まれて初めて心の底から湧いた怒りと殺意を歓迎した。

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