第43話 酒場へ行こう

 ──湧き上がる高揚感。高鳴る鼓動。ジュードの胸は今、まるで火を通した釜か鍋のようにぐつぐつと煮えている。


 気付いた頃には既にアカシオとの距離を詰め終えていた。しかし、何も考えず突っ込んだ割に危機感というものを覚えない。


 どうせ模擬戦だからなんて理由でないのは明白。何故なら、この身体は勝つために動いているのだから。


「ふっ──」


 木剣の突きが来る。狙いは鳩尾みぞおち。至近距離ゆえに回避は無意味。対処法は限られる。


つうっ……!」


 ならば、とジュードは合掌し、木剣を挟み込んだ。手の皮が剥けるほどでもなく、摩擦熱を伴う痛覚は気合いで我慢。木剣を両手で捕らえたまま離さず、半身を左にぐいっと捻る。


 さらに加速する摩擦は仕合の展開と等価交換。終わり良ければ全て良し──などという強がりはこれっきり。そう思いながら。


「チッ……!」


 そんなジュードに振り回される寸前、自ら武具を手放し、後退するアカシオ。それは最適解であると同時に最不適解でもある。


 だって、今の彼は丸腰だ。


「しゃあっ! 仕切り直しぃ!」


 言いながら、ジュードは右手に持ち替えた木剣をアカシオが回収しないよう自身の後ろに投げ捨てた。


 ──コツン、カラン。


 静まり返った訓練場に響き渡る、木剣と石畳とが出会う音。


 それを皮切りに両者が同時に一歩踏み込む。これより始まるは原始の闘争。それ即ち、格闘戦なり。


「おらぁぁぁっ!」


 開幕早々、ジュードは渾身の右ストレートをあっさりと受け流され、勢い余って前にのめり込む。その隙を見逃さないとばかりに、アカシオがジュードの右腕を掴み取る。


「──は?」


 完全に、見切られた。そう理解した次の瞬間、アカシオは左脚を軸にして身を翻した。一本背負い。体を動かす自由をほとんど奪われ、抵抗できない。


「口は閉じておけよ」


 その忠告と共に二転三転する視界。アカシオの足に始まり、石畳、上下が逆さになった兵士かんきゃくたちが順繰りに映った。


 ジュードはそのまま、地面に叩きつけられる──


「って待った待った! 参った! 参ったから降ろしてくれ!」


 直前、アカシオの背を空いていた左手で叩いて組手を中断させるジュード。その顔からは汗が滲み出ており、若干の焦燥を孕んでいた。


「……む、降参するのか?」


「ったり前だろ!? アタシにも痛覚くらいあるの!」


 ジュードと石畳を交互に見て納得したのかアカシオが右腕から手を離すと、両足が重力に従ってストンと着地する。しかし、心の中は未だに浮き足立ったまま。


 あの流れで投げられていたら間違いなく骨折ものである。組手中の怪我で得られる功名など全く無い。ともすれば、負傷を避けるのはごく自然のことだろう。


「配慮が足りなかった。誠に申し訳ない」


「いや、謝るほどのこっちゃねぇけどよ。アタシがもっと別の立ち回りしてりゃあよかっただけだ」


 俯きがちにアカシオが謝罪した後、ジュードは心を落ち着けるように胸を撫でて一息つく。段々と思考もまとまるようになり、視野が広がった。すると、至る所で金のやり取りをする兵士たちの風情なき姿が目に入り始める。


「全く、コイツらは……」


 どうやらアカシオに賭けていた者の方が少数派らしく、金を受け取った兵士は皆、一様に頬を綻ばせていた。嬉しそうなのはいいが、あまり横行してほしくない類の文化だ。


 ジュードが生暖かい目でその光景に目をやっていると、軽い足取りで駆け寄ってくる黒衣の男が一人。吸血鬼族の長クレスの従者、ダフニスである。


 彼はその手に五千ルーク紙幣を三枚も携え、子供のように目を輝かせながら言う。


「臨時収入を得たぞ! これから酒場に行こう!」


 ダフニスも勝ち組のようだ。同族のアカシオに賭けるのは当たり前のことかもしれないが、ジュードとしてはなんとも言えない微妙な気持ちになってしまう。


 しかしまあ、奢ってくれるというのだからあまり悪い気はしない。


「んじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうぜ。アカシオ殿もどうだ?」


「…………まあ、構わん」


 やや間を置き、タイを締め上げながら頷いたアカシオ。それを見たダフニスがジュードに向けて「よくやった」と親指を立てた。


 アカシオはあまり飲みの席に来ないタチなのだろうとジュードなりに推察してみる。酔っ払った姿が想像しがたい。


 まずは一杯勧めて様子見するか──そんなことをジュードが考えていると、先程まで賭けの勝敗の余韻に浸っていた兵士たちが、もう用は無いとばかりに立ち去っていく。


 開かれた訓練場の入口から夕刻を示す橙色が射し込む。それは夜が迫っていることを知らせるものであると同時に、全ての酒場が開店する合図でもある。


「っていけね。早く行かねぇと席が埋まっちまう」


「じゃあ席の確保は任せた。俺は三人くらい呼んでくるよ」


「三人な。了解」


 そんなダフニスとのやり取りのあと、ジュードは一足先に酒場へと向かった。


 王都ザーバラにある酒場は二店舗。一つは王国兵が利用する店。もう一つは平民が利用する店だ。


 何故どちらも顧客を絞っているのかというと、兵士と平民との間で起きる無用な衝突を避けるため。というのも、ジュードの誕生以前にそのような事例が実際にあったのだという。


 人を人たらしめる理性のタガを外し、判断力をにぶらせる酒の力は恐ろしい。それは時として法すらも破らせてしまう。とはいえ、周囲に迷惑をかけない範囲でたしなむだけなら問題はない。要は匙加減が重要という話である。


 素面しらふでウィスクルを殴ってしまったジュードは人一倍気を付けなければ……と、気を引き締めてから酒場の暖簾のれんをくぐるのだった。


 店は賑わいを見せている。ジュードにとって見覚えのある顔と無い顔があちらこちらで歓談中。総勢四名名の従業員──いずれも女性──たちが料理や酒を配膳したり、接待をしていた。


「いらっしゃいませ〜! ──あ、魔女様! 今日はお連れの方もいますのね!」


 一緒に来たアカシオを見て、従業員の一人が目を丸くする。その反応にジュードは肩をすくめながら、


「まあな。あとでまた四人くらい来るんだが、席は空いてるか?」


「はい、小上がりの1番広い席が空いてますよ! こちらへどうぞっ!」


 従業員がよく通る声でそう言って案内してくれた席は六つの座布団を敷いた長い座卓。アカシオが壁側の一番奥に、その向かいにジュードが座る。


「アカシオ殿は何を頼む?」


「そうだな。さかなは魔女殿に任せるとして……葡萄ぶどう酒はあるか?」


「はい! 以前エアルトスから仕入れた未開封の物がありますよ!」


「…………ほう。銘柄はもしや『ミドハルト・ドルチェ』か?」


「あっ、はい! その通りです! よくご存知で!」


 まさかアカシオが一発で言い当てるとは思わなかったのか、従業員が感心したように目を見開いた。しかし、彼の方は正解だったにも関わらずどこか浮かない様子だ。


 まるで苦い思い出を噛み締めているかのような表情を浮かべている。そんな彼に声をかけるべきか一瞬迷うジュードだったが、そっとしておくことにした。


「それじゃ、鋼殻豆を二皿とサバクウオの煮物を頼む」


「はーい。今しばらくお待ちくださいね」


 ジュードが酒の肴になりそうなものを注文すると、従業員は厨房の方に引っ込んでいく。


 少しすると、ダフニスが三名の吸血鬼を連れて店に入ってきた。クレスと、二度目の謁見でザーバラに来た少年少女だ。聞くところによると、この二人は双子だという。


 少年の方、プラムは黒髪を真ん中で分け、吊り上がった目が見た目相応の生意気さをかもし出している。対する少女チエリは波のかかった茶髪を腰まで下ろしており、本来の性格とは真逆の、どこか柔らかい印象をジュードに与えた。


「おーい! こっちこっちー!」


 ジュードが大きく手を振って居場所を示す。すると、アカシオの横にクレスとダフニスが、ジュードの横にプラムとチエリが座った。


「そういや、ダフニスとアカシオ殿以外は酒飲めんのか?」


「はい。人間の成人年齢に達していれば何も問題はありません。あとは当人が酒を好むか、ですね」


 ジュードの疑問に答えてくれたのはプラムだった。彼の言葉を鵜呑みにするならば、成長が止まるのは見た目だけということだろう。また一つ賢くなったジュードである。


 しかし、そんなプラムとチエリが頼んだのはただの果実。つまり果汁を絞って薄めただけのものである。無論、そのような飲み物に酔うような成分など含まれているはずもなく。


「はーい、お待たせしました!」


 やがて注文したものが全て卓に載ると、プラムとチエリは揃って果実水の入った木製ジョッキに口をつける。


「美味しい……」


「甘味を堪能できるって贅沢……」


 そんなふうに幸せそうな顔をする二人を、ジュードは頬を掻きながら見ていた。


 ダフニスとクレスはアカシオと瓶を同じにしているようだ。その対比のせいか、プラムとチエリの子供っぽさが余計に際立っている。


「……本当にみんな飲めるんだよな?」


『飲めますよ? でもコイツが果実水にするっていうから仕方なく』


 指を差し合いながら一言一句同じことを口にするのは双子の性か。きっと両者の言葉に偽りはなく、互いの存在を理由に果実水を飲みたいだけなのだろう。


「二人とも……まだまだ……子供だな……ぬぬぬぅ〜」


 クレスがりきみ声を出しながらプラムとチエリをからかう。鋼殻豆の殻を握って悪戦苦闘している彼女も、あまり人のことを言えたものではない。


「ほら、アタシに貸してみ」


「むぅ……うむ」


 ジュードが右手を差し出すと、クレスは素直に鋼殻豆を手渡した。


 鋼殻豆の殻は胡桃くるみと同じくらい硬いとされる。それを素手で割るのは至難の業──というより、少々コツが要るのだ。


「いいか? 握力だけじゃ絶対に割れねぇ。こう……縫い目みたいなとこに爪を立てる感じで持つ。そんで力を入れるんだ」


 説明したままを実践すると、殻がバキッという音を立てて半分に割れる。半分になった殻が薄橙色の豆を乗せてジュードの手のひらの上へ落ちた。


「ま、こんな感じだな」


 その見本に倣い、クレスが皿から取った鋼殻豆を鷲掴みにする。少し力を込めると殻の縫い目に沿ってヒビが入った。


「おお! 従僕よ、我にもできたぞ!」


「流石です姫様!」


 自身の成功体験に目を輝かせ、きゃっきゃとはしゃぐクレスをダフニスが讃える。そんな光景を直視したせいか胸焼けを起こしたジュードは手元の水をぐいっと飲み干す。


 冷たいものがゆっくりと食道を下り、腹に溜まる。そうして仕合の余熱も完全に冷めた頃に、アカシオが葡萄酒の注がれたグラスを座卓に置いて話しかけてきた。


「時に魔女ジュード。明日は何か予定などあるだろうか? もし貴公さえよければ、また組手を頼みたい」


「……明日、か」


 ──『いいか、明日の朝だ。忘れるなよ』


わりぃ、無理かも。ちょっと外に出ねぇとだからさ」


 ウィスクルとの約束を思い出し、アカシオの申し出を断った。すると彼は残念そうにしながらも「構わんさ」と首を横に振る。


 この埋め合わせはいつかせねばなるまい。と、ジュードはサバクウオの煮物を口に運びながら漠然と考える。


「……苦いな」


 この席でそんな感想を漏らしたのは、後にも先にも彼女だけだった。

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